かいじゅうたちのいるところ
帰宅するとリビングに「かいじゅうたちのいるところ」という絵本がありました。
長男が保育園から借りてきたらしいです。
内容はお母さんに怒られた男の子が、家を飛び出して、1年と1週間と1日、旅をして、かいじゅうたちのいるところに行って、かいじゅうたちの王様になって、また、1年と1週間と1日旅をして、家に戻ると、夕食が用意してあるというお話です。
子供と一緒に読んでも10分もかからないくらいの短いお話ですが、出てくるかいじゅうたちは愛嬌があって可愛らしいです。
詳しい描写がほとんどないので、子供と一緒になって色々と想像をしながら読む感じの絵本です。
以前、映画館で「かいじゅうたちのいるところ」の予告編が流れていました。
素晴らしい映像、素晴らしい音楽、素晴らしいテンポで「この映画は是非見ないと!」と思わせる素晴らしい予告でした。
絵本を見たので、DVDを借りて来て、子供と一緒に見ました。
なんかパブリシティ的な権利問題なかったのか・・
ちょっと遅いニュースですが,イタリアセリエAのインテル所属のGKトルドが引退するそうな。
トルドといえば,昔々少年月刊マガジンというマンガ雑誌で連載されていたサッカー漫画「ビバカルチョ」(だったと思う)に「実名で」登場していたということでひどく印象に残っている。
いや,あの漫画ではトルドだけではなくバティストゥータもルイコスタもロベルトバッジョまでが実名,要は当時セリエAに所属していた選手は全員実名かつ似顔絵で登場していた(と記憶している)。
「ビバカルチョ」という漫画は,いってしまえば日本人の「ユウ椎名(漢字は失念)」が高校卒業後単身イタリアに渡ってセリエAはフィオレンティーナに入団して・・ってな漫画なんですが,椎名が「こっちだルイ!!」とか「バティ,走れ!!」という具合に現役バリバリのプロ選手とチームメイトになって活躍するという作品である。
これはこれで非常に面白く,しかも当時としては戦術面やテクニック面などで考証がしっかりとされている比較的サッカーらしいサッカー漫画(日本人高卒ルーキーがフィオレンティーナで・・とかいう点は無視して)だったように記憶している。
表現の自由って?
向井です。
3度目の投稿です。
前回,映画ザ・コーヴについて,書かせていただきました。
この映画について,先ごろ,配給会社が,一部の劇場での上映を中止したと発表しました。
中止決定以外の劇場での上映が予定されているようですから,全面的な上映中止決定ではありませんが,ともかく数箇所について上映中止が決まったということのようです。
私は,上映中止を報じる記事の見出しを見た瞬間,正直申しまして,かなり嬉しい気持になりました。
しかし,直ぐに,「オヤ,これはおかしい」と思いました。
問題は,上映中止の理由です。
報道によれば,配給会社の代表の自宅前で抗議活動がなされており,劇場に対しても強い圧力がかかり,上映に踏み切った場合に生じる不測の事態を配給会社側が懸念したというのがその理由だとか。
完璧主義
僕には好きな言葉があります。
それは「完璧主義」という言葉です。
この言葉は,京セラの創業者である稲盛和夫さんがよく使われる言葉です。
(一方的ではありますが,僕は稲盛さんを師匠だと思っています。)
稲盛さんはその著書「稲盛和夫の実学-経営と会計」の中で,「完璧主義を守ろうとする姿勢があるからミスが起こりにくくなるのであり,99パーセントの完成度でも結構という姿勢であれば,次の仕事の際には80パーセントでも満足してしまい,どんどん完成度が下がってしまうのであるから,常にパーフェクトを目指すべきだ」という趣旨のことを述べておられます。
「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」(以下「NNOK?」という。)
弁護士会のブログの担当日だというのに,更新しないまま日付は変わり,時計の針はすでに午前1時をまわっていた。
老松通りにある弁護士が集うとあるラウンジ。
会派(大阪弁護士会には会派と呼ばれる7つの派閥がある。)の懇親会の3次会はまだ終わりそうにない。
私は,男女共同参画がどうした,会派の将来がどうしたと口角泡を飛ばす諸先輩の議論に熱心に耳を傾ける・・・ふりをしていた。
「・・・どっちでもよろしやん。」
内心,私がそう思っていると,ある先生が私に尋ねてきた。
「角田君はどう思う?」
「うーん。難しい問題ですねぇ。」
愛想笑いを浮かべてお茶を濁しながら,私は夢想した。
「もしも私が落合博満だったら・・・」
最近寝ても覚めても,落合博満のことばかり考えている。