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 新仲裁法制に関する意見書

2002年(平成14年)11月5日

大阪弁護士会

第1 意見の趣旨

 将来の紛争に関する仲裁合意は、すべての国内取引について無効とすべきであり(消費者契約について論じられているB−1案をすべての国内取引に拡大する)、紛争発生後の仲裁合意のみが有効であるとすべきである。

第2 意見の理由

1 本意見書の位置づけ

司法制度改革推進本部の仲裁検討会は、「新仲裁法制に関する中間とりまとめ」を行い、来年の通常国会に新仲裁法が提出されると言われている。
新仲裁法の制定の動きは、司法制度改革審議会意見書が、経済活動のグローバル化や国境を超えた電子取引の急速な拡大に伴い、国際的な民商事紛争を迅速に解決することが極めて重要になっているとの認識のもとで、ADRに関する共通的な制度基盤の一環として、仲裁法制を早期に整備すべきであるとされたことを受けたものである。
しかし、仲裁検討会の「中間とりまとめ」は、新仲裁法の対象となる仲裁の種類を国際取引に限られず、国内取引に関する仲裁も含まれるとした。ただ、消費者契約についてだけは、「中間とりまとめ」においても、消費者と事業者との間には、情報、交渉力等の点で重大な格差があること、また、仲裁契約は当事者の訴権を失わせるという重大な効果を伴うことを踏まえて特則を措くことが検討されている。
大阪弁護士会においても、平成14年9月3日に、消費者委員会の検討を基に、中間とりまとめにおけるB1説(紛争発生前の仲裁契約は一律無効とする)を支持する「消費者問題に関する仲裁法制定についての意見書」を出しているところである。
しかし、「中間とりまとめ」が消費者契約で指摘している上記の問題点は、消費者契約に限られない。消費者契約法で除外されている労働契約や、零細事業者が当事者となる場合の借地借家契約、請負契約、金銭消費貸借契約などに同様に当てはまることである。
そこで、本意見書では、最初に、労働契約について検討したうえで、当事者間で情報と交渉力に差があるため仲裁合意を制限する契約をすべて列挙することは困難であること、及び憲法上の基本的人権である「裁判を受ける権利」を保障し、裁判を利用しやすくするという司法改革の理念を実現する観点から、消費者契約、労働契約以外のすべての契約について、全体的な意見を述べるものである。

2 労働契約について(消費者契約との構造上の類似性)

  1.  大阪弁護士会は、前記意見書のなかで、消費者契約について将来の争いに関する仲裁契約を許すのであれば、事業者が定型の契約書類に仲裁合意の文言を盛り込み「申し込みに手続きに必要だから」という理由でその書類に署名させ、これが後日、訴権剥奪の根拠として機能することになるとし、仲裁契約が消費者の訴権剥奪と結びついた場合、これまで裁判手続が消費者被害事件において事実関係の解明や新たな規範定立において果たしてきた役割に鑑み、消費者保護の観点から看過しえない重大な問題があると指摘した。このことは、労働契約についても、同様に指摘できる問題である。
  2.  すなわち、仲裁とは、当事者双方の仲裁合意に基づき、仲裁人の仲裁判断によって紛争を解決する制度であり、当事者が「裁判を受ける権利」を放棄するものであるから、仲裁合意は、対等な関係・立場のある当事者双方が仲裁の意味を十分に理解して自由な真意に基づいて合意することが前提となる。
     ところが、労働関係においては、使用者と労働者とは対等な関係・立場にはなく、労働契約の締結に際して労働者の採用を決定するのは使用者であり、採用後も労働者個人が使用者に対して対等な立場で交渉することはできないなど、力関係には圧倒的な差がある。そして、使用者が採用時に労働者に対して仲裁合意を求めた場合には、労働者は仲裁の意味を理解していなくとも、自由な意思によらずとも、採用されるために仲裁合意に応じざるを得ないし、採用後も労働者はその自由な意思によらずに使用者の求めに応じざる得ないことも予想される。
     このように、労使間の紛争が発生する前になされた将来の争いに関する仲裁合意は、真意に基づかずになされる危険性があり、それで裁判ができなくなるということは許されないものと言わなければならない。
  3.  また、労働問題では事実関係の解明のために裁判を必要とする場合も多く、また、裁判が果たしてきた規範定立の役割も仲裁には期待できないなど、労働裁判の役割は大きく、仲裁制度によって当事者が労働裁判をできなくなることは避けなければならない。
     すなわち、(1)事実関係の解明の点については、労働契約においては、例えば解雇事件や労働条件の切り下げ、賃金差別などの事件においては、当事者間に証拠の偏在があり、証人尋問や証拠提出命令など丁寧な証拠調べによる充実した審理によって、事実認定が行われる必要がある。しかし、仲裁人は証人出頭命令や証拠提出命令を出せず(但し、裁判所への証拠調べの援助の申立ができる)、厳格な事実認定をすることが困難である。
     また、(2)規範定立機能に点については、労働法は実体規定が少ないため、裁判所の判例法理によって確立された男女平等取扱法理、解雇権濫用法理、懲戒権濫用法理、配転命令権・出向命令権の肯認と限界づけ、就業規則の合理的変更の要件と拘束力などが雇用社会の根幹をなすルールとなっているが、仲裁ではこのような雇用社会の根幹をなす規範の定立を期待できない。
     なお、労使紛争については、現在でも労働委員会による労働争議の仲裁制度が規定されているが(労組法20条、労働関係調整法29〜35条)、これは、専門的知見と実務経験を有する労働委員会のもとで、労働者側の当事者を労働者の団結体である労働組合に限定するなど、一定の要件のもとで認められているものであり、それ以外に、労働者個人の労働契約に関する仲裁は認めるべきではない。
  4.  よって、労働契約についても、消費者契約で論じられるのと同様に、少なくとも将来の仲裁合意は無効とするべきである(消費者契約で論じられているB1説)。
     なお、消費者契約における論議では、一定時期までに消費者に解除権を与えるという見解(同B2説)もあるが、労働契約において、使用者と対等な関係・立場になく、十分な知識のない労働者が、仲裁契約を解除することを期待できないことも予想され、また、解除権行使の時期について制限を設けないという立場も手続きが相当進んだ後での解除主張は手続きの安定性を損なうことになるので、むしろ、簡潔に無効説によるべきである。

3 すべての契約について将来の訴権喪失は不当

  1. 零細事業者などにおいては同じ問題
    前項では、労働契約についてどのような取扱いにするかについて、消費者契約との対比で意見を述べたが、当事者間で社会的ないし経済的に対等な関係にない場合(個人対事業者に限らず、事業者どうしであっても力関係に差がある場合)については、すべて前述したと同様の問題が生じる。例えば、借地借家契約、フランチャイズ契約、請負契約、金銭消費貸借契約、売買契約、さまざまな委任契約その他が考えられるが、これらの分野において事前の仲裁契約が広く導入された場合の被害は図りしれない。
    従って、仲裁制度が導入された問題を消費者契約や労働契約に限定して考えることは不十分であるし、弊害が予想される契約類型をすべて列挙するというのも困難である。
  2. 裁判を受ける権利の保障と司法改革の目的
    憲法32条は、「何人も裁判を受ける権利を奪われない」と定めているが、それは公開の法廷による適正手続のもと、文書提出命令などにより武器対等をはかりつつ、事案を解明し、憲法をはじめとする法と条理に基づく判断をするということを意味する。そして、司法改革の理念である「法の支配の貫徹」もそこにあるはずある。ADRの整備は、選択の多様性をはかるために進められるべきであって、「裁判を受ける権利」を侵害するものであってはならない。
    米国などでは、仲裁制度が、裁判所の負担増の軽減という政策的判断から適用範囲が広がる傾向にあると言われているが、日本では、労働裁判をはじめ、訴訟件数が極めて少なく、事件数から裁判所の負担増の軽減という要請はない。そればかりか、将来の紛争についても大々的に仲裁制度を導入することによって、司法アクセスがますます困難となり、司法改革とは逆行することが危惧される。
    現行法の「公示催告手続及び仲裁手続に関する法律」787条(将来の争いに関する仲裁契約)は、明治憲法下のものであり、現代社会の約款等による大量契約を想定しておらず、実際にもこれまでほとんど使用されていない規定であって、見直されるべきものである。
  3. まとめ
    国民の裁判を受ける権利を保障し、司法改革の理念を実現するためには、消費者契約、労働契約だけでなく、すべて国内取引について、将来の紛争に関する仲裁契約は無効とされるべきである。
    なお、労働契約の箇所で述べたと同様に、一定時期まで解除権を与えるという見解(B2説)は、経済的・社会的に対等な関係にない当事者や知識のない当事者(特に零細企業者など)にスムーズな解除権の行使を期待できないので、裁判を受ける権利の完全な保障という観点から、採らない。


以 上
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