先月、ふと思い立って刑事裁判の傍聴に行ってきました。

 

不意に仕事にひと段落ついた昼下がり。

 

たまたまその後に当事務所の弁護士が担当する国選事件の公判期日が控えていたので、まだ裁判を見たことがないという事務員さんを連れだって、傍聴に行ってみることにしたのです。

 

担当弁護士は、どういうわけか僕らが傍聴に行くことを嫌がり、どこの法廷か頑として口を割りませんでしたので、僕と事務員さんは、傍聴をあきらめた素振りをみせつつ、彼の後をこっそり追いかけ、裁判所1階の開廷表で法廷を確認して傍聴に向かうことになりました。

 

法廷の前で再会した担当弁護士はどういうわけか苦悶の表情を浮かべていましたが、自分の事件と関係なく裁判所に来ることがこんなにも気楽なものかと浮かれてしまっている僕の前に、彼の抵抗など全く意味を持ちませんでした。

 

彼は、この公判期日を迎えるまで、忙しい合間を縫って遠方の警察署まで何度も何度も赴き、被告人と接見しています。

 

そこで築き上げた被告人との信頼関係をベースとして、被告人としっかり準備してその日の公判を迎えたことがわかる、確かな弁護人活動が展開されていました。

 

そして、その帰り道。

 

初めて裁判を傍聴した事務員さんにあれこれ感想を聞きながら歩いていると、事務員さんからは「反省ってあんなものなんですかね」という感想も漏れました。

 

どうやら被告人質問の中で被告人が述べる反省の言葉がどうも真実味に乏しく薄っぺらく聞こえたようです。

 

僕の目から見た被告人の言動は特段その反省振りに疑念を抱かせるものではなかったので、事務員さんのこの感想は予想外のものでした。

 

不意を突かれた僕は、今日のような時間も限られた中ではどうしても形式ばった儀式の中のやり取りのひとつのようになってしまうけど、彼があの場で反省を口にするまでには、逮捕後の警察官や検察官とのやり取りや弁護人との接見でのやり取りなど、何度も自分のしたことをいろんな角度から振り返る機会があって、そのうえでの一つの現れとして今日の言葉があったんだと思うとか何とか伝えたと思いますが、確かに法廷での一言、一場面だけを切り取ってみれば、それまでの経緯や背景までは見えづらいものだと気づかされました。

 

刑事裁判に限らず、弁護士の日々の活動やそれに伴う苦労は本当に日の当たらないもので、往々にして依頼者にも見えづらいものだろうと思います。

 

そういったものは敢えて見せる必要はないという意見もあると思いますが、とかく一般人の目や顧客満足度という尺度が幅を利かせる世の中で弁護士の活動の成果はどうすれば伝わるのか、広報、アピールはどうあるべきか、思いがけずそんなことまで考えさせられる機会となりました。

薄っぺらい・・・

読み始めたときには,同じ事務所の弁護士をいじるスパルタ愛にあふれた記事かと思いきや,事務員さんの言葉で,私もふと一足止めて考え込んでしまいました。
日の当たらない活動ですが,弁護士が魅力ある仕事であることを一般の方に伝えていくには,その過程も含めた広報を意識することが必要なのだと気が付かされました。

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