2010年6月8日 (火)

ことわざ

福岡の修習(研修のようなもの)時代、人の噂はほんとに怖いなと思ったことがあります。

 

ある弁護士の先生と2人で飲んでいて、その先生が酔っぱらい、「ネクタイを買ったる。」ということで、断り切れずにネクタイを買ってもらったということがありました。

 

その話をある友人にしたところ、約1週間後、全く別の友人から

「この前、中州のおねぇちゃんがいる店で、両隣におねぇちゃんを従え、黒服にネクタイを陳列させて、その中からネクタイを選んだらしいな(笑)。」

というとんでもないことを言われました。

 

あまりに話が大きく変わりすぎていたので、逆に笑ってしまいました。

ただ、根も葉もない噂であるとその友人に弁解をしたところ、その友人から

「火のないところに煙はたたない、やぞ。」

とも言われました。たしかに・・・と少し思ってしまいました。

 

そんなことを何故か最近ふと思い出したのですが、それとともに、 「ことわざって何?」 とも思いました。

 

ことわざは昔の人が実体験等をもとに、教訓や生活の知恵をあらわしたものです。

まぁそんなことは皆さん御存知だと思います。

 

しかし、逆に言えば、何でそれが現代まで語り継がれているのか・・・

昔の人達は、現代の私たちのように、学校において、ことわざを勉強したりしたのでしょうか?

また、どこから広まったのか? 

現代ほど全国のネットワークが整備されていなかった時代に、なぜそのようなものが生まれたのか・・・不思議でなりません。

 

もっとも、平安時代には既に「世俗諺文」という書物があったらしく、その中には現代においてもよく知られていることわざが載っていたそうです。ということは、もはやその時代からことわざというものが人に認識され、広めようという意識があったんですね。

何が目的かはわからないですが・・・

 

さらに、疑問なのは、現代において新たなことわざというのは生み出されていないのかということです。

過去において、ことわざが形成されてきたのであれば、現代においてもことわざが形成されてはいけないという理由はないはずです。

 

では、なぜ現代における新たなことわざが生まれてこないのか?

(生まれているのであれば私の勉強不足です。申し訳ありません。)

 

過去の人たちが、全て言い切ってしまい、今更新たな教訓等が存在しないということではないと思います。

世の中は常に変化しており、その時代時代に応じた教訓というものも必ず存在すると思うからです。

 

たとえば、パソコンなどつい最近まで存在しなかったのですから、パソコンに関する教訓や知恵というものが過去において存在するはずもありません。

そこで私が考えたのは、ことわざとは学校において「過去に作られたもの」というように教えられるため、現代における素晴らしい言葉などはことわざ扱いされない、そして、ことわざとして広めようという意識が世の中にないということです。

 

現代におけることわざ的な役割をもつ言葉は「誰々の偉大な言葉」とか「名言集」という名がつけられているためであるというものです。

もしかしたら、その名言集が、100年後には「過去に作られたもの」としてことわざとして学校で教えられていたりするのでしょうか・・・

 

なんつって。

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