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 淀川水系流域委員会「中間取りまとめ」に対する意見書

大阪弁護士会


【意見の要旨】
淀川水系流域委員会は、その「中間とりまとめ」の中に、以下の内容を盛り込むべきである。

  1. 河川管理者は、現行の治水計画の前提となっている基準(基本高水流量、計画高水流量等)及び利水計画の前提である水需要予測について、流域住民らが議論に参加できるように、その基礎資料や設定手法に関する資料を全て公開し、住民参加のもとで、その手法及び設定値の妥当性につき再検討を行うこと。

  2. 河川管理者は、河川整備計画策定にあたっては、第1項の見直しを含め既存のダム計画を再検討し、ダムに依らない治水計画案を含む複数の案を提示した上で、住民参加による議論を行うこと。

  3. 河川管理者は、ダムの与える影響の重大性、不可逆性に鑑み、以上のような検討がなされるまでの間、計画中及び建設中のダム建設事業については一旦凍結すること。

  4. 住民参加のあり方としては、治水、利水、環境その他の分野に関し専門的な知識のない者に対しても、当該争点の対立点(判断における分岐点)を容易に認識し判断することができるよう工夫すること。特に、NPOに対しては、できるだけ多くのNPOに対し、意見を諮問し、これを基に具体的な対話を行うこと。

【意見の理由】
第1 はじめに

  1. 淀川水系流域委員会が設置された経緯

    (1)平成9年度の河川法改正によって、国土交通省は、河川を管理するについて、「河川整備基本方針」(以下「基本方針」)と「河川整備計画」(以下「整備計画」)を定めなければならず、また整備計画の案を作成するについては、学識経験者の意見を聞かなければならないものと定められた。

    整備計画には、今後20年乃至30年間の具体的な河川工事の内容が定められることになっており、最も大規模な河川工事であるダム建設も整備計画の中で定められる。

    河川法が、このように改正された背景として、これまで河川はもっぱら治水(洪水防止)、利水(水資源の開発)の対象としてのみ扱われ、環境という視点は全く無視されてきたこと、治水・利水は河川管理者が行うべきことであり、流域住民の意見を河川行政に反映する必要はないとされてきたこと、他方において、ダム建設は環境に対する重大な負荷と認識されるようになったこと、長良川河口堰問題を直接の契機として、これまでの河川行政のあり方、特にダムや河口堰などの大規模構造物の建設に関し、手続の透明性や計画の合理性などについて国民から大きな批判が寄せられ、河川管理者は重大な反省を迫られたことなどを上げることができる。

    (2)淀川水系流域委員会(以下「流域委員会」という)は、上記の河川法改正をふまえて、近畿地方整備局が淀川の整備計画案を作成するについて、これに対する学識経験者としての意見を述べることを目的として設立されたものである。

    そして、淀川の整備計画原案には、丹生ダムその他のダム建設計画が含まれるものと予想されるところ、上記の河川法改正の経緯と趣旨からすれば、流域委員会の任務の眼目は、治水・利水及び環境の視点からダム建設計画に対する意見を述べることにあると考えられる。

  2. 本意見書の目的

    本意見書の作成者(大阪弁護士会)は、同会の公害対策・環境保全委員会を中心として、これまで河川行政のあり方について問題意識を深め、主として環境保全と住民参加の視点から河川行政に対する積極的な提言を行ってきた。

    今般、流域委員会は、整備計画原案に対する基本的な考え方を取りまとめた「中間とりまとめ」を作成した。本意見書は、上記の問題意識に基づき、「中間とりまとめ」に対する意見を述べることにより、もって適切な整備計画原案の策定に資することを目的とする。

第2 河川とダム

  1. 河川の役割

    河川は、「中間とりまとめ」でも指摘されているとおり、山と海を結ぶ回廊としての機能を担っている。

    具体的には、山を侵食して土砂を下流に運び、これを河口に堆積させて、海辺の砂浜やさらに長い期間で見れば平野を形成するという役割であり、あるいは、流域に降った雨水を集めて上流から下流へ流し、海まで運び、蒸発作用によって再び雨水になった水を集めて流すという水循環の回廊としての機能もある。

    さらには、河川を流れる様々な無機物、有機物が生物の餌となり、その生物がさらに他の生物の餌となるという食物連鎖を通じて循環し、下流に流れたものが魚類の遡上や鳥類によって再び上流に運ばれるという仕組みを通じて一つの自然生態系を形成する場となっている。

  2. ダムの弊害

    ところが、ダムが建設されると、その工事自体が直接的にダム計画地とその周辺の清流や渓谷といった自然環境を破壊する。また、ダム計画地を棲息の場とする動植物、鳥類の棲息域を破壊し、その周辺の生態系にまで悪影響を及ぼす。

    例えば、ダム建設工事そのものによる土砂の流出により、直接的に河川の水質の汚濁化を招き、河川がもともと有する希釈、酸化、沈降、生物分解等による自浄作用のメカニズムを破壊して、河川の水質汚濁化を招く。

    また、ダムは、河川の土砂の流れを断つことにより、ダム上流では土砂の堆積による河床の上昇、ひいては洪水位の上昇や洪水範囲の拡大をもたらし、ダム下流では河床の低下とともに海浜への土砂の供給の減少から海岸の浸食をもたらす。さらに、ダム上流部から流掃してきた土砂をダム湖に沈積させて堆砂問題を引き起こす。ダムは、もともと、設計時には計画堆砂量を想定し、100年という使用予定年限が定められているが、実際の堆砂量は計画堆砂量を上回る例がほとんどであり、使用予定年限が来る前にその機能を喪失してしまう可能性がある。

    ダムは、水流を遮断し、魚類等の遡上をほとんど不可能にして、上流から下流まで一体となった河川の生態系を破壊する。また、ダムは、それを境にして下流の水温の上昇または低下をもたらすから、その変化によって自然の生態系に影響を与える。水質の汚濁化による生態系の破壊もある。

    このように、ダムが河川の生態系に与える影響によって河川に棲息する生物の種が減少し、豊かな生物相が失われる。これによって、また自浄作用が失われ、さらに水質の汚濁化を招くという悪循環に陥ることになる。

    以上のように、ダム建設による影響は甚大であり、しかもこれらの影響は、不可逆的である。一旦ダムが建設されると、原状を回復することは不可能である。

  3. ダムは真に必要か

    (1)ダムは、従前、治水・利水といった目的をもって建設されてきたところ、このような目的のために建設されるダムが、前述のようなダムの弊害を越えるような目的に適った利益を社会にもたらすのであれば、その建設もやむを得ないかもしれない。

    しかしながら、問題は、上記目的にとって真にダムが必要なものであるのか、その必要性について民主的かつ科学的に厳格な検討がなされてきたかである。

    残念ながら、このような厳格な検討はこれまでなされてこなかったというのが我々の結論である。

    (2)例えば、現在の治水計画は、河川砂防技術基準(案)に拠って策定されている。同基準は、各河川における計画の規模、例えば200年に1回、100年に1回といった確率の洪水に対処できることを念頭において、いわゆる基本高水、計画高水を決定し、これに基づいて治水計画を策定することとしている。

    ところが、この確率規模の考え方や基本高水、計画高水の設定について、それらが適正、妥当なものであるのかどうか疑問が出されている。すなわち、これらの数値等の設定については、民主的かつ科学的な検討がなされておらず、真に適正な基準に基づいて治水計画ひいてはダム建設が進められてきたかどうかが問題視されているのである。

    また、従来の水資源開発行政においては、水需要が将来にわたって増大するという予測のもとに、その増大分を確保する必要があるということからダム建設を行ってきた。

    しかしながら、多くの水需要予測については実績がそれらを下回っている。そして、従来の水需要予測は、将来における水需要の増加について極めて過大な数値を設定してきたのではないかとの疑問が呈されている。

    (3)国土交通省(元建設省)は、平成7年度から「ダム等事業審議委員会」(以下「ダム審議委員会」)による見直し(以下「ダム審議委員会方式による見直し」)を開始し、平成10年度からは「公共事業の再評価実施要領」に基づく見直し(以下「再評価実施要領による見直し」)を開始した。

    しかしながら、これらの見直しは、いずれも事業官庁が設置したり或いは自ら見直しを行うという点において、そもそも中立性と公正さに問題があり、また実際に見直しを行う委員(ダム審議委員会、評価監視委員会とも)の選任手続も、偏頗的或いは不透明であり、見直しの手法としても客観的かつ科学的な見地にたったものであるとは評価しがたいものであった。さらに、見直し手続に住民意見を反映させる制度的保障も、全く無いか、無いに等しいものであった。

    このように、既存の見直し手続は、公正かつ中立な観点から、住民参加のもとに事業の必要性や合理性等について、客観的かつ科学的に事業の見直しを実施したとは評価できないものである。

    公共事業は、どのような事業も、国民の財政的負担において、真に豊かな国民生活を実現することを目的とするものであり、ダム建設等の事業においても、全く同様である。従って、ダム建設事業についても、その事業の必要性があるか、更に必要性があるとしても、その事業が弊害を越える利益を社会にもたらすといった合理性を有するかの検討を、民主的かつ科学的な手続において行うことが必要である。

    特に、ダム建設事業については、長期化するケースが多く、その過程で社会状況や経済状況は変化していくから、事業計画策定時だけでなく、事業計画策定時から一定期間ごとに、事業の必要性、合理性などの観点から見直しを実施し、事業の中止も含めた検討を行うことが必要である。

    国土交通省(元建設省)が、ダム建設事業について、ダム審議委員会方式による見直しや再評価実施要領による見直しを開始したのも、このような認識に基づくものであろうが、前述のように、これらの見直し手続は適正なものとは言い難く、むしろ事業者の結論を追認するだけの手続になってしまったというのが実情である。

    (4)以上の点をふまえ、本意見書においては、ダム建設事業の是非について、判断の枠組みを提示する。

    まず、治水計画の前提である基準(基本高水、計画高水等)や利水計画の前提である水需要予測等につき、その妥当性が科学的、民主的に検討されなければならない。河川管理者は、ダム建設の必要性に対する上記疑問を払拭するだけの十分な資料(基本高水流量や計画高水流量並びに水需要予測等の基礎資料や設定手法に関する資料)を公開し説明を行う必要がある。

    その中で、既存のダム計画を見直し、まずはダムに依らない治水計画を提示する必要がある。そして、その他の代替案の検討も含めた議論が、住民参加のもとでなされなければならない。この代替案の検討においては、自然環境に与える影響を最大限に考慮し、経済的な負担等の視点を含め多角的な検討がなされるべきである。

    そして、前述したように、ダムの与える影響の重大性、不可逆性に鑑みれば、ダムの建設は慎重に検討されなければならず、以上の検討がなされない以上、現在計画中及び建設中のダム建設事業については、一旦凍結をすべきである。


第3 「中間とりまとめ」に対し

  1. 現状認識について

    (1)委員会版「中間とりまとめ」は、「1.現状とその背景」を概括的に整理し、当面の目標である「河川整備計画」を策定する上での「変革の理念」を掲げ、その理念を具体化するものとして、「基本的な視点」「整備計画の方向性」「整備計画策定のあり方」等を順次整理していくという構成をとっている。

    しかしながら、この「中間とりまとめ」の現状認識は、全体として現状分析ないしは歴史的分析を徹底せずして、理念を唐突に掲げている感がある。その叙述は、客観的・第三者的過ぎるものがあり、変革すべき「現状」を招いたのは誰か、そのような現状になるのをどうして回避できなかったのか、現状に対する異論が出ていたとすればその異論が何故反映されなかったのか、等について掘り下げた分析がなされていない。変革すべき「現状」を形成した政治的、社会的、経済的要因を具体的に分析し、河川行政の具体化のいかなる段階で変革すべき「現状」に向わせる分岐点があったのかということをえぐり出すことが重要なのである。さもなければ、せっかく変革の理念を掲げても、その理念は十分な現状分析を踏まえない空疎なものとなり、理念の具体化の場面において、時々の優勢な政治的、社会的、経済的勢力によってねじ曲げられることになりかねない。

    (2)また、「中間とりまとめ」は、従前の河川工事が真に必要なものであったのか、その必要性或いは有効性について疑問のある河川工事がなかったのか、を検証するという視点を欠いている。

    例えば、「1.現状とその背景」において、「治水面では、人工的に洪水を調節する一方で・・・その結果、一定規模までの洪水に対して氾濫の頻度は減少した」とするが、その具体的な効果については、何ら触れてはいない。また、「利水面では・・・多くの水を・・・供給することが可能となった」とあるが、これについても、従前の水需要予測と現実とのミスマッチに対する検証がなされていない。

    これまでに、あまりにも必要以上にダム・堰等を造ったのではないかといった疑問に対し何ら答えてはいないのである。

  2. 治水関連

    (1)治水計画の枠組み
    現在の治水計画は、既述のように、1958年以来、「河川砂防技術基準」(1976年以降は「河川砂防技術基準(案)」とされている)に拠って策定されている。同基準は、各河川の計画規模、すなわち淀川であれば200年に1回程度の洪水に対処できることを念頭において、基本高水(ダムや遊水池などの貯留施設による調整がなければ自然に流下することになる洪水量)、計画高水(計画対象規模の洪水、すなわち基本高水が発生した場合、ダムなどで計画一杯に貯留調節されたのちに下流の河道地点を通過する洪水量)を決定し、これに基づいて治水計画を策定することとしている。ここでは、上流のダム群でまず洪水流量が調節されることが当然の前提とされているのである。

    (2)治水において議論されるべき内容
    前述のとおり、平成9年の改正により、河川法の目的には従来の「治水」「利水」に新しく「河川環境の整備と保全」が加えられた。この背景には、戦後、高度成長期以来のほんの数十年の間に、我が国のほとんどの河川がその渓流を破壊され、流量を減らされ、清流と豊かな河川生態系を失い、単なる濁水路と化してしまったことに対し、80年代後半頃から、その元凶が上流のダム群の存在であることが認識されはじめ、無駄なダムや河口堰建設に対する住民の反対運動が盛り上がったという世論の流れがあった。河川法改正は、従来の「治水」「利水」しか考えない河川管理の在り方に「河川環境の整備と保全」からの反省を迫る社会的意思決定だったのである。

    流域委員会は、整備計画案に対する意見を言う改正河川法上の機関であるところ、そこで治水計画を論じるとすれば、従前の治水計画において、合理的な根拠に基づいた計画が立てられてきたか、河川環境保全を蔑ろにした行き過ぎはなかったか、ひいてはダムや堰の是非についての議論が期待されているのである。前記のとおり、現行の治水計画の枠組み(河川砂防技術基準(案))では、計画規模(確率年のかたちで決定)から先ず基本高水を定め、これを上流のダム群で貯留して洪水調整し、これを前提として計画高水が定められる。従前の治水計画では、基本高水、ダム、計画高水の全体が、治水システムとして機能することが期待されており、一体のものなのである。従って、従前の治水計画を見直すということは、ダムの要否の議論を避けて通れず、ダムの是非を問うことも、必然的に基本高水、計画高水の設定の合理性(設定手法や基礎数値の妥当性など)について検証する議論を避けて通れないのである。特に、現行の基本高水の決定方法については、不確定要素が介在することが避けられず一義的・客観的にその数値を決定することはできないとの指摘があり、その合理性について検証が必要である。

    なお、改正河川法では、基本高水や計画高水は河川整備基本方針で定められ、流域委員会は同基本方針の下位計画である整備計画にしか意見が言えない関係となっているが、本河川管理者の態度は、基本高水や計画高水についても流域委員会の意見を反映して策定するものと表明しており、これらを議論するについて支障はないはずである。

    (3)中間取りまとめについて
    今回の中間とりまとめ(委員会版)では、「4−1(1)<1>洪水防御の基本的対応」として、従来の「目標とする洪水流量に対して無害とすることを目指し」た政策から、「ある程度の越水を想定する必要があ」り「これに対応した社会制度上の対応上の検討が必要と考えられる」方向へと、治水理念の基本的転換を謳ったことは、前述の河川法改正の趣旨に添うものとして大いに賛意を表したい。

    しかしながら、他方で具体的な整備内容となると、「<2>施設による対応」として「洪水処理についてはそれぞれの地点で洪水処理目標を設定し、河道改修、遊水池、ダム等の対策を検討する。」(10頁)として、河川法改正の契機となったダム等について特段の反省も無いようであり、従前の治水計画の基本マニュアルであった河川砂防技術基準(案)と基本高水および計画高水については、まったく触れられていない。抽象的な理念転換は謳うものの、現実の河川整備内容は従前どおりということになりかねない。なお、ここで「それぞれの地点で洪水処理目標を設定」というのは、計画高水を長期目標としたうえでの当面数十年の中期目標値の設定ということになろうが、これも従前どおりの計画高水を前提とする点で目新しい施策とはなり得ないし、かえって計画高水が達成できなくとも、同洪水処理目標をクリアしていれば堤防整備は「完了」ということになりかねない。

    確かに、基本高水や計画高水をどれだけ高く設定しようとも、超過洪水のおそれは絶無にはなり得ない。「目標とする洪水流量に対して無害とすることを目指し」た従前の政策は、その意味では不可能の追求であった。しかし、そのことは、基本高水や計画高水についての議論が無意味であることにはならない。従前の治水目標に行き過ぎがなかったかといった疑問は、すなわち基本高水の設定値の算出の不合理性、ひいてはその設定値が高すぎるのではないかということを意味するからである。前述のとおり、改正河川法の趣旨は、環境の観点から従前の治水計画に反省、譲歩を迫るものであるが、これを具体的に議論しようとすれば、まず、そもそも基本高水や計画高水の設定が合理的な算出根拠に基づいてなされているか、むしろ高すぎる数値を設定していないか、といった議論がなされ、その上で河川環境保全との折り合いを付ける基本高水や計画高水はどの程度であるか、といった議論を行わざるを得ないはずである。例えば、脱ダム宣言で有名になった長野県の治水・利水ダム等検討委員会でも、基本高水・計画高水等の議論がなされた上で、「ダムを建設せずに河川改修を行う」案を答申している。

    (4)流域委員会が提言すべきこと
    基本高水や計画高水の議論は専門的であるが、決して素人に理解できないものではない。多くのダム反対住民運動では、素人である住民が、河川管理者を向こうに回して基本高水や計画高水の議論をしているのである。ただ、そこでは、しばしば必要な基礎資料が公開されない。流域委員会は、基本高水や計画高水の設定値等を決める委員会ではないが、河川管理者に対し、基本高水や計画高水の設定手法並びにその根拠(実績降雨などの基礎資料や算出の過程、カバー率など)について、素人にも判りやすい情報公開をすべきこと、基本高水や計画高水の検討にあたっては住民意見を反映すべきこと、などを提言すべきである。

    また、その基本高水や計画高水の検討に際して、それは前述のとおり、従前の治水計画に環境保全の観点からどの程度の譲歩を迫るかというものであるから、その基準を理念的に明示すべきである。特に、ダム・堰については、前述のとおり河川法改正の経緯において、河川環境破壊の最たるものとして社会的に認識された治水施設である。治水施設としては、他に、堤防、護岸水制、床止め、などがあるが、これらに比べてダム・堰、は河川流水を分断し、河川環境にとって基本である上下流の循環を阻害する点において、他の治水施設とは比較にならないほどの河川環境への影響を生じさせる。よって、『ダムの建設は、やむを得ない治水の必要がある場合で、かつ、他に同様の治水目的を達することの出来る手段のない場合に限られる』、あるいは、『同じ治水の必要がある場合の治水施設の選択順位としては、ダム・堰の建設は最下位とする』など、安易にダム・堰の建設をすすめ、その必要性として治水が持ち出されてきたことに対する反省が明示されてしかるべきである。この点に関し、淀川部会版が「ダムによる洪水調整は、自然環境を破壊する恐れが大きいため、原則として採用しない。」(11頁)としていることについて、大いに評価したい。

    そして、以上のことを整理して河川管理者に対して具体化な策定方法として提言するなら、それは河川整備計画(基本高水と計画高水の策定を含む)の策定において、計画アセスメントの実施を求めることになる。具体的には、基本高水と計画高水の数値を含めた治水計画の複数代替案の住民への提示を河川管理者に求めることである。

    特に、ダム・堰との関連において議論されるべき内容は、

    ・そもそも、現在決定されている各河川の計画規模が妥当か、すなわち、200年確率の設定が必要かどうか
    ・現状の基本高水と計画高水の設定値は、河川砂防技術基準(案)に則っているか、例えば、カバー率が必要以上に高く設定されていないかどうか。
    建設中止となった紀伊丹生川ダムの場合は、紀ノ川流域委員会において、住民側から河川管理者の治水上の必要論は同基準に違反していると指摘されていた。
    ・現状の基本高水と計画高水を前提としても、ダム・堰によらない洪水処理は可能か。
    ・現状の基本高水と計画高水に対してダム・堰を建設しないとした場合に、予想される越水の具体的状況(箇所、越水量、浸水範囲など)

    などのレベルが考えられるが、これらを考慮した評価項目に基づく複数代替案の比較検討によってはじめて、基本高水と計画高水の在り方とダムが真に必要であるか否か、超過洪水への対応の必要、などが素人にも判りやすく示されるものと考える。

    流域委員会が、越水の可能性を前提に超過洪水への対応として、「<3>ソフト面の対応」や「<4>土地利用のあり方」などを提言されていることは、大いに賛意を表するものであるが、これらは現状の基本高水と計画高水の見直し、計画中あるいは既に在るダム・堰の治水上の真の必要性、が充分に議論されてはじめて、その意義が社会的に理解され、受け入れられるものと考える。

  3. 利水関連

    (1)従来、河川は、単に水資源の供給源として捉えられてきた。人々は、水を使いたいだけ使い、使い捨てにし、特に戦後の高度経済成長期には都市用水、工業用水の需要の激増に応えるために、日本中に次々とダムが建設され、本意見書第2に述べたような弊害をもたらし、水の循環を断ち切り、河川の荒廃を招いた。

    この度の「中間とりまとめ」は、このような過去の反省に立ち、水が有限であるとの認識に立って水の需要を管理しようとの考え方を導入している。

    この「水を有限な資源として認識し、要請される需要への対応を主眼とした利水のあり方から、水の需要を管理するという考え方を導入していくことが重要である。」(委員会版11頁)という転換の方向は、評価されるべきである。

    (2)その上で、中間とりまとめは、水需要予測の見直しについて触れている。

    水資源行政は、従来、将来の水需要予測を立て、これを確保するためのダム建設等の水資源開発を実施するというやり方で行われてきた。しかし、実際の水使用実績は、これらの予測を下回ってきており、特に1970年代以降は、水需要の伸びは鈍化し、今日では水需要の大幅な増大は考えられない時代になっている。それにもかかわらず、従来の高い伸び率をもとに需要予測を行っており、水需要予測と水使用実績は大きくかけ離れたものとなっているのが現状である(詳細については、後述参照)。

    中間とりまとめは、「現状では各事業主体による要請を単に積み上げて流域全体の需要を考える方法になっており、今後は、水需要予測について見直しが必要と考えられる」(11頁)としているが、そもそも、まずこの水需要予測に関する見直しの必要性について、何故必要となるのかを詳しく検証すべきである。

    上記のような現状をふまえて水需要予測の見直しの必要性を指摘するのであれば、何故、従前の水需要予測と現実の使用実績との間にミスマッチが生じたのか、その原因を徹底的に検討しなければならない。その上で、水需要に対する科学的、合理的手法に基づく検証と需要管理という観点に基づく検証を行い、現在ある利水量を前提として、水資源開発の必要性が改めて検討されなければならない。例えば、淀川部会は、「上水道、工業用水、農業用水、発電用水の使用実績を正確に把握したうえで、科学的合理性を持って説明できるような水需要予測を行う。」(淀川部会版14頁)としているが、従前のミスマッチに対する原因の追及の姿勢に欠けている。

    さらに、現実に生じているという渇水の対策についても、安易に水資源の開発が必要であるとの結論に至るのではなく、過去の渇水の原因として何が考えられるのか、放流のルールに問題が無かったか、水利権の調整がなされたことがあるのか等についても、検討する必要がある。

    このような点を基にして、今後これ以上の水資源開発事業が真に必要なのかどうかが検討されるべきである。また、変化するライフスタイルに対応するためにも、数年ごとに水需要予測を検証し、修正するシステムの導入が不可欠である。

    (3)ところで、社会・経済情勢が変化してきている現在、河川ひいては水は公共のもので、かつ循環するものであり、新たな水需要に対してはその必要性も十分吟味しながら、合理的に調整・配分し、節水循環型の地域社会を作っていく視点から、水利権の合理化・見直しが図られるべきだが、「中間とりまとめ」にはこの点についての記載が不十分である。

    許可水利権に基づく水利用については、流水占有許可の審査、占有許可更新の審査において、適正な必要取水量が確定できないまま、実際の取水量から乖離する取水量で許可・更新されている事例が報告されている。慣行水利権に基づく水利用についても、取水の実態が把握されていない例が多い。河川の水利用の適正な管理のためには、許可申請者に使用水量の算出根拠資料等を規定どおりに提出させる等、実際の取水量の把握が不可欠である。

    さらに、有限な水を有効に活用するためには、利水関係者と河川管理者との間において、日頃から水使用実績や三井用水の状況等利水情報を共有するようにつとめ、未利用水がある場合の用途間転用を推進していくことが重要である。

    (4)このように、水需要予測が適正に見直され、かつ、節水対策、流水の合理的活用、雨水、地下水、下水・雑排水の再利用等その他の水資源の利用が積極的に進められるならば、新たな水資源開発事業の必要性は乏しいのではないだろうか。

    中間とりまとめは、もう一歩踏み込んでこの点を明言してもよいのではないか。

    本意見書第1に述べたとおり、淀川流域委員会の任務は、治水・利水及び環境の視点からダム建設計画に対する意見を述べることであるが、利水の面からはその必要性はないに等しく、むしろ、森林の保護、育成等環境面への配慮が、河川の再生ひいては豊かな水の享受に不可欠である点を指摘するべきである。

  4. 計画策定のあり方、計画推進のあり方

    (1)計画策定のあり方
    • <1>住民意見の反映
      河川の管理については、住民の間においてもさまざまな視点で捉えられ、多様な意見が寄せられるところ、計画策定にあたっても、これら住民の意見を反映させるべく、さまざまな立場の人々の幅広い意見を聴取しなければならない。

      この点については、中間とりまとめにおいても指摘されているところであるが、問題となるのはその具体的な方法である。中間とりまとめにおいても、若干、例示されているが、その方法については確立されたものはなく、これらに加えて、多様な方法を試みることによって、多様な住民意見を吸い上げるよう努力すべきである。

      特に、治水面、利水面においては、計画案によって不利益を被る特定の流域住民が出てくる可能性が大きいため、このような不利益を被る特定の流域住民に対しては、個別に(サンプリングすることはやむをえないが)意見を聴取することが必要と考えられる。

      また、個々の住民からの意見聴取には限界があると考えられるところ、一定の意見を集約した形で持つNPOからの意見聴取を重視すべきである。

      さらに、住民意見の反映という点については、流域住民において、重要かつ深刻な意見対立が存在する場合には、関係流域住民全体に対して直接意見を問う住民投票の実施も排除すべきでない。

    • <2>関係行政機関などの意見の反映
      河川整備計画の決定にあたっては、河川法16条の2第5項にあるように「あらかじめ、政令に定めるところにより、関係都道府県知事または関係市町村長の意見を聴かなければならない」とされている。

      本来、河川整備計画自体が、流域住民の権利に重大な影響を及ぼすものであるから、流域住民の理解と承認が必要とされるべき事項である。他方、関係自治体の首長の意見は、間接民主制のもと、一定の流域住民の意見を反映するものと解し得るところである。このような性格を考慮すると、河川法では、計画決定の前に、首長の意見を聴取する形をとっているものの、計画策定のプロセスにおいて、適宜、意見を聴取すべきである。

    • <3>計画アセスメントの実施
      はじめに、計画案ありきという形での進行に陥らないためにも、当初より、住民意見などを踏まえて、代替案を設定することが肝要である。この場合、中間とりまとめで述べられているように費用対効果、環境への影響、社会的影響、実現可能性など、さまざまな角度から検討が加えられるべきである。

      そして、既述のように、その必要性の議論を踏まえ、例えば自然環境保全のためには「何もしない」という選択肢も考えるべきである。

    • <4>情報の開示
      計画策定に関する情報を包括的に提示すべきことは、住民からの意見聴取に際しての当然の前提である。

      情報の開示にあたっては、情報を包括的に開示するとともに、前項のように多面的な評価を加えた上で、計画案(代替案を含む)のメリット、デメリットを明確にすることに留意されなければならない。

      このように、計画策定のプロセスを通じて、透明性を高め、住民の意見が反映できるような制度作りが求められる。

    • <5>以上により、中間とりまとめにおいては、計画策定のプロセスをガラス張りにし、広範な住民意見を聴取する方法を数多く用意し、NPOなどを通じて意見聴取する方法を検討すべく配慮すべきである。

      住民意見の聴取方法として、試行錯誤のもと、節目、節目での意見書の募集、説明会、公聴会、聴聞会の開催を実施し、アンケート、インタビューなどの手法をもって、様々な流域住民を対象に行うことを求めるべきである。

      また、NPOに対しては、計画策定にあたって意見を諮問し、これを基に具体的な対話を行うことを検討すべきである。

      さらに、関係行政機関からの意見聴取では、関係都道府県知事または関係市町村長は、議会に諮った上で、計画案に対する意見を表明することが、望ましい。その場合、計画案の原案の段階で、意見聴取することはもちろんのこと、一歩進めて、代替案を含めた当該計画案の賛否を明確に求めるべきである。

      次に、情報開示の際の留意点として、住民に対してわかりやすい情報を提示するという意味で、治水、利水、環境その他への影響について、専門的な知識のない者に対しても、当該争点の対立点(判断における分岐点)を容易に認識し判断することができるよう工夫すべきである。

      また、計画案の実施によって個別具体的に不利益を被る可能性のある特定の流域住民に対しては、積極的に情報の提供を行うべきである。

      さらに、情報の開示の時期についても、時機を失することなく、常に、意見を聴取する前に実施されなければならない。

    (2)整備計画推進のあり方
    河川整備計画においては、治水、利水、環境の各々の観点から、これらを具体化すべく事業計画が盛り込まれることが予定されている。これら事業計画については、計画策定段階において、その必要性、許容性、相当性などを多角的に検討し、決定されるべきことはもちろんのことであるが、決定後についても、常に計画を見直す姿勢を堅持し、必要があれば、柔軟に変更さらには中止を決定することが重要である。

    従来、公共事業については、社会情勢の変化や国民の意識の変化から見直すべきであるとの意見があるにもかかわらず、動き出したらとまらないものとして、問題視されてきた。一度、事業計画が決定されるとその後、状況の変化などにより、必要性、合理性を欠くと判断される事業についても、見直しが行われず、問題が指摘されつつ、事業が継続されるケースが少なくない。しかしながら、このような合理性のない事業については、近時、行政内部からも是正勧告される状況となっている。

    このように、事業計画決定後においても、その事業の合理性などをチェックする制度を確立すべき状況になっているものと認められる。

    昨年7月に総務省が行った「水資源に関する行政評価・監視」及び「同行政評価・監視結果に基づく勧告」は、水需要の実態を踏まえ、水資源開発基本計画の策定状況などを調査し、関係行政の改善に資するために実施されたものである。ここで報告されているところによれば、水道用水、工業用水ともに現行計画(水資源開発計画)における需要見通しと需要実績との乖離状況は直前計画におけるよりも縮小傾向にあるものの、需要見通しと需要実績が乖離していることが明らかにされている。このことは、直前の計画における需要見通しと需要実績との間に乖離があるにもかかわらず、十分な見直しもないまま、現行計画へ移行したということを示すものである。

    すなわち、総務省行政評価局作成の報告書によれば、淀川水系における水資源開発基本計画(通称「フルプラン」)の第III 次計画(昭和56年〜昭和65年)の工業用水の需要実績は、需要見通しのわずか約48%であったにもかかわらず、全部変更を行った第IV 次計画(平成3年〜平成12年)においても約50%にとどまっており、いずれも見通しから実績が大きく乖離しており、十分な見直しのないまま再び需要見通しを見誤ったといわざるを得ない結果となっている。

    また、情報の開示という点から見れば、フルプランの全部変更を行った際の国土交通省が国土審議会に提出した資料には、水道用水および工業用水について、需要見通しの積算方法や積算のための基礎係数も示されておらず、さらには、需要見通しと需要実績に乖離が生じている場合の原因分析に関する資料もない。つまり、基本計画の本文などについては公表されているものの、前計画の見直し結果については、公表されておらず、そのプロセスたる推計方法については、基本的な数値は公表されているが、推計式を含む推計手法について公表されず、関係数値を含む必要な数値、使用した数値の算出根拠及び出所も明らかにされていないのである。したがって、需要見通しの積算の過程は、ブラックボックスの中にあり、前計画の見直しが実施されたか否かについても明らかでないまま、国土交通省は、批判にさらされることなく、フルプランを変更し、事業の維持拡大を図ってきたものと認められるのである。

    このような調査結果から、前記勧告も指摘するとおり、国土交通省は、フルプランを変更するにあたっては需要見通し、供給目標などと実績を的確に把握し、計画と実績が乖離している場合には、この乖離の原因を十分に分析し、計画を総括的に見直してその妥当性について評価するといった、総括評価を実施し、おおむね5年を目処に計画の達成度について点検を行い、必要に応じて計画の変更を行うべきである。また、需要見通しについてその推計方法が的確であったかを検証し、さらには、これら推計方法といった計画策定のプロセス、あるいは見直し結果を公表し、透明化を図るべきである。

    以上のことは、水資源開発基本計画の策定、変更において指摘されていることであるが、このような指摘は、国土交通省の河川管理における河川整備基本方針及び河川整備計画の策定においても妥当するものである。

    河川整備計画においては、河川整備基本方針の具体化として、当然に、事業計画が盛り込まれるところ、当該事業計画の評価として、前述の利水面はもちろんのこと、治水面においても、定期的にそのプロセスを含めた原因、結果の検証を行い、これらの結果を公表して透明化を図ることによって、国民の批判に耐え得るものとすべきである。

    以上の点を考慮し、河川整備計画策定にあたって、上記のシステムを盛り込むべく、具体的に提言されるべきである。

    流域委員会が、「6−3実施結果のフォローアップと見直しと順応的管理」(委員会版18頁)としているのは、大いに賛意を示したい。その上で、従前「見直し手続き」と称されるものが全て不充分なものであったことを重視し、常に計画を見直す姿勢を堅持し、必要があれば、柔軟に変更さらには中止を決定するという方向性を強調すべきである。
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