五輪に見るジャッジメント
昨日は、銀座でロンドンオリンピックのメダリストの凱旋パレードがありました。
もちろんメダルを獲得された選手は素晴らしいですが、メダルや順位とは関係なく、どの選手もが精一杯の力を出そうと奮闘する姿には感動させられました。
成功裡に終わったとされるロンドンオリンピックですが、一部の競技では誤審の問題が世間を騒がせました。
審判の技量や見識の問題もさることながら、オリンピックの機会にいろいろな競技を見ていると、それぞれの競技ごとに実に様々な審判方法・不服への対応方法があることに気付きます。
アーチェリーでは、ライン上に矢が刺さった場合には、とりあえず(?)低い方の点数を表示しておいて、そのセットが終了した直後に審判が目視で確認するようです。
レスリングでは、レフリーが得点の判定をしてもチェアマンらが同意しないと得点と認められない、判定に不服がある場合にはチャレンジなる異議申立方法があり、チャレンジがあるとビデオ判定が行われる、チャレンジに理由がなく判定が覆らないと相手に得点が入るということのようです。
体操では、抗議の対象となる採点とタイミングに制限があり、最初は口頭で次に書面で行う、1回目に300ドル、2回目に500ドルなどの抗議手数料が必要になり、抗議が受け入れられた場合には返金されるということのようです。
ボクシングは、連盟への提訴が認められ、柔道は、主審・副審の判定に対して、「勝手にしやがれ」とはならずにジュリーが助言してくれるようです。
例えば、ダブルチェック・トリプルチェックする、合議で決める、判定に疑義を持たれた場合にはビデオ映像という客観的証拠で判断する、抗議できる対象を限定したり、手数料をとったり、理由がない場合には相手に得点が入ったりすることで濫用的な抗議を防ぐ、速やかに裁定結果を出すといった工夫がなされているようです。
オリンピックに限らず、どんな競技であれ、どの選手もが人生をかけて必死に競技に臨んでいることはもちろん、その選手をサポートするコーチ・スタッフ、応援する家族・観客の誰もが公平・公正で迅速・正確なジャッジを求めているはずです。
すべての競技に共通するその思いを形にするために、それぞれの競技ごとに様々な審判方法・不服への対応方法が用意され、そしておそらく今なおさらなる改善を目指して議論が続いているであろうことに興味を引かれました。
公平・公正で迅速・正確なジャッジを得るための方法に様々な形があるということ自体、紛争解決の形はひとつでないことを教えてくれます。
公平・公正なルールのもと、迅速・正確な判断で「納得」という名の最終解決を得たいとの思いは、スポーツに限らず、身近な法律問題でも共通しています。
日本の裁判所・裁判手続き、各種ADR(裁判外紛争解決)手続きのあり方も現行制度が当然の最良のものではないはずです。
そういえば、日本では裁判官の数が十分でないとか、判断を得るまでに時間がかかるとも言われていますが、スポーツの世界で「審判の数が足りないから次の試合は1週間後に審判の家の近くで」とか「もうすぐ次のオリンピックが始まるというのにようやく前回の判定が覆って今さらながらメダルを獲得できた」なんてことは聞かないな、とも思います。
訴訟等の紛争解決手続きも、単なる仕組み・制度である以上、使いやすく、利用する価値のあるものでなければ意味がありません。
裁判手続き、ADR手続きがさらに使いやすく、真に納得できる裁定の得られる紛争解決手続きになるために、意外にもスポーツの運用が参考になるのかもしれない…
そんなことも感じたオリンピックでした。
感想
スポーツの世界でも公平さが強調されているように私も感じました。
ちなみに、オリンピックの競技でやってみたいのは?と聞かれて、
私は「新体操」と答えました(できるかどうかはまったく考慮しない前提で)。
美しかったので。
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