他者受容を基調となる世界を求めて
こんにちは。室谷光一郎です。
年末も近付き、皆さん、今年を振り返られることが多いのではないでしょうか。月並みですが、私も色々と振り返りつつ、そして、来年に思いを馳せている今日この頃です。
そして、そんな中、今年の世界は「分断」と「他者理解の欠如」だったのではないかと感じております。
ご存知の通り、世界的に、経済、政治の分野において保護主義的な傾向が高まり、「異なる」他者を理解しようとするとよりも、「異なる」他者との違いを強調し、〇〇ファーストなどという自己中心的な風潮となっております。自己と他者を分断し、分断した他者に対する共感をすることはおろか、他者を理解しようともしない、そんな社会風潮となっていることがとても気になります。
弁護士の仕事は依頼者の代理人となって、「他者」である相手方と交渉をしたり、裁判をすることですが、「他者」である相手方の真意や主張を理解しないと、妥当な結論を得られないことが多々あります。私たちの日常生活や業務においてさえ、他者理解はとても重要なことです。
それにもかかわらず、世界は「分断」、「他者理解の欠如」へと迷走しているように思われ、正直、暗澹なる思いを持っております。
が、そんな思いの中、久しぶりに、トルストイ「戦争と平和」を読み直しました。ナポレオン戦争のさなかのロシア貴族の興亡を青年の恋と新しい時代への目覚めを点描しながら描かれている小説ですが、貴族と農民、ロシア人とフランス人、男と女が、互いに分断し、他者のことを理解しない中で、時代の変革の予兆を感じながら、農民という大地に足がついた人々の視点から様々な分断を統合し、そして、他者理解がなされていく様が描かれております。
確かに、現在、世界は、「分断」、「他者理解の欠如」の迷走かもしれません。が、大地・日常生活に足がついた人々の視点がもっと重視され、そして、大地・日常生活で連続している他者へと想像力を働かすことができるような時代になれば、現在の時代は乗り越えられるのではないか、そんな気がしております。
来年は、「他者受容」を基調となる世界であって欲しいと思います。
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