弁護士の放課後 ほな行こか~(^o^)丿 http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/36 ja 大阪地検の証拠隠滅事件 http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/36/entry/537 <p>  連日報道される大阪地検の証拠隠滅事件と犯人隠避事件。<br /> &nbsp;</p> <p>  ひとつは,大阪地検の特捜部検事が,自分の描いた事件の構図と整合しない証拠であるフロッピーディスクの更新日時を,都合の良い日時に改ざんした疑いがあるという事件であり,もうひとつは,フロッピーディスクを改ざんしたとの報告を受けた上司の検事が,「故意(わざと)ではなく,過失(うっかり)で書換えてしまったことにしよう」と決めて,部下と口裏を合わせて,検事正(大阪地検のトップ)らに虚偽の報告をして事件担当の特捜部検事の逮捕を免れさせた疑いがあるという事件です。<br />  この事件について弁護士である私はどのように感じるか。少し述べたいと思います。</p> <p> <br />  自分の立場と矛盾する証拠や不利な証拠というものは,刑事事件に限らず,民事事件ではよく見かけるところです。<br />  それを弁護士が改ざんして法廷に出すなどということは,およそ考えられません。<br />  まして,刑事事件では,そうした被疑者・被告人にとって有利な証拠が検察側によって改ざんされることで,無罪の人が逮捕され,処罰されることもあるわけですから,証拠改ざんのもたらす結果は,人生を左右するほど重大です。<br />  検事の証拠改ざん行為で人生が左右されてしまうなどというのは,考えただけでも腹立たしいし,身の毛がよだつほど恐ろしいことです。<br />  ですから,今回の担当検事の行為は断じて許される行為ではありません。</p> <p> <br />  しかし,私は,今回の報道を見ていて,問題となっている担当検事や上司の検事を非難するだけの気持にはなれません。弁護士は,刑事事件では検察官と対立し,ときには激しくやりあうこともあります。が,それはあくまで職務上のことであり,今回の事件報道を見て「ざまーみろ」などと思うことも一切ありません。<br />  むしろ,哀しくなる気持と,自分自身の身を引き締めなければという気持のほうが強くなります。</p> <p> <br />  担当検事は,おそらく「出世」や「昇給」をもくろんで証拠改ざんしたわけではないでしょう。<br />  職務に精励し,被疑者を逮捕した後も,集まってくる証拠とフロッピーディスクの日付が合わないために,取り返しがつかないことになったという焦りがあって,一線を越えてしまったのではないか。<br />  そういうギリギリの立場に追い込まれたときに,人間は弱いもので,視野が狭くなって行動を誤るということは,誰でもあり得るのではないか。<br />  わたしたち弁護士も,検察官のような「権力」は持っていませんが,ギリギリの判断を迫られる場面があります。そのときに依頼者の利益を考える余り,適正・冷静な判断ができなくなってしまうおそれがあります。特に複数の弁護士ではなく,単独で事件を任されているときは判断の適否を誤りやすいものです。<br />  今回の大阪地検の事件は,前代未聞の事件ではありますが,私も,わが身を振り返って,法曹としての信頼を損なわないよう身を律しなければならないと,あらためて感じるのです。<br />  そして,フロッピーディスクを改ざんしたのが事実ならば,少なくともそれを実行した担当検事は,法曹としての人生をここで終えなければなりません。<br />  第一線で活躍していた人が・・・。何とも哀しい結末です。</p> <p> <br />  余談ですが,今回のこの事件の報道を見ていますと,逮捕された検事(上司の検事を含めて)の供述や捜査の状況が手に取るように報道されていると思いませんか。<br />  そんな情報が一体どこから報道機関に流されているのでしょう。<br />  「特捜部検事が正直に事実を暴露しているのに,上司の検事は未だ理不尽な否認を続けている」。そう言わんばかりの報道だというのが私の印象です。</p> <p> <br />  果たして報じられているところが本当に事件の「真相」なのでしょうか(真相なのかもしれませんが(笑))。<br />  本来流されないはずの情報が大量にマスコミに流されているときは特に,真実を見誤らないよう,わたしたち情報の受け手は慎重になる必要があると思います。</p> http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/36/entry/537#comments 法律問題 Mon, 04 Oct 2010 10:49:29 +0000 026863 537 at http://www.osakaben.or.jp/blog 表現の自由って? http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/36/entry/334 <p> &nbsp;</p> <p> 向井です。</p> <p> 3度目の投稿です。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 前回,映画ザ・コーヴについて,書かせていただきました。</p> <p> この映画について,先ごろ,配給会社が,一部の劇場での上映を中止したと発表しました。</p> <p> 中止決定以外の劇場での上映が予定されているようですから,全面的な上映中止決定ではありませんが,ともかく数箇所について上映中止が決まったということのようです。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 私は,上映中止を報じる記事の見出しを見た瞬間,正直申しまして,かなり嬉しい気持になりました。</p> <p> しかし,直ぐに,「オヤ,これはおかしい」と思いました。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 問題は,上映中止の理由です。</p> <p> 報道によれば,配給会社の代表の自宅前で抗議活動がなされており,劇場に対しても強い圧力がかかり,上映に踏み切った場合に生じる不測の事態を配給会社側が懸念したというのがその理由だとか。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 私がこのイルカ映画に反感を持ったのは,一言でいえば,その映画が「文化や価値観の違いを認めようとしないものだ」と思ったからです。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 自分たちがまったく理解できない食文化がある。動物愛護や海洋資源保護などといった自分たちの価値観だけで物事を判断しようとして,イルカ漁と共に暮らしてきた人々の文化や生活を理解しようとしない。そのような,異文化に対する寛容性が全くない映画なのだとすれば,それはおかしいのではないかということです。</p> <p> &nbsp;</p> <p> しかし,力ずくでも映画の上映を阻止するべきだと私は言いませんでした。</p> <p> だって,価値観が異なる映画の表現を認めることが,まさに,「価値観の違いを認める」ということなのですから。</p> <p> こっちの価値観を相手方に押し付けて,相手から表現する自由を奪うというのでは,もはやこの映画の内容を論難する資格がありません。そうした行き過ぎた行動は,断じてやめなければならないと思うのです。</p> <p> &nbsp;</p> <p> もちろん,映画の内容を非難するのも表現の自由です。重要な人権です。「上映中止」をアピールすることが禁止されるべき理由などありません。</p> <p> だけれども,許容されるのは,相手が自主的に上映を止めるよう「説き伏せる」というところまで。相手が危害を恐れて表現できない状況にまで追い込むのは,表現の自由として度が過ぎているのではないでしょうか。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 太地町はくじら博物館など「観光」も,数少ない産業の一つです。その映画を上映することによって,太地町の観光産業が回復不可能なほどに決定的な打撃を受けるようなことも考えられます。それに,地元の漁師さんたちが,この映画がきっかけで日本中から奇異な眼で見られるようになったりしたら,そのダメージは計り知れないと思います。日本のテレビ局が同じようにイルカ漁を隠し撮りして報道するかもしれませんね。そうなったら,地元漁協は,この映画のためにイルカ漁を断念しなければならないという状況に追い込まれてしまいます。</p> <p> ですから,私も,是非,上映中止を検討して欲しいと思います。</p> <p> &nbsp;</p> <p> しかし,配給会社側がどうしても公開中止の要請には応じられないというのなら,上映もやむを得ません。そして映画を観た人の中から,「素晴しい映画だった」という人も出れば,「なんて偏狭的で押し付けがましい映画なのだろう」という批判的な意見の人も出てくる。上映されて以来,太地町が悲惨な目に遭っているという報道がなされるかもしれません。</p> <p> 映画に関するいろんな意見・報道が交わされることによって,映画の価値が,日本社会の中で正当に評価されるべきだと思うのです。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 日本人の大多数がこの映画に賛同するのであれば,それが今の日本人の価値観なのだということになるのだと思います(その場合でも私はあくまで少数派を貫きたいと思っていますが(笑))。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 表現の自由とは,誰もが受け入れられるような表現を認めることに意味があるわけではないと思います。そんなの当たり前のことです。</p> <p> 眉をひそめたり首をかしげたくなるような表現。明らかに価値観が合わない表現。どこに価値があるのか分からないような表現。</p> <p> そうした違和感ありまくりの表現を,可能な限り認めていくという点にこそ,重要な意味があると思うのです。</p> <p> &nbsp;</p> <p> もちろん,公表された表現は,他の言論や映像等によって徹底的に弾劾されたり非難されたりすることがあります。いったん公表された表現が,批判的な言論活動(あくまで『言論』ですよ)によって,価値の極めて低いものだと評価されることもあるのです。</p> <p> しかし,表現が公表されないと,そうした正当な評価を下すこともできません。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 今回のザ・コーヴは,「隠し撮り」という手段を使って,一般人(漁師)を撮影している点では非常におかしいと思います(だから,人物の特定につながるような映像は流すべきではないと思います)。</p> <p> ただ,「映画」という媒体をもちいて世論に問題提起しようとしているのであって,その表現方法や目的は正当なものだと思います。</p> <p> ですから「上映を止めよ。さもなくば妨害してやる」というところまで行くと,表現の自由の侵害だといわれても仕方がないと思うのです。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 一部上映中止は嬉しい(本音です)。</p> <p> でも今回の上映中止の理由はおかしいのではないか(こっちも本音です)。</p> <p> 複雑な私の心境です。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 「表現の自由」の意味を考えてみる良い機会なのではないでしょうか。</p> http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/36/entry/334#comments 本・映画・テレビ Fri, 11 Jun 2010 01:56:42 +0000 026863 334 at http://www.osakaben.or.jp/blog 太地町の「弁護人」 http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/36/entry/247 <p> 向井です。<br /> 2度目の投稿です。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 米アカデミー賞のドキュメンタリー賞を受賞した「ザ・コーヴ」。<br /> 日本のイルカ漁を隠し撮りし,それを「告発」する映画だそうです。<br /> 舞台は和歌山県太地町。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 実は,私,その太地町の生まれです。<br /> 育ったのは「すさみ町」というもっと田舎の町ですが。</p> <p> &nbsp;</p> <p> だから,このイルカ映画の話題を聞くと,物申したくなってしまいます。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 太地町もすさみ町も,太平洋に面した漁師町です。<br /> ほかにこれといった産業がなく,特に太地町は,鯨漁で地元の人が暮らしを維持してきた町だといえると思います。</p> <p> &nbsp;</p> <p> さてこの映画。報道によりますと,イルカを棒で突いて海面が真っ赤に染まる場面を撮影した映画であり,要するに,イルカの「虐殺」を告発するような内容だとか。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 太地町生まれの私は,いわば理屈を扱う弁護士という職業にありながら,反射的に,この映画に反発したくなります(ですから以下の文章はあまり論理的ではありません(笑))。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 太地町では,くじら漁やイルカ漁は,地域に古くから伝わるごく自然な漁であり,それらを食するのはごく当たり前の食文化です(だと思います)。<br /> みな,海を守り,自然の恵みを得て,自然に感謝するという生活をしてきました。<br /> この基本は今も変わっていないと思います。</p> <p> &nbsp;</p> <p> もちろん,いくら伝統であっても,それが人道に反したり,動物虐待とみなされるようないたずらな行為であれば,厳に戒められるべきことはいうまでもありません。<br /> また,絶滅の危機に瀕している種の保存のために,捕獲行為が禁じられることも,当然だと思います。</p> <p> &nbsp;</p> <p> でも,太地町のイルカ漁は,虐殺などと非難されるような,いたずらに残虐な行為なのでしょうか。</p> <p> &nbsp;</p> <p> そんなはずがありません。<br /> 人々が代々伝わる貴重な食材を確保し,暮らしを立てていくために行われている漁法の一つだと思います。<br /> 私は,この映画によって,太地町の人々の食文化,いや暮らしそのものを否定されたようで,とても悔しいのです。</p> <p> &nbsp;</p> <p> たいへん程度が低い反論になりますが,牛や豚や羊なら,食用に殺しても虐殺ではないのに,イルカだとダメだというのは,私には理解しかねる話です。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 太地町もそうでしょうが,和歌山の沿岸の漁師町には,魚の慰霊碑がたくさんあります。<br /> 中学生くらいになりますと,慰霊碑の意味も分かってきます。<br /> 私は,魚の慰霊碑を見て,子ども心に「魚さんを採ったから魚さんの霊を慰める」などというのは,チャンチャラおかしいことだと思っておりました。<br /> でも,「殺生するというのは,たとえ人間が生きていくためであっても,その生き物に対して申し訳のないことであり,やはりその霊を慰める,その上で新たな漁をさせてもらう」という謙虚な気持で漁をする。<br /> 私も,大人になって,魚の慰霊碑の見方が変わりました。<br /> イルカは魚ではありませんが,海の恵みに感謝しながら漁を行うという点では魚と同じはず。<br /> 太地町にも,慰霊碑があると聞きます。<br /> それが,一方的に,「漁協は害獣駆除のためにイルカ漁を行う」などと報じられる。<br /> 少し,いや,かなり,おかしいと思うのです。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 例えば「羊」を殺すシーンを撮った映像を見たら,「ラムステーキ」は食べづらくなるはずです。「馬」だってそうではないでしょうか。殺害シーンを見たら「馬刺」はもう食べられません。<br /> 羊でも,馬でも,雉でも,鴨でも,それらを殺すシーンをまともに撮ったら,それはもう見るに耐えない扇情的な映像になるのが,当然ではないでしょうか。</p> <p> &nbsp;</p> <p> アカデミー賞作品対太地町(又は太地の漁協?)。<br /> 世界的を動かす米メディアや日本のメディアは,この作品を大々的に報じてきました。<br /> 小さい小さい太地町(又は漁協)に勝ち目は・・・。</p> <p> &nbsp;</p> <p> メディアに出れば出るほど世間の注目を集めてしまうがゆえに,メディアを通じて反論することができない地元の漁師さんたち。<br /> 彼らの震えるような憤りと悲しみを感じるのです。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 因みに,私は,高校卒業まで,寝床にいても波の音が聞こえる,とても自然豊かな地域で,自然と共に暮らしてきました。(家の裏が山。家の前が海でした。ちなみに川は家から数十メールで行けます。)<br /> 理屈ではなく,自然がどういうものなのか(自然がどのように変化するものなのか,どれだけ怖いものなのか)を,肌で感じることについては,みなさんに負けないと自負している,「自然保護派」の人間です。</p> <p> &nbsp;</p> <p> だけれども,今回のイルカ映画には,どーにも,アレルギー反応が出てしまいます。</p> <p> &nbsp;</p> <p> もちろん,私の個人的な意見には山ほど,「論理的」な反論があると思います。<br /> 私の記述に事実誤認があるかもしれません。<br /> ただ,和歌山の太地町で生まれた私は,今回の映画について太地町を「弁護」したくなるのです。</p> http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/36/entry/247#comments 本・映画・テレビ Sat, 03 Apr 2010 06:19:22 +0000 026863 247 at http://www.osakaben.or.jp/blog 変革のとき http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/36/entry/142 <p> 現政権は,「官僚主導から政治主導へ」と言っています。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 明治以来,官僚が国を動かしてきたと言っても過言ではない日本で,</p> <p> 脱官僚主導を旗印にした政権は珍しいのではないでしょうか。</p> <p> これに限らず,昭和20年の敗戦から65年を経て,</p> <p> 絶対的だと思われてきた価値観が徐々に見直されているような気がします。&nbsp;</p> <p> 日本社会全体が,けっして急激ではありませんが,</p> <p> 大きな,「変革」の時期にさしかかっているのではないでしょうか。</p> <p> <br /> 弁護士業界も,合格者の増員や隣接士業の同業参入</p> <p> (過払金のコマーシャルを見てください)など,ここ10年間で,</p> <p> 大きく様変わりしつつあります。</p> <p> こうした変動期では,既存の概念や利益が壊されるわけですから,</p> <p> 当然に摩擦が生じます。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 弁護士会も揺れています。</p> <p> 図式化していえば,ここ十数年来推し進めてきた「司法改革」は</p> <p> 間違いだとか行き過ぎだとしてマイナス評価する意見と,</p> <p> これを押し進めようとする意見の対立です。</p> <p> <br /> みなさんご存知の司馬遼太郎の小説「翔ぶが如く」は,</p> <p> 明治創成期の「官」と「旧士族」の対立を描いた作品と</p> <p> 見ることもできると思います。</p> <p> &nbsp;</p> <p> 明治維新で既得権益を失った武士階級の新政権に対する</p> <p> 恨み・反感はどれほど強烈なものだったのでしょう。</p> <p> 沸々とした不満エネルギーが充満し,最後は薩摩が火を噴きます。</p> <p> 明治国家は,激動の10年を経てようやく近代国家としての道を</p> <p> 歩み始めたと捉えられなくもないでしょう。</p> <p> <br /> だれでも変革は嫌です。私も正直,嫌です。</p> <p> ただ,ある業界が,漫然と同じ事を続けていって</p> <p> 生き延びられるほど現代社会は甘くないのでしょう。</p> <p> どこかで,なんらかの変革(改革といった生易しいものではなく</p> <p> もっと大きな変化)が必要になるのでしょう。</p> <p> &nbsp;</p> <p> もちろん,その変革の内容やスピードが問題なのですが,</p> <p> 弁護士・弁護士会は,そうした変化に柔軟に対応し,</p> <p> 市民のみなさんの理解を得ながら,歴代の先輩方が築いてきてくれた</p> <p> 弁護士への高い評価を発展させていく必要があると思うのです。</p> <p> &nbsp;</p> <p> そのために,弁護士はテレビに出たら良い。</p> <p> 政治家にもなったら良い(国会だけでなく地方議会も)。</p> <p> 民間企業にも浸透していく。</p> <p> どんどん世間に出て行って,みなさんにとってさらに身近な存在に</p> <p> なれれば良いと思います。</p> <p> &nbsp;</p> <p> このブログも,ささやかですが,その方法の一つだと思っています。<br /> 登録10年目弁護士の放言でございました。<br /> &nbsp;</p> http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/36/entry/142#comments 大阪弁護士会、弁護士のこと Wed, 24 Feb 2010 15:00:00 +0000 026863 142 at http://www.osakaben.or.jp/blog