弁護士の放課後 ほな行こか~(^o^)丿 http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/114 ja 大阪の中心と児童相談所 http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/114/entry/2521 <p>少しだけ私の法律事務所のお話をすることをお許しください。</p> <p>私の法律事務所は北浜一丁目の交差点(大阪市中央区)にあり,私は,大阪の中心は北浜一丁目で,大阪のメインストリートは北浜一丁目を通る堺筋であると少しだけ感じています。こういう感覚を誇大妄想と言います。おそらく,大阪の中心は梅田駅周辺(いわゆる「キタ」)であり北浜ではない,大阪のメインストリートは御堂筋であり堺筋ではない,というのが現代における正しい認識ではないかと思われます。しかし,少なくとも昭和初期まではあながち誇大妄想ともいえなかったようです。</p> <p>&nbsp;</p> <p>現代の北浜一丁目の交差点は南北に走る堺筋と東西に走る土佐堀通の交差点であり,難波橋(いわゆる「ライオン橋」)の南詰になっていますが,大正4年までは,難波橋は堺筋の1つ西の筋(難波橋筋)に架かっていました。そして,当時,大阪のメインストリートの地位は堺筋とこの難波橋筋が2分していました。大正4年,難波橋が難波橋筋から堺筋へ架け替えられます。架け替えの理由は,大阪市電天神橋西筋線(現在の地下鉄堺筋線)が北浜へ延線された際に,難波橋に市電を通すことに対する反対運動を地元住民が行ったためだそうです。その結果,堺筋と難波橋筋の明暗は大きく分かれました。難波橋を失った難波橋筋は一気に凋落する一方,堺筋は三越(現在のThe Kitahama)・白木屋(現在の第二野村ビルディング)・松阪屋(現在の高島屋東別館)などの百貨店が次々と竣工し,「大大阪時代」における大阪の唯一無二のメインストリートになったそうです。</p> <p>&nbsp;</p> <p>ところが,その堺筋も,昭和12年に梅田・難波間を結ぶ大阪市電御堂筋線が竣工すると,次第に,メインストリートの地位を御堂筋に奪われていきました。鉄道網の中心である梅田(大阪駅)・難波を結ぶ御堂筋と梅田・難波から外れた堺筋を比べたときに,どちらがメインストリートにふさわしいかは,火を見るよりも明らかです。反対にいえば,堺筋も鉄道網の中心・大阪駅と繋がっていればメインストリートの地位を失うことはなかったかもしれません。実は,明治7年に大阪駅が開業する前は,北浜一丁目に近い堂島付近が大阪駅の候補地だったそうです。ところが,これまた住民の反対により(ただし,反対説もあります。住民の反対が原因とする説を採用するものとして手近なところでは谷川彰英監修『地図に秘められた『大阪』歴史の謎』127頁(実業之日本社,平成28年)),大阪駅は,現在の大阪市北区梅田三丁目,当時は大阪市外であった西成郡曽根崎村に設置されることになりました。北浜に近いところに大阪駅が設置されていれば,北浜も,北浜を通る堺筋も,その地位が変わっていたかもしれません。</p> <p>&nbsp;</p> <p>こうしてみると,難波橋筋も堺筋も,そして北浜一丁目も,住民の反対運動によって大阪の中心・大阪のメインストリートの地位を失ったように思われます。今から見れば,住民の反対運動は経済的には不合理であったことは明白です。鉄道駅や鉄道路線によって周辺住民が利益を受けること(判例の言葉を借りれば,「存在によってある程度利益を受け」,「その利益とこれによって被る前記の被害との間に,後者の増大に必然的に前者の増大が伴うというような彼此相補の関係」(最判平成7年7月7日・民集49巻7号1870頁(ただし,この判決は彼此相補の関係が否定された事案。)の存在)は,明らかでしょう。しかし,利益がある施設か,それともただの迷惑施設かの判断は,後から見れば明白であっても,その時には難しいのかもしれません。現に大正時代には,鉄道駅や鉄道路線は信玄公旗掛松事件(大判大正8年3月3日民録25輯356頁)のような公害の原因にもなっており,迷惑施設としての側面がありました。</p> <p>&nbsp;</p> <p>昨年,東京の中心である(少なくとも大阪の人間はそう思っている。)東京都港区・南青山において児童相談所設置に対する住民の反対運動が行われている旨の報道に接しました。大阪の中心かどうかはともかく,北浜一丁目からそれほど遠くない場所にあるタワーマンションでも,児童相談所設置に対する住民の反対運動がありました。</p> <p>児童相談所によって周辺住民に経済的利益があるか,それともただの迷惑施設かの判断は,今は難しいと思います。だいたい,子どもの権利保護に尽力されている方からは,「児童相談所に経済的利益があるか」等と議論している時点でお叱りを受けそうです。ただ,児童相談所に経済的利益があるか否かの判断は後になってみなければわからない,ということは確かだと思います。そう考えると,経済的利益があるか否かだけで児童相談所設置に反対することはあまり合理的でないように思われます。</p> <p>&nbsp;</p> http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/114/entry/2521#comments あれこれ Mon, 01 Jul 2019 14:24:37 +0000 047907 2521 at http://www.osakaben.or.jp/blog 「看取り」と死後事務について http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/114/entry/2489 <p>終末期(人生の最期)を自宅で迎えること,「看取り」を希望する方が増えているようです。たとえば,大阪市が平成29年3月に実施した「高齢者実態調査(本人調査・ひとり暮らし調査)」の報告書によると,「万一,あなたが治る見込みのない病気になった場合,終末期(人生の最期)をどこで過ごしたいですか。(〇はひとつ)」という問いに対して,41.5%が「自宅」と回答しています。また,国も「看取り」に対して積極的で,たとえば,「終末期医療の国指針を改定 厚生労働省は,終末期医療に関し治療方針の決定手順などを定めた国の指針(ガイドライン)を改定する方針を決めた&hellip;現在は主に病院を念頭に置いているため,自宅や施設でのみとりに活用できるよう見直す&hellip;今月中に改定案を有識者検討会に示し,3月末までにまとめる」(共同通信,平成29年1月6日付)といった動きがあるようです。</p> <p>&nbsp;</p> <p> ところが,現在の状況のままで多くの人が「看取り」を選択し,かつ,国も「看取り」を積極的に勧めた場合,問題が生じるのではないかと思われます。「看取り」の後,死後の手当てが全くされていないためです。</p> <p> 先に記載したとおり41.5%の高齢者が「看取り」を希望していながら,同じ調査によると46.2%の高齢者が終末期の過ごし方について「誰とも話し合ったことがない。」と回答しているほか,大阪市内のある地域包括支援センターが介護支援専門員に対して実施したアンケートでも,高齢者に対して「死後のこと」を尋ねたところ,「死後のことを聞いても明確な返答がなかった」,「葬儀,死後の事務等について本人が拒否されるため,話をすることが出来なかった」(「そんな事,言ってくれるな! ちゃんと考えてるよ!」,「どないかなるだろう」など)という回答が寄せられています。</p> <p> このような状況で親族とも疎遠な高齢者が「看取り」を選択した場合,死後に複数の問題が生起します。その内,最初に生起するのは死亡届と火葬に関する問題です。</p> <p> まず,死亡届を出すことができません。死亡届の提出義務者は同居の親族,その他の同居者及び家主・地主又は家屋若しくは土地の管理人で(戸籍法87条1項),届出権利者はその他の親族と成年後見人,保佐人,補助人及び任意後見人(以下「後見人等」という。)ですが(同2項),亡くなった方が一人暮らしで,しかも,自宅が持ち家又は分譲マンションである場合,1項の提出義務者は誰もいません。さらに,親族とも疎遠で後見人等もいない場合,親族が誰も死亡届を出してくれなければ,当該高齢者の死亡届が出されない状況が続いてしまいます。その結果,火葬の許可(墓地,埋葬等に関する法律5条)が滞り,戸籍・住民票が残っているなどの問題が生じます(※:最終的には自治体・法務局が調整し死亡記載を行うが,これには大変手間がかかります。戸籍法44条3項,24条2項)。</p> <p>&nbsp;</p> <p> この問題に対処するために,終末期を迎える前,「看取り」を選択する前に,火葬,供養,行政官庁等への諸届等に関する事務を第三者に委任する死後事務委任契約を締結することが考えられます。これを締結すれば,当該第三者が受託した死後事務を行うことができますし,また,副次的に委託者・本人の生前から,いわゆる職務上請求によって委託者・本人の親族調査を行い,判明した親族に対して終末期の過ごし方などについて話し合うことを促すこともできると思われます。あわせて,任意後見契約を締結しておけば,任意後見人として死亡届を提出することができます。</p> <p> 親族とも疎遠でひとり暮らしの高齢者が「看取り」を選択する場合には,死後事務委任契約及び任意後見契約が必須であると思われます。</p> <p>&nbsp;</p> <p> 今後,「看取り」を選択する高齢者の数が増加すれば,それだけ死後事務受託者・任意後見人の数も必要になる。その数を1つでも賄うと同時に,死後事務委任契約・任意後見契約を普及させるために,活動すべきではないかと思います。</p> http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/114/entry/2489#comments 法律問題 Mon, 12 Nov 2018 11:02:56 +0000 047907 2489 at http://www.osakaben.or.jp/blog 不動産の買い方 http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/114/entry/2452 <p>ここ数ヶ月,「かぼちゃの馬車」に関する事件が耳目を集めています。</p> <p>ご承知のとおり,「かぼちゃの馬車」はシェアハウスのブランド名で,その建築・サブリース・管理を営む会社が「高利回り,賃料保証」を謳ってオーナーを集め,オーナーは銀行から融資を受けて「かぼちゃの馬車」を購入,ところが,実際にはその会社は賃料を支払うことが全くできず倒産してしまった,というのが事件の概要です。</p> <p>この事件は,その会社の破産開始決定が出たばかり(5月15日付)で情報が少なく,疑問点がたくさんありますが,なかでも,どうして無謀な融資が銀行の審査を通ってしまったのか,という点は大きな疑問点です。その会社については,オーナーを募集している時点で既に賃料を支払う目途が立っておらず,「かぼちゃの馬車」事業の見通しが立っていないのに,なぜ融資の審査が通ってしまったのでしょうか。この点については,オーナーの所得証明書などの融資審査の基礎となった資料が偽造されたのではないか,という意見が出ています。</p> <p>偽造された資料に基づいて無謀な融資を通してしまった銀行(そして,その融資担当者)も大きな損失を免れませんが,一番の被害者がオーナーであることは疑いないでしょう。</p> <p>&nbsp;</p> <p> 「かぼちゃの馬車」ほど大規模な事件は珍しいですし,そもそも「かぼちゃの馬車」のような収益物件を購入する人もそれほど多くはないので,「かぼちゃの馬車」オーナーのような被害は他人事のようにも思えますが,あながちそうとも言い切れません。たとえば,「大阪 ローン詐欺屋」という言葉でインターネット検索をして,検索で見つかった記事をいくつか見てみると,被害が他人事ではないことがわかります。自宅を建てるときにも,このような被害に遭うかもしれません。たとえば,自宅を建てる前に署名捺印した土地の売買契約書・建物建築請負契約書の代金額を業者に偽造され,業者がローン事務を代行するといって偽造した契約書を銀行に提出し,偽造した契約書に基づいて銀行の融資審査が通ってしまうと,自分が署名捺印した契約書の代金額以上の負債を負うことになってしまいます。このような被害は珍しくはありません。</p> <p> そんなに簡単に契約書の偽造ができるのかという疑問が浮かびますが,契約書の写しならば簡単に偽造できます。まず,複数頁の契約書を作成し,最終頁は署名捺印欄だけにし,それ以外の頁に契約内容を記載します。そして,署名捺印後,最終頁以外の頁をすり替え,最終頁の割り印だけ画像編集ソフトなどで消してしまえば,写しですが,簡単に契約書を偽造することができます。当然,偽造後は各頁の割印や収入印紙の消印がなくなりますが,割印は「押印忘れ」とでも銀行員に説明し,消印は三文判を押せば,銀行の融資審査を通ってしまうことがままあり得ます。もちろん,割印がないことや,署名横の押印の印影と収入印紙の消印の印影が違うことなどの不審事由があり,融資担当の銀行員としては契約書の原本を確認すべきですが,多忙な中で融資担当者が不審事由を見落とすことも少なくないと思います。</p> <p> そして,審査が通り融資が実行されると,業者は,融資額と偽造前の契約書の代金額との差額の一部を,名目を付けて(ひどい場合には名目すらつけず)被害者から持っていきます。</p> <p>融資が実行されてしまうと,その後に契約書の偽造に気が付いても時すでに遅しです。契約書の偽造をするような業者が法人に資力を残していることは少なく,業者からの回収は困難を極めます。他方,銀行との関係では,いくら自分が被害者だといっても,融資金はいったん自分の預金口座に入ってしまっています。ですから,「自分は被害者だ。」,「不審事由を看過した銀行も悪い。」,「錯誤だ,(第三者)詐欺だ。」と言ったところで,自分で融資後のお金の流れを解明しない限り,融資金は不当利得として返還義務を免れません。</p> <p>&nbsp;</p> <p> 被害に遭わないためには色々な方法が考えられますが,少なくとも次の2つを指摘することが出来ると思います。</p> <p> 1つ目は,融資金の流れ,いわゆる「金種」を融資実行の前日までに確認することです。融資実行の当日,いわゆる決済日は,目の前の書類に押印するばかりですので確認する暇がありません。確認をするならば前日までです。業者には金種表を出してもらい,手元の見積書・請求書・契約書と照らし合わせれば,偽造などがあれば一目瞭然でわかります。</p> <p> 2つ目は,いわゆる「ワン・ストップ・サービス」は用心してかかることかと思います。冒頭述べた「かぼちゃの馬車」の事件でも業者は,建築・サブリース・管理に加えてローン事務の代行も行っていたようですし,上のような被害においても,契約書の偽造を行う業者は土地売買の仲介・自宅の建築・建築確認申請・ローン事務代行などを一括で行っていることが少なくありません。たしかに,色々な事務を一括で行ってくれる「ワン・ストップ・サービス」は便利ですが,一括で行ってくれるということは情報も一括でその業者に集まるということです。情報が1人のところに集まると監視の目が働かず不正の誘因になりかねません。</p> <p>&nbsp;</p> <p> 不動産の購入は極めて大きな買い物です。気を付けたいものです。</p> http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/114/entry/2452#comments あれこれ Fri, 29 Jun 2018 15:59:23 +0000 047907 2452 at http://www.osakaben.or.jp/blog 大阪 兵隊 弱い http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/114/entry/2430 <p>毎回毎回,弁護士と無関係の話で恐縮ですが,ネット広告のお話から。ウェブサイトを見ているとネット広告が表示されることがあると思います。ネット広告は,どうやら私たちが見たサイトの閲覧履歴や検索履歴のほかにも位置情報(PCや携帯電話のGPSを切っていても,大まかな位置は特定されるようです。)も参考にしているようで,私の場合,事務所がある大阪市中央区内の商業施設の広告が表示されることがあります。そのような広告の中に,「MIRAIZA OSAKA-JO(ミライザ大阪城)」という商業施設の広告が出てきました。このミライザ大阪城は,大阪市が実施した「大阪城公園パークマネジメント事業」に基づき旧第4師団司令部庁舎を改修したものだそうです。</p> <p><a href="http://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000393918.html" title="http://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000393918.html">http://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000393918.html</a></p> <p>&nbsp;</p> <p> 旧第4師団というのは旧陸軍の師団の1つですが,これまたネットの検索サービスで「第4師団」と検索するとサジェストで「第4師団 弱い」,「大阪 兵隊 弱い」という語句が出てきます。大阪の兵隊だけが他所の兵隊よりも弱いという話は,少なくとも資料(たとえば,大阪・信太山の陸上自衛隊・信太山駐屯地内の資料館内の資料等)を見る限り根拠がないように思われますが,世間では「またも負けたか8連隊」(「8連隊」は第4師団隷下の歩兵第8連隊。司馬遼太郎『手掘り日本史』(文春文庫)31頁)という類の「大阪 兵隊 弱い」噂が広まってしまっているようです。</p> <p>&nbsp;</p> <p>ところで,私は1人だけ大阪の兵隊(高射第3師団,第4師団の管轄を一部引き継いだ部隊,に所属)だった方の話を聞いたことがあります。その方はいわゆる学徒出陣(在学徴集延期臨時特例(昭和18年勅令755号),<a href="https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000041956">国立公文書館のサイト</a>)で徴兵された方で,徴兵された後は,米軍の爆撃から大阪を守るため生駒山で高射砲を撃つ部隊に配属されたそうです。もっとも,高射砲を撃つといっても,当人曰く「撃っても,砲弾が米軍機の高度まで届かないから,当たらない。砲の数も少なすぎる。下手に撃てば位置を特定されて,米軍の護衛戦闘機に撃たれる」そうで,米軍機が爆撃を行っている間は息を潜め,米軍機が去ってから高射砲を撃ち始めるという具合だったそうです。もちろん,そんなことが許されるはずもなく,抗命罪しかも敵前での抗命罪(陸軍刑法57条1号)に該当する行為ですが,「撃っても&hellip;当たらない。下手に撃てば&hellip;護衛戦闘機に撃たれる」にもかかわらず命令に従わなければならないか,については議論のあるところです(たとえば,ドイツの法律には,軍隊において,抗命権の行使に対する不利益処分を禁止する規定があるそうです。)。</p> <p>&nbsp;</p> <p>それはともかく,上の話は伝聞で内容が真実かどうかわかりませんが,大阪の兵隊には上のような方が他にもいたので,「大阪 兵隊 弱い」という噂が広まったのかもしれません。</p> <p>&nbsp;</p> <p>しかし,「弱い」ことが常に悪いことかどうかは考えてみる必要があると思います。とくに,軍隊や自衛隊はともかく,民間の会社では,弱いこと・抗命が常に悪いこととは限りません。</p> <p>昨年は,過労死のニュースが世間を騒がせました。過労死するかもしれない程の量の労働を労働者が命じられた場合において,少なくとも民間の会社でそれに抗うことは,弱いことでもありませんし,悪いことでもありません。</p> <p>たしかに,民間の会社でも,労働者は使用者に対して労働力を提供する義務を負いますが(民法623条,労働契約法6条),過労死するかもしれない程の量の労働をすることが労働契約の内容になっているとは考えられませんし,そのような労働を命じることは明らかに権利濫用です(労働契約法3条5項)。それに,仮に命令が適法であっても,その命令に抗っただけで直ちにクビになることは,ほぼありません(「客観的に合理的な理由を欠き,社会通念上相当であると認められない」解雇は無効です(労働契約法16条)。)。</p> <p>&nbsp;</p> <p>「大阪 兵隊 弱い」と言われながら,大阪の第4師団は終戦まで生き残りました。また,実際には,上でも書いたとおり,「大阪 兵隊 弱い」という話には根拠がありません。大阪の兵隊は弱いのではなく,強(したた)かだったのだと思います。</p> <p>弱いという噂など大概根拠のないものだと思いますし,だいたい,弱いと言われないことよりも,生き残ることの方がはるかに重要です。</p> <p>会社で労働の量が多すぎて,それでも「仕事だから仕方ない。」と思っている方,会社で「この程度の仕事もできないのか,弱い奴だ。」と言われている方など,時には強かな大阪の兵隊を思い出して頂ければと思います。</p> http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/114/entry/2430#comments あれこれ Wed, 14 Feb 2018 12:10:07 +0000 047907 2430 at http://www.osakaben.or.jp/blog 大塩平八郎の乱 http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/114/entry/2410 <p>弁護士の仕事をしていると,文献をコピーするために図書館へ行くことが時々あります。</p> <p>先日も,文献をコピーするために大阪市中央図書館へ行ってきました。文献のコピーを終えた後,図書館の中を歩き回っていると,「大塩平八郎の乱 180年」というコーナーを見つけました。</p> <p>ご承知のとおり,大塩平八郎の乱は大坂東町奉行の元与力・大塩平八郎が起こした騒乱で,発生したのは180年前の天保8(西暦1837年)だそうです。大阪弁護士会館の近くが騒乱の現場ですので,今日は「大塩平八郎の乱」について書くことにしました。大塩平八郎の紹介,騒乱の経過,さいごに現行法と大塩平八郎の乱について書いてみようと思います。</p> <p>&nbsp;</p> <p>まず,当の「大塩平八郎」について。</p> <p>彼は乱の7年前(文政13年,西暦1830年)まで大坂東町奉行の与力の職にありました。大坂町奉行は「遠国奉行」の1つで,大坂における行政権・司法権を有する官職で,その「与力」は奉行を補佐する官職であったことから,随分なエリート公務員であったようです。今様にいえば,税務署長・警察署長・地検の部長・地裁の部総括判事を全部兼ねるような人でしょうか。</p> <p>彼は与力を辞めた後,私塾・洗心洞を開きますが,やがて武器を集め,塾生に対して軍事教練を実施し,ついに乱を起こします。元・エリート公務員が首謀者となった騒乱ですから,それはもうエライことです。</p> <p>&nbsp;</p> <p>乱の経過は次のようであったと言われています。</p> <p>大塩平八郎,塾生及び付和随行者たち(以下「大塩ら」といいます。)は,洗心洞(現在は大阪市北区天満1丁目の造幣局敷地内)を出発し,近くの川崎東照宮(現在は滝川小学校)に放火,現在の谷町筋を南進した後,旧淀川(現在の大川ですが,流れていたのは現在の土佐堀通の道路が走っている所であったようです。)北岸を西に前進し,なにわ橋から大川を渡ります。当時のなにわ橋は現在と違って,堺筋ではなく一本西の筋(現在の大阪シティ信用金庫本店の東側の筋)に架かっていました。なにわ橋を渡った大塩らはその筋を南に進み,高麗橋通りで左折して東進しますが,その間に所在する豪商の屋敷に放火して回りました。大塩らが進んだ道に豪商の屋敷があったことは,現在の大阪美術倶楽部(旧・鴻池家)やThe Kitahama(旧・越後屋大阪店)などからもうかがい知れます。高麗橋通りを東に進む大塩らは東町奉行所(現在の大阪合同庁舎1号館あたり)を目指しますが,谷町筋辺りに布陣していた東町奉行所の部隊と衝突して,瞬く間に鎮圧されたそうです。</p> <p>こうしてみると確かにエライことではありましたが,騒乱自体は呆気なく鎮圧されてしまったようです。</p> <p>&nbsp;</p> <p>さいごに,現行法と大塩平八郎の乱について触れたいと思います。いちおう,弁護士会のブログです。</p> <p>大塩平八郎の乱は現行法を適用しても間違いなく犯罪になるでしょうし,今年ニュースを賑わわせたテロ等準備罪(組織犯罪処罰法6条の2,弁護士会のいう「共謀罪」)が成立するかもしれません。洗心洞の塾生は,遅くとも武器を集め軍事教練を始めた頃からはテロ等準備罪にいう「組織的犯罪集団」(同条)に該当する疑いがありますし,乱を「計画」(同)して,武器を集めるなどの「実行準備行為」(同)を行っている疑いも十分にあります。</p> <p>ここで,大阪弁護士会がいうようにテロ等準備罪という犯罪類型が 「あかんやろ!」 なのか否かについて議論するつもりは,毛頭ありません。ただ,1つ言えるのは,大塩平八郎の乱の経過を見る限り,騒乱を含む「重大犯罪」(同)を防止するためには,実体上の犯罪類型がどうであるかよりも,手続上の警察活動がうまくいっているか否かの方がはるかに重要であるということです。乱の経過を見たとき,大塩らが豪商の屋敷に放火して回る前に東町奉行所がこれを鎮圧することは,十分可能であったと思います。つまり,大塩らが洗心洞を出発し川崎東照宮に放火した時点で,<a href="https://www.google.co.jp/maps/dir/%E3%80%92540-0008+%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%8C%BA%E5%A4%A7%E6%89%8B%E5%89%8D%EF%BC%91%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%95+%E5%90%88%E5%90%8C%E5%BA%81%E8%88%8E%EF%BC%91%E5%8F%B7%E9%A4%A8/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E5%8C%97%E5%8C%BA%E5%A4%A9%E6%BA%80%EF%BC%91%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%92%EF%BC%94%E2%88%92%EF%BC%91%EF%BC%95+%E6%BB%9D%E5%B7%9D%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1/@34.6923654,135.514459,16z/data=!3m1!4b1!4m13!4m12!1m5!1m1!1s0x6000e72947fdc51f:0xd8c774514267f2b2!2m2!1d135.5193407!2d34.6886568!1m5!1m1!1s0x6000e6d6c627125d:0x5b799996b686bfbd!2m2!1d135.5192382!2d34.6962656">川崎東照宮と東町奉行所との間は,天満橋を挟んでわずか1㎞しか離れていません</a>。川崎東照宮での放火事件発生の報を受けた時点で東町奉行所が川崎東照宮方面へ向けて部隊を前進させていれば,統制が取れていない大塩らがなにわ橋を渡る前に乱を鎮圧することも十分可能であったはずですし,さらにいうと,日頃から情報収集を行っていれば,大塩平八郎が武器を集め軍事教練を始めた時点で彼を拘束することも可能であったはずです。実際,大塩平八郎の乱の約200年前に起きた由井正雪の乱では,実行行為に着手する前に首謀者全員を拘束し,又は自決させています。にもかかわらず,鎮圧が遅れたのは東町奉行所の警察活動が,日頃からの情報収集や部隊の練度維持などの面で不十分であったからにほかならないと思います。江戸時代も後半で,奉行所を含め幕府の力が弱っていたからでしょう。</p> <p>&nbsp;</p> <p>江戸時代後半の奉行所と比べて現代の警察は,はるかに優秀だと思います。優秀な警察に加えてテロ等準備罪を設けることは,</p> <p>屋上屋を架すだけで「あかんやろ!」(大阪弁護士会)なのか,</p> <p>TOC条約を締結し「テロを含む組織犯罪を未然に防止し,国際協力をより一層進める」(法務省)必要があるのか</p> <p>は私にはわかりませんが,少なくとも「重大犯罪」を防止するためにはテロ等準備罪を設けるか否かといった刑事実体法の問題よりも,手続上の警察活動に関する問題の方が重要であるように私は思います。</p> http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/114/entry/2410#comments あれこれ Mon, 27 Nov 2017 09:09:05 +0000 047907 2410 at http://www.osakaben.or.jp/blog