1 公益通報者保護制度自体は必要
民間事業者だけでなく公的部門においても、さまざまな不祥事が内部告発を契機に報道されることによって、社会的な関心事となり、是正が図られている。こうした公益に関する内部告発(公益通報)が公益の擁護を図り、国民の知る権利に応えるものとして社会に不可欠であることは、今日、広く社会的に認識されている。このような公益通報を理由とする解雇等不利益処分から通報者を保護する制度が必要とされ、国際的にも英国や米国などで制度化されている。
2 制度設計によっては却って公益通報を抑制するおそれ
しかし、同時に公益通報者保護制度は、2002年度国民生活審議会消費者政策部会や同部会の公益通報者保護制度検討委員会における審議でも明らかにされてきたように、その保護要件の制度設計によっては、これまでの保護のレベルを引き下げることにもなりかねない。2003年5月に国民生活審議会消費者政策部会が発表した報告書「21世紀型の消費者政策の在り方について」(以下「報告書」という)においても、これに盛り込まれた公益通報者保護制度(以下「審議会案」という)の通報の対象や保護の要件が厳しいとの批判が相次いだことから、「本制度の対象とならない通報については、一般法理に基づき、個々の事案ごとに、通報の公益性等に応じて通報者の保護が図られるべきであり、制度の導入により反対解釈がなされることがあってはならない。」と付言された経緯がある。また、司法救済の結果だけでなく、本制度化の本来の趣旨に照らせば、公益通報をしようとする者への心理的影響にも十分配慮しなければならない。少なくとも、本法案による制度化によって公益のために意義ある通報をしようとする者を萎縮させることがあってはならない。
3 当会のこれまでの意見
当会は、2003年8月5日、上記報告書による審議会案に対し、公益通報を現在よりもむしろ制限する懸念が強く、公益通報者保護制度として極めて不十分であること等を指摘し、対案を示した意見書を策定し、さらに、同年12月12日に内閣府国民生活局が公表し意見募集を行った「公益通報者保護法案(仮称)の骨子(案)」(以下「本法案骨子」という)に対し、2004年1月13日、上記審議会案よりもさらに公益通報者保護にとって後退したものであること等を指摘する「公益通報者保護法案(仮称)の骨子(案)に対する意見書」を公表してきた。
4 本法案(政府案)の問題点
ところが本法案には、本法案骨子よりもさらに後退した点がみられ、上記当会意見書で指摘してきた多くの問題点を今なお抱えるものであるが、そのなかでも、最低限下記の3点が修正されなければ、現在よりも公益通報者の保護水準を切り下げ、却って公益通報を抑制するおそれがあるので、この点を十分検討すべきであり、拙速に本法案を成立させてはならない。
5 最低限修正すべき内容
(1)通報対象事実について
審議会案では、保護される通報対象事実を「消費者利益の侵害、人の健康・安全への危険、環境への悪影響に関する規制違反や刑法犯などの法令違反」としていたが、本法案では、第2条第3項で「通報対象事実」の定義として「一 個人の生命又は身体の保護、消費者の利益の擁護、環境の保全、公正な競争の確保その他の国民の生命、身体、財産その他の利益の保護にかかわる法律として別表に掲げるもの(これらの法律に基づく命令を含む。次号において同じ。)に規定する罪の犯罪行為の事実」「二 別表に掲げる法律の規定に基づく処分に違反することが前号に掲げる事実となる場合における当該処分の理由とされている事実(当該処分の理由とされている事実が同表に掲げる法律の規定に基づく他の処分に違反し、又は勧告等に従わない事実である場合における当該他の処分又は勧告等の理由とされている事実を含む。)」と定め、別表に掲げられた法律は、刑法等7つの法律及び政令で定めるものとされている。これでは、限定的に列挙される法律のうち犯罪行為となるもの、及び、行政処分を経て最終的に刑罰で強制される規定の違反のみが対象とされ、極めて狭い範囲に限定されている点で大きな問題がある。当会は、審議会案が「規制違反や刑法犯などの法令違反」とするのも狭きに失するとして反対してきたが、本法案はこれをさらに処罰に結びつくもののみに狭く限定したものとなっており、しかも、政治資金規正法、公職選挙法、税法等については、国民の生命、身体、財産の利益保護にかかわる法令ではないとのことで対象外とされている。
本法案のような限定を加えれば、そもそも対象から外された法令の違反のほか、処罰規定による裏付けのない法令違反や、形式的には法令違反に該当しない国民の生命・身体・財産等への侵害や危険、民事不法行為上の違法行為等はいずれも本制度の対象外となる。例えば、雪印乳業事件で問題となった総合衛生管理製造過程の承認を受けた製造過程の無断変更、日本では禁止されていないが外国で安全性に問題があるとして禁止されている食品添加物の使用、外国で危険性が認識され禁止されている医薬品の使用(過去の例では薬害エイズ事件を発生させた血液製剤など)、株主総会対策として株主でない暴力団やその関連企業に対してなされる利益供与、商品取引員が委託者に対して組織的に無意味な反復売買を繰り返して損害を与えている場合等、本法案では公益通報の対象外とされる例は枚挙に暇がない。また、個々の通報対象事実が、行政処分を経て最終的に刑罰で強制される規定違反に該当するか否かの判断は、法律の専門家であっても容易ではなく、ましてや労働者にとってその判断は至難の業である。
本法案のように通報対象事実を限定すれば、本法案によって創設される公益通報者保護制度が公益の擁護に役に立たないだけでなく、これまで一般法理により保護されてきた通報対象の多くのものが本制度の対象外となることから、逆に意義のある通報を萎縮させることになり、「公益通報制限法」として機能するものと言わざるを得ない。
英国公益開示法では、「犯罪事実」に限定しないことはもとより、民事法も含めた「法的義務違反」、「個人の健康や安全に対する危険」、「環境破壊」さらに「これらの事項に関する情報の隠匿」を対象としているのは、そうでなければ公益通報を公益のために活かすことができないからである。わが国においても、この英国公益開示法にならい、通報の対象に、広く一般人が不正不当と考えるところを盛り込むべきである。
(2)通報先について
第2に、本法案では、規制権限を有する行政機関以外の外部への通報について、保護対象となる通報先を限定している。通報対象が犯罪行為及び最終的に刑罰で強制される法令違反にかかる場合においてすら、「当該通報対象事実を通報することがその発生若しくはこれによる被害の拡大を防止するために必要であると認められる者(当該通報対象事実により被害を受け又は受けるおそれがある者を含み、当該労務提供先の競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがある者を除く。
)」(第2条、第3条第3号)としているのである。
報告書では「相当な通報先」とされていたが、本法案では、当該通報先への通報が「被害発生・拡大の防止に必要」であることを保護要件に加えている。内閣府の担当官は、本法案骨子の段階で「報道機関や消費者団体など、犯罪行為等の事実の内容等に応じて様々な主体が考えられる」と説明したが、一般的可能性を述べるに過ぎず、立法後、規制権限を有する行政機関以外の通報先が認められにくい方向で解釈される懸念がある。また、通報者に、当該通報先に通報することが被害の発生拡大の防止に必要であるということの立証負担を課すことになり、外部通報を極めて限定する結果をもたらすので、極めて不当である。
また、通報先として除外される「当該労務提供先の競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがある者」は、審議会案にはなかった要件である。本法案骨子の段階での内閣府の担当官の話では、暴力団や競争会社は含まれるが、報道機関や消費者団体は含まれないとのことであるが、文言上広く解釈されるおそれがあり、要件としては削除すべきである。
なお、英国公益開示法では犯罪行為に限定しないことはもとより、問題が継続していること又は将来生じる可能性が高いことだけでなく、通報先や問題の重大性などをすべての事情を考慮して通報を保護するか否かを判断していることと比べても、本法案は保護される通報を極めて限定したもので、外部通報をほとんど認めないというに等しい。
(3)外部通報の要件について
第3に、本法案は、外部通報の要件として、意見の趣旨記載のイ〜ホの各要件のいずれかに該当する場合にのみ、保護されることとしている(第3条第3号)。
しかし、かかる限定をするのは次のとおり非常に問題である。
まず、犯罪行為等の場合においては、イ、ロの危険性は常にあるが、公益通報の正当性が訴訟で争われた際に、通報者において、通報時に将来不利益取扱いや証拠隠滅が行われたはずであると信ずるに足りる相当の理由があったことを立証することは極めて困難である。
ハの要件は、このような規定がある場合に、労務提供先があからさまに口止めをすることは考えられず、却って陰湿な暗黙の圧力が加えられることを助長するおそれがある。
ニの要件には多くの問題がある。1.)まず事業者内部へ通報した場合について定めるだけであり、行政機関への通報後にその取扱いの如何にかかわらず外部への通報への道が開かれていない。2.)事業者内部への通報においても、書面による顕名を要求されるため通報者には萎縮効果をもたらすことになる。3.)労務提供先において、一応調査する旨20日以内に回答してその後放置した場合には、通報者は外部へ通報できないことになる。この場合は一応「正当な理由がなくて調査を行わない場合」に該当する可能性があるが、本法案では通報を受けた事業者には調査状況や調査の結果を回答する法的義務はない(第9条は単なる努力義務にとどまり、通報の要件ともリンクしていない)ので、調査せずに放置されていても、通報者は、そのことを知ることはできず、結局通報できないことになる。また、一応調査したが犯罪事実等を確認できないと事業者が回答した場合も、外部への通報の道が開かれていない。審議会案では事業者内部や行政機関に通報した後相当期間内に通報の対象となった事業者の行為について適当な措置がなされない場合には外部通報の道が開かれていたことに比べて大きく後退しており、極めて問題である。
ホの要件は、人の生命・身体に急迫した危険がある場合というのであるから、極めて希有なケースである。
結局、本法案で限定的に列挙されている通報要件のもとでは、事実上、事業者内部または規制行政機関への通報以外にほとんど通報できないといわざるをえない。本法案では犯罪行為等のみを通報対象事実としており、前記イ〜ホの要件を課すことの不当性は一層明らかである。
公益通報者保護制度が、事業者のコンプライアンスの確保及び消費者の知る権利に資するという目的を果たすためには、事業者内部や行政機関に対する通報だけでなく、その他事業者外部への通報も広く保護の対象とされる必要がある。
本法案の外部通報の保護要件は、結局、公益通報者によって提供される情報を事業者内部と行政機関のみに集中させるしくみである。しかし、わが国の企業風土の現状からすれば、事業者内部に通報をすれば事業者から有形無形の圧力を受けるおそれがあり、わが国の行政システムの現状からしても、東京電力事件の例にみられるように、行政機関への通報に対して、行政が迅速適切に対応することを期待することは困難と言わざるを得ない。行政機関以外への外部への通報が保護されるシステムがあってはじめて、事業者内部や行政機関への通報に対する適切な対応が確保され、また適切に処理されるよう監視することが可能となるのであり、とりわけ、マスコミへの通報が必要に応じて保護されることが不可欠である。
本法案のように、行政機関以外の外部への通報の保護要件を具体的かつ限定的に規定し、要件を充たさない外部への通報が保護されない制度を設けることは、むしろ公益通報者を萎縮させることにつながり、公益通報者保護制度を設ける制度目的に反するものである。
したがって、外部通報の保護要件としては、上記イ〜ホの要件の他に、これに付加して「イ〜ホのほか、通報の対象となった事業者等の行為の内容、人の生命・身体・財産・消費者利益・環境の保全・公正な競争の確保その他の保護法益への侵害又は危険の程度、通報先、通報者がその外部通報先に通報するに至った事情等を考慮し、当該外部通報先への通報が相当であること、又は通報時において相当であると信じるに足る合理的理由がある場合」という一般的保護要件を設けて、イ〜ホ以外の場合にも保護される余地を残すべきである。
6 最低限上記3点の修正がなければ、通報者保護にとって改悪である
審議会案においては、保護の対象・要件が狭く、このような要件のもとでは現行法のもとでの保護の水準を切り下げることになりかねないとの批判が相次いだことから、報告書には「なお、本制度の対象とならない通報については、一般法理に基づき、個々の事案ごとに、通報の公益性等に応じて通報者の保護が図るべきであり、制度の導入により反対解釈がなされることがあってはならない。」との記載が挿入されていた。本法案の第6条に解釈規定として「前三条の規定は、通報対象事実に係る通報をしたことを理由として労働者又は派遣労働者に対して解雇その他不利益な取り扱いをすることを禁止する他の法令の規定の適用を妨げるものではない」「第三条の規定は、労働基準法第一八条の二の規定の適用を妨げるものではない」という規定が置かれているのも、同様の趣旨である。
このような解釈規定は無いよりあった方がよいが、仮にこのような規定を置いたとしても、労働者が公益に関する事実を事業者外部に通報したことに対する解雇や不利益取扱いの有効性が争われた事案について、従来の裁判例は、真実相当性があれば保護するものから、それに加えて事業者内部での改善の努力を尽くしたこと等を要求するものまであり、また、個別事案によるところも大きいといえる。このような状況下で、今回の公益通報者保護法によって、通報対象事実が犯罪行為等であっても本法案のような限定された通報先に極めて限定的な要件のもとで通報した場合にのみ保護されることが法定されれば、通報内容が犯罪行為等に該当しない法令違反や、国民の生命・身体に危険を及ぼす行為であるが該当する法令を欠いている場合には、裁判所においても、上記限定要件と同様か、さらに厳しい要件を求められることになることが大いに懸念される。
したがって、従来の一般法理による保護の水準を切り下げないためにも、最低限、上記3点の修正は必要不可欠であり、この点を修正されなければ本法案には反対である。