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 国連人権高等弁務官宛意見書

国連人権高等弁務官
メアリー・ロビンソン 殿
要望書

2002年7月29日
大阪弁護士会
 会長 佐伯照道


第1 要望の趣旨

日本の最高裁判所は、婚外子の相続分を嫡出子の相続分の2分の1と定めている民法の規定(第900条4号ただし書前段)*1が自由権規約第24条1項、第26条及び子どもの権利条約第2条1項に違反するにも拘わらず、これを上記各条約に違反する無効のものであるとはせず、その効力を維持せしめている。すなわち、最高裁判所は1995年7月5日の大法廷決定*2において、上記民法の規定は法の下の平等を定めた憲法第14条1項*3に違反しないと判示し、さらに2000年1月27日の第1小法廷判決*4でも、同様の判断を維持した。反対意見では自由権規約や子どもの権利条約に触れられているが、多数意見においてはこれら人権条約に何ら言及もなされていない。
自由権規約委員会は、1989年、自由権規約第24条に関する「一般的意見17」*5を採択し、その中で婚外子に対する相続上の差別が禁じられていることを宣明している。そして、1993年及び1998年の二度にわたり日本に対して婚外子の相続分差別を撤廃するよう勧告を行っている*6。にもかかわらず、最高裁判所は、自由権規約委員会の二度にわたる勧告を全く顧慮せず、自由権規約をないがしろにする姿勢を一貫してとっている。
昨年8月6日付にて貴職に提出した要望書でも述べたとおり、最高裁判所は、他の事件においても自由権規約について真摯に検討・判断しようとしていない。
さらには、自由権規約委員会は裁判官等に対して自由権規約の研修をなすこと、同委員会の「一般的意見」及び「見解」に関する情報を提供すべきことを勧告しているが*7、最高裁判所はこれも十分に実施していない。
以上のような自由権規約をないがしろにする最高裁判所の姿勢は、自由権規約第2条に定められている締約国としての規約実施義務に反するものであり、特に、同条3項にいう「司法上の救済措置を発展させる」義務に真っ向から違反するものである。
よって、日本の最高裁判所に対し、具体的事件において自由権規約を真摯に検討・判断すること、また裁判官に対し自由権規約に関する研修や適正な解釈のための資料を提供し、もって自由権規約にもとづく司法上の救済措置の可能性を発展させるべき義務を誠実に履行するよう、貴職において勧告等の措置をなし、もしくは然るべき国連人権機関において勧告等の措置がなされるよう取り計らっていただくことを重ねて要望する。

第2 要望の理由
  1. 自由権規約による婚外子に対する相続差別の禁止

    自由権規約第24条1項は、「すべての児童は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、国民的若しくは社会的出身、財産または出生によるいかなる差別もなしに、未成年者としての地位に必要とされる保護の措置であって家族、社会及び国による措置についての権利を有する」と規定し、同規約第26条は、「すべての者は、法律の前に平等であり、いかなる差別もなしに法律による平等の保護を受ける権利を有する。このため、法律は、あらゆる差別を禁止し及び人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等のいかなる理由による差別に対しても平等のかつ効果的な保護をすべての者に保障する」と規定している。したがって、自由権規約が出生による差別すなわち婚外子差別を禁止していることは明らかである。
    また自由権規約委員会は、1989年、自由権規約第24条に関する「一般的意見17」を採択し、その中で「締約国の報告書は、相続を含むあらゆる分野における差別、特に自国民である子どもと外国人である子どもとの間または嫡出子と婚外子との間における差別を除去するために、どのような法律上及び実務上の保護措置を確保しているかを明らかにしなければならない」と述べており*8、婚外子に対する相続上の差別が禁じられていることを明確にしている。
    さらに自由権規約委員会は、日本に対する1993年11月4日採択の最終見解において、「自由権規約第2条、第24条及び第26条の条項に合致するよう、婚外子に関する日本の法律を改正し差別的な規定を除去するよう勧告する。日本に存続するすべての差別的法律及び実務は、自由権規約第2条、第3条及び第26条に適合するよう撤廃されるべきである。日本政府は、この点について世論に影響を及ぼすよう努力すべきである」と勧告した*9。また1998年10月に行われた第4回日本政府定期報告書審査では、前述の1995年最高裁大法廷決定を直接取り上げて議論した上、同年11月5日採択の最終見解において、「委員会は、婚外子に対する差別、特に国籍、戸籍及び相続権に関する差別について引き続き懸念する。委員会は、自由権規約第26条にもとづき、すべての子どもは平等な保護を受ける権利を有するという立場をとることを再確認し、日本が民法第900条4号を含む法律を改正するために必要な措置をとることを勧告する」と述べ*10、日本に対し、再度、婚外子の相続分差別を改めるよう勧告した。
    ちなみに、社会権規約委員会も2001年8月、第2回日本政府定期報告書の審査を行い、同年8月30日採択の最終見解の中で、日本では相続分と国籍の権利に関して婚外子に対する法律的、社会的及び慣習的差別が根強く残っていると指摘した上、日本に対し、現代社会においては受け入れられない「非嫡出子」という概念を廃し、あらゆる差別を撤廃する立法上、行政上の措置をとるよう強く求めている*11

  2. 最高裁判所大法廷1995年7月5日決定*12

    本件は、婚外子の相続分を嫡出子の2分の1とする民法第900条4号ただし書前段の規定が憲法第14条の法の下の平等の規定に反するか否かが争われた事件であるが、最高裁判所大法廷は裁判官15名中10名の多数意見により、これを合憲と判断した。
    多数意見は、「相続制度を定めるにあたっては、それぞれの国の伝統、社会事情、国民感情なども考慮されなければならず、各国の相続制度は、多かれ少なかれ、これらの事情、要素を反映している。さらに、現在の相続制度は、家族というものをどのように考えるかということと密接に関係しているのであって、その国における婚姻ないし親子関係に対する規律等を離れてこれを定めることはできない」と述べた上、「本件規定の立法理由は、法律上の配偶者との間に出生した嫡出子の立場を尊重するとともに、他方、被相続人の子である非嫡出子の立場にも配慮して、非嫡出子に嫡出子の二分の一の法定相続分を認めることにより、非嫡出子を保護しようとしたものであり、法律婚の尊重と非嫡出子の保護の調整を図ったものと解される」とし、「現行民法は法律婚主義を採用しているのであるから、右のような本件規定の立法理由にも合理的な根拠があるというべきであり、本件規定が非嫡出子の法定相続分を嫡出子の二分の一としたことが、右立法理由との関連において著しく不合理であり、立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えたものということはできないのであって、本件規定は、合理的理由のない差別とはいえず、憲法一四条一項に反するものとはいえない」と結論した。多数意見では、諸外国で婚外子に対する差別がなくなってきている状況や自由権規約などの国際人権条約については全く触れられていない。
    これに対し5名の裁判官の反対意見は、「法律が制定された当時には立法目的が合理的でありその目的と手段が整合的であると評価されたものであっても、その後の社会の意識の変化、諸外国の立法の趨勢、国内における立法改正の動向、批准された条約等により、現在においては、立法目的の合理性、その手段との整合性を欠くに至ったと評価されることはもとよりあり得るのであって、その合憲性を判断するにあたっては、制定当時の立法目的と共に、その後に生じている立法の基礎をなす事実の変化や条約の趣旨等をも加えて検討されなければならない」と述べ、1960年代以降は嫡出子と婚外子を同一に取り扱うように法を改正することが諸外国の立法の大勢となっている事実や自由権規約第26条及び子どもの権利条約第2条1項の規定に言及し、民法第900条4号ただし書前段の規定は、憲法第一四条一項に違反する無効のものであるとしている。

  3. 東京高等裁判所1993年6月23日決定*13

    上記最高裁判所の決定とは逆に、東京高等裁判所はすでに同種事件において、婚外子に対する相続分差別が法の下の平等に反すると判断していた。
    すなわち、近年の諸外国における立法の動向が婚外子について権利の平等化を強く志向する傾向にあること、自由権規約第24条1項の規定の精神等にかんがみれば、適法な婚姻にもとづく家族関係の保護という理念と婚外子の個人の尊厳という理念は、その双方が両立する形で問題の解決が図られねばならないとした上で、結論として民法第900条4号ただし書前段の規定を憲法第14条1項に違反すると判断した。

  4. 最高裁判所第1小法廷2000年1月27日判決*14

    本判決は、前記1995年最高裁判所大法廷決定を引用して、民法第900条4号ただし書前段の規定を合憲と判断した。1名の裁判官の反対意見があるが、その内容は1995年大法廷決定の際の反対意見と同じである。
    上告人らは、世界人権宣言、自由権規約第24条1項、子どもの権利条約第2条1項などを挙げて、民法の同規定が法の下の平等に反すると主張したが、本判決はこれらの点に対して何ら応答していない。

  5. 日本政府の対応

    1996年2月、法務大臣の諮問機関である法制審議会は、「嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分と同等とするものとする」との内容を含んだ「民法等の一部を改正する法律案要綱」を決定し、法務大臣に答申した。しかしながら、同年の第136回通常国会への法案提出は見送られ、その後も国会には提出されていない。
    日本政府は、2001年8月に行われた社会権規約委員会における第2回政府定期報告書審査において、世論はこの差別を認めており、将来の対処はこの世論の動向によるとしか答弁しておらず、当面、積極的に動く兆候は認められない。

  6. 婚外子の相続分差別規定に対する最高裁判所の対応の分析

    自由権規約委員会が日本に対し、婚外子相続分差別を改めるよう勧告を出す以前の1993年6月23日、上述のとおり東京高等裁判所はすでに自由権規約に言及したうえで、婚外子の相続分を差別する民法の規定が法の下の平等を定めた憲法第14条1項違反であるとの決定を出していた*15
    また同年11月4日には自由権規約委員会が上述の勧告を出した*16
    このような流れであるにもかかわらず、前記1995年最高裁判所大法廷決定は、自由権規約について何ら言及することなく、法の下の平等を害さないとの判断を下している。別事件とはいえ下級審たる東京高等裁判所ですら自由権規約に言及していたこと、5名の裁判官が自由権規約に言及して違憲であるとの反対意見を述べていること等に鑑みるならば、多数意見たる法廷意見を展開する中で自由権規約に何ら言及しない最高裁判所の対応は異様としか言いようがなく、敢えて自由権規約に触れることを避けているとしか考えられない。
    1998年11月5日には自由権規約委員会は重ねて婚外子の相続分差別を改めるよう日本に勧告した*17。にもかかわらず、前記2000年最高裁判所第1小法廷判決は前記1995年大法廷決定を引用するのみで、何ら自由権規約や子どもの権利条約を顧慮した様子もなく、自由権委員会の勧告を真摯に受けとめてこの問題を再検討する姿勢も示さなかった。
    政府部内で上述のように改正の動きが一時あったことから、あるいは最高裁判所は立法の改正に期待していたのかもしれないが、民法の規定が自由権規約第24条、第26条、及び子どもの権利条約第2条に反していることは明らかであるから、最高裁判所はむしろ率直かつ速やかにその旨を宣明して、遅々として進まない立法改正の動きに弾みをつけるべきであった。いずれにしても、最高裁判所が自由権規約無視ないし軽視の態度をとり、自由権規約第2条3項にいう「司法上の救済措置の可能性を発展させる」義務に反していることは明白である。

  7. 日本の最高裁判所の自由権規約に対する消極姿勢

    日本の最高裁判所は、自由権規約をはじめとする国際人権条約について判断を避けようとする傾向が顕著である。日本では、1980年代から国際人権条約、特に自由権規約が裁判で援用されることが多くなってきたが、最高裁判所はそれを正面から真摯に判断する姿勢を全く見せていない。上述の婚外子相続分差別規定をめぐる事案において自由権規約に何ら言及しなかった態度はその一例にすぎない。その他の例でも、外国人登録法上の指紋押捺義務の是非が争われた事件で、自由権規約違反の疑いを否定できないとした大阪高等裁判所の判決*18を、最高裁判所は自由権規約に何ら言及することなく破棄している*19。貴職に対する2001年8月6日付要望書でとりあげた徳島刑務所接見妨害事件でも、最高裁判所は何らの理由説示もなく、単に接見制限の根拠法令は自由権規約に違反しないとの結論を述べるだけにとどまっている*20

  8. 日本の最高裁判所が是正すべきこと

    日本では、自由権規約をはじめとする国際人権条約の実効性の確保がきわめて不十分である。せっかく批准した自由権規約も、批准後20余年を経過した今日に至っても、それが十分に生かされているとはいい難い。その最大の原因は、上述のような最高裁判所の消極的姿勢にある。最高裁判所は、自由権規約をはじめとする国際人権条約の重要性を十分に理解しておらず、またこれを司法部全体に広める努力をしていない。
    自由権規約委員会は、1998年11月5日採択の最終見解で、「委員会は、規約で保障された人権について、裁判官・検察官・行政官に対する研修が何ら提供されていないことに懸念を有する。委員会はこのような研修を受講できるようにすることを強く勧告する。裁判官を規約の規定に習熟させるため、裁判官の研究会及びセミナーが開催されるべきである。委員会の『一般的意見』及び選択議定書にもとづく個人通報に対して委員会が表明した『見解』が、裁判官に提供されるべきである」と勧告しているが*21、最高裁判所がこれを忠実に実施しているとはいえない。
    日本でも、高等裁判所レベルでは、「(自由権規約委員会の)『一般的意見』や『見解』がB規約(自由権規約)の解釈の補足的手段として依拠すべきものと解される」*22として、人権条約そのものだけでなく、自由権規約委員会の「一般的意見」や「見解」も条約法に関するウイーン条約32条にいうところの「解釈の補足的手段」として尊重しようとする判断も出てきているのであり、この高等裁判所の姿勢と比べても最高裁の国際人権規約をはじめとする国際人権条約を無視ないし軽視する態度は際立っている。
    今、日本の最高裁判所に必要なのは、自由権規約に関する判断に対する消極的姿勢を改め、自由権規約に正面から取り組んで国際人権水準にかなう判断を自ら示し、またすべての裁判官に規約に習熟する機会を提供し、規約上の権利を侵害された者が裁判所において適正な救済を受けることを確保することである。

  9. 結論

    以上のとおりであるので、大阪弁護士会は、貴職に対し、要望の趣旨記載のとおりの措置を取って頂きたく、本要望書を提出する次第である。



※注釈
*1 民法第900条4号ただし書前段:但し、嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一とし、…。
*2 最高裁判所民事裁判例集49巻7号1789頁、判例時報1540号3頁
*3 憲法第14条1項:すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
*4 裁判所時報1260号63頁、判例時報1707号121頁
*5 一般的意見17・5項
*6 1993年11月4日採択の最終見解11項及び17項、1998年11月5日採択の最終見解12項
*7 1998年11月5日採択の最終見解32項
*8 前注5に同じ
*9 1993年11月4日採択の最終見解17項
*10 1998年11月5日採択の最終見解12項
*11 2001年8月30日採択の最終見解14項、41項
*12 前注2に同じ
*13 高等裁判所民事裁判例集46巻2号43頁、判例時報1465号55頁
*14 前注4に同じ
*15 前注13に同じ
*16 前注9に同じ
*17 前注10に同じ
*18 大阪高等裁判所1994年10月28日判決・判例タイムズ868号59頁
*19 最高裁判所1998年9月7日判決・判例タイムズ990号112頁
*20 最高裁判所2000年9月7日判決・裁判所時報1275号416頁及び同419頁、判例時報1728号17頁
*21 前注7に同じ
*22 前注18の大阪高等裁判所判決
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