私が「つかまった」話
私は、弁護士になってから、警察に「つかまった」ことがあります。
弁護士の日常の一つに、警察署での接見があります。弁護人として身体拘束された被疑者と面会するのです。
私は、当時、接見すべく大阪府下の某警察署に向かっていました。
その際、私は、図らずも、警察に「つかまって」しまったのです。思い出したくないつらい体験です。
当日、私の鞄は、接見用事件記録一式により、大変重い状態でした。今は冷静に振り返ることができますが、私が「つかまった」原因は、この重い鞄にありました。
最寄り駅で降りた私は、徒歩10分程の某警察署へと歩いていました。右手の鞄の重さは、上半身が傾く程でした。
その瞬間は突然訪れました。歩きながら咳をしたと同時に、左腰部に爆発的な激痛がはしり、腰を曲げた状態のまま、以後ピクリとも動けなくなってしまったのです。
激痛で全身から油汗が噴き出しました。視界はモノクロ化し某駅前商店街の風景は古い写真のように変わりました。私は、一瞬、自分の身に何が起こったのか把握できず、腰を左手で押さえ前屈みになったまま、パニック状態になりました。
「左腰を背後から刺された?(しかし出血はない)」
「すい臓に重大な病が突然発症?(しかし先祖代々内臓は強かったはず)」
空回りする思考の中、徐々に冷静さを取り戻した私は、ようやく正解らしきものに辿り着きました。
「間違いない。ぎっくり腰、である」
鞄の重さで上半身と骨盤が傾いたまま、咳という一瞬の衝撃が加わったことで、ぎっくり腰になってしまったのです。過去にもぎっくり腰の経験がありました。痛みの感覚がその時と同じです。
私は、冷静さを必死で確保しつつ、「腰を伸ばせば、骨盤の位置が正常に戻り、ぎっくり腰が解消するかもしれない。前回、医者がいっていたはず」と考えました。そして、前屈みの姿勢からさらに股関節の屈曲角度を深め、痛みと闘いながらおそるおそる腰を伸ばしてみたのです。
次の瞬間、過去の体験を過度に一般化すると失敗することがわかりました。生兵法は怪我のもとなのです。
事態はさらに悪化しました。腰を伸ばしても痛みは全く解消されないばかりか、今度はラジオ体操の前屈姿勢のような状態から、元にもどせなくなってしまったのです。視界には自分の黒靴とアスファルトしか映らず、モノクロ化のままなのか、元々の色なのかわからなくなりました。
私は、閉じた折りたたみ式携帯電話のような体勢のまま、再度パニック状態になりました。左腰を押さえた左手が、携帯ストラップのように見えたかもしれません。
このままの体勢で接見できないのはもちろん、そもそも警察署までたどり着けません。しかし、被疑者が弁護人接見を待っています。接見しないまま帰るわけにはいきません。
なんとか中腰の姿勢まで戻し、視界を確保しました(携帯電話なら半分だけ開いた状態)。ふと見ると、すぐわきの整骨院の看板が目に入りました。私は、迷わず飛び込みました(携帯半開き体勢のまま)。
一通りの施術を受けた結果、なんとかまっすぐに立てるようにはなりましたが、左腰の激痛は残ったままですし、スムーズに歩くことはできません。さらに問題は重い鞄です。もはや片手で持って歩ける状態にありませんでした。
整骨院を出た私は、何種類か鞄の持ち方を試した結果、ゆっくりとなら歩けるポジションを見つけました。両手で鞄の底を持ち、顔面付近にかざしながらならなんとか歩けることを発見したのです。どこかの民族のように、鞄を頭に乗せればさらに腰の具合が良かったのですが、駅前商店街では目立ちすぎるのでやめました。
なんとか警察署に辿り着いた私は、玄関前で愕然としました。10段ほどの階段を越えなければ署内に入れないのです。意を決した私は、遠くを通りかかった署員の方に、
「肩を貸していただけないでしょうか!」「鞄も持って頂けると助かります!」
と大声でお願いしました。
不審者と感じたのでしょう。身構えて私に接近された署員の方でしたが、事情を説明すると、快く了解してくださいました。
私は、署員の方に鞄を持って頂き、その両肩に背後から両手でつかまって警察署内に入場しました。丁度、ボクシングのチャンピオンが花道をリングに向かう際、トレーナーの両肩につかまり、うつむいたまま一歩一歩ゆっくり進むのと同じ状態でした。私は恥ずかしさから頭にタオルを被りたいぐらいでしたが、それこそチャンピオン入場シーンになってしまうのであきらめました。
このようにして、私は、警察の方の両肩に「掴まった」のです。
なお、警察に「捕まった」ことはありません。
無事接見を終えた私は、警察署玄関前までタクシーを呼び、退場の際も両肩に「掴まらせて」頂きました。支えられながらタクシーの後部座席に乗り込む様は、負けて王座を失い怪我までしたチャンピオンのようだったかもしれません。
今は、ぎっくり腰も完治し、また元気に接見に行っています。