「私(たち)のことは私(たち)が決める」
公職選挙法の改正により、選挙権年齢が「満18歳以上」に引き下げられました。
総務省の「18歳選挙」のサイトには、「私たちの将来は、私たちが決める。」とのコピーが踊っています。
この国では1人1人が優劣なく平等に主役ですから、国政選挙等のレベルでいえば「私たちのことは私たちで決める」ことになり、個人のレベルでいえば「私のことは私が決める」ことになります。
「私のことは私が決める」
当たり前のことのようでいて、その実現は簡単ではありません。
なぜならば、自分一人のことではなく、相手方にも関わることである場合、Aさんにとっての「私のことは私が決める」とBさんにとっての「私のことは私が決める」は、衝突・対立することがままあり得るからです。
名は体を表す
先日、線路のポイントにカメが挟まって作動しなくなるという事故について、JR西日本がカメの生態に詳しい専門家のアドバイスのもと、ポイントの前にU字溝を埋め込みそこにカメを逃がす対策を講じ、効果を上げているとのニュースがありました。
その記事中に出ていたカメの専門家のお名前が亀崎直樹さん。
須磨海浜水族園の学術研究統括でいらっしゃるとのことでした。
電車の遅延もなくなり、カメの事故死も減らせるとのこと。
まさにカメの神様のような亀崎さんです。
根拠はないけれども妙に納得してしまうお名前といえば、もう1件。
今年9月の台風による鬼怒川の堤防の決壊。
決壊したところに仮の堤防を作る作業を担当された国土交通省の現地対策本部長のお名前が堤盛良さんとおっしゃいました。
裁判傍聴から思いがけず見たもの
先月、ふと思い立って刑事裁判の傍聴に行ってきました。
不意に仕事にひと段落ついた昼下がり。
たまたまその後に当事務所の弁護士が担当する国選事件の公判期日が控えていたので、まだ裁判を見たことがないという事務員さんを連れだって、傍聴に行ってみることにしたのです。
担当弁護士は、どういうわけか僕らが傍聴に行くことを嫌がり、どこの法廷か頑として口を割りませんでしたので、僕と事務員さんは、傍聴をあきらめた素振りをみせつつ、彼の後をこっそり追いかけ、裁判所1階の開廷表で法廷を確認して傍聴に向かうことになりました。
法廷の前で再会した担当弁護士はどういうわけか苦悶の表情を浮かべていましたが、自分の事件と関係なく裁判所に来ることがこんなにも気楽なものかと浮かれてしまっている僕の前に、彼の抵抗など全く意味を持ちませんでした。
彼は、この公判期日を迎えるまで、忙しい合間を縫って遠方の警察署まで何度も何度も赴き、被告人と接見しています。
因縁の地、縁の地
2月28日から3月2日まで、事務所の営業活動の一環で鹿児島市へ行っていました。
鹿児島といえば薩摩藩。
我が会津藩にとって、薩摩藩は、江戸の末期のいざこざ以来の因縁の相手です。
僕自身、一生涯その地を踏むことはないだろうと思っていましたが、思わぬご縁から今回の鹿児島訪問となりました。
当地の方のアテンドの素晴らしさのせいかもしれません。
短時間のうちに見て触れたものがよかっただけの偶然かもしれません。
せめてもの抵抗に、ついそんな言い訳を並べたくもなりますが、何を隠そう、僕は、今回の訪問で一気に鹿児島のファンになって帰ってきました。
鹿児島人の歩くスピードの遅さには驚きましたが、これも豊かな地ならではの余裕がなせる業なのでしょう。
わずかな滞在時間であったにもかかわらず、鹿児島の人の好さ、その集積であろう街全体の温かみを感じました。
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テーブルの向こう側
昨秋、2人目の子どもを授かりました。
家族と事務所と、より多くのものを背負うプレッシャーは一入ですが、詰まるところそれが自分を強く突き動かしてくれているように感じます。
さてさて、現実は厳しく、通帳を見ても財布を見ても不景気なことこの上なく、受け取るものといえば請求書、増えるものといえば加除式図書くらいしかありませんが、家族が増えたり、上の子の進学なども近づけば、これも妖怪の仕業なのか、どうしても引っ越しや新居の購入などの夢にもとりつかれます。
そんなこんながありまして、先日、新築マンションのモデルルームというものを思いつきでいくつか見て回りました。
複数のモデルルームを訪問されたご経験のある方はおわかりでしょうが、どこであってもおよそ同じような流れでことが進みます。