ももクロで学ぶ少年の可塑性
少年犯罪に対する厳罰化が問題となっている。
私は反対である。
理由は,少年は大人と違って可塑性があるからである。少年法は,少年が少年であるが故に,犯した罪に見合った「罰」を与えることは想定していない(もちろん,「罰」の要素が全くないという趣旨ではない)。
可塑性とは,簡単にいえば,粘土のように柔らかく,どんな形にでもなれるということである。そのとおり,少年は,若ければ若いほど,いかようにでも変化できる。
刑事関係の事件として,大人の事件と少年の事件を両方やると良く分かる。大人は,短い逮捕勾留期間ではほどんど変わらないが,少年は観護措置(少年鑑別所に入れられている期間。約1か月間)の間に驚くほど変わる。
子どもというのは,大人が積極的に関わり,良い方向に導けば,その方向に変わる。
先日,ももクロに関する記事を書いた。
http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/29/entry/1395
まず,私が彼女たちに感動したのは,「ひたむきさ」であったことはその記事に書いたとおりである。
しかし,私が今もなお,彼女たちの活躍から目を離せない理由は,彼女たちが日々成長しているからである。それも,少しでも目を離すと,あっという間に置いてけぼりにされるくらいのスピードで。
前回の記事の最後に紹介した「ももクロ春の一大事~眩しさの中に君がいた」というライブDVDがある。彼女たちのひたむきさと相まって,信じられないくらい泣けるDVDである。このときの動員数は約4400人だそうである。
この1年後,「ももクロ春の一大事2012横浜アリーナまさかの2DAYS」というライブが横浜アリーナで行われた。このときの動員は2日間で約2万5000人である。
しかし,特筆すべきは,動員数ではない。そのパフォーマンスの変化,表情の変化である。1年前は,仲間の卒業に涙しながら,ただひたむきにパフォーマンスをしていた。それはそれで素晴らしいことだ。
しかし,その1年後のライブは,ひたむきさという良い部分は残しつつも,歌唱力もダンスも桁違いに成長しているのが分かる。顔つきも全然違う。
少女達は,明らかに大人に一歩ずつ近づいている。
肉体的にだけでなく,精神的に大人に近づいているのがありありと伝わってくる。
私は,人間がたった1年でこれほどまでに成長できるものなのかと驚愕し,感動した。
みんながみんな,ももクロではないという向きもあろう。
当たり前である。
しかし,大人が道を示して,良い方向に導けば,子どもというのは多かれ少なかれ必ず成長するものだと私は信じる。
「罰」を与えても人間は変わらない。大人に対して「罰」を与えることは,ある種のあきらめを含んでいるのだ。翻って,子どもに対しては,そのようなあきらめを覚える必要はない。子どもは変われるはずなのだ。
ももクロを育てることは誰にでもできることではない。しかし,1人の大人として,自分の子どもや自分が関わっている範囲の子どもを良い方向に導くことはできるはずである。
大人の責任。それは,少年達に「罰」を与えることではなく,いかに大人になるべきかという道を示すことだろう。