水俣病は終わってへん
ご無沙汰してました。さえきです。
今日は少しお硬めの内容でお送りします。
皆さんは、水俣病という病気をご存知だと思います。そう、メチル水銀を含んだ魚介類(おさかなとかですね。)を食べたりすることで起きる病気です。もちろん、その影響は人のみにとどまらず、水俣市周辺の猫等の動物も次々と狂死してしまいました。メチル水銀は恐ろしい物質で、水俣病にかかると神経が侵されてしまい体の各部の感覚に障害が出ます。死に至ることもあります。水俣病の原因がメチル水銀であると判明するまでの間、患者の方々は、感染症の類にかかったと考えられ、隔離されていたという時期もあったとのことです。それもこれも、その症状のすさまじさ、に由縁します。言葉ではとても表せないので興味がある方はyoutubeなどで検索してください。
さて、この水俣病ですが、現在も水俣病に関する裁判が続いていて、水俣病が解決されたとは到底いえない状態であるということをご存知でしょうか。私は、学生の頃の社会の教科書に、過去に水俣病という公害病が存在したが現在は解決したかのような印象を与える記述があったように記憶しています。
そこで、今回は、水俣病はまだ終わっていないということをこのブログでアピールしたいと思います。
わたしは、先週末、初めて水俣市に行ってきました。水俣病事件研究交流集会という集会に参加し、私が参加させていただいている水俣病に関する事件の報告をするためです。
事件の内容は、昨年、少し報道されました。Fさんという方の事件です。Fさんは、明らかに水俣病です。しかし、国や県は、Fさんが水俣病であるとは認めません。そこで、Fさんは、国や県に対して、水俣病であることを認めよ、と訴えを起こしたのです。
結果、昨年、裁判所は、この方が水俣病であるということを認めてくれました。3年がかりの裁判でした。しかし、熊本県はこれを不服として控訴し、現在この事件は大阪高等裁判所で審理されています。
なぜこのような問題が起こったのか?
それは、国が設定している水俣病認定の基準が、あまりにも狭いものだからです。
最初に言いましたが、水俣病は、メチル水銀を体内に摂取したことで
神経が侵されてしまうという病気です。しかし、国や県は、これをことさらに小さく小さく定義します。もちろん、水俣病患者にも、重症のものから軽症のものまであるわけです。しかし、小さく小さく小さく定義された国や県の基準によれば、水俣病と認定されるのは、本当に重症の方に限定されるということになります。
水俣病に認定されるかされないか、で患者さんの待遇は天と地ほども違います。患者さんは、体の感覚に明らかに障害が残っているのに、何十年もつらく苦しい思いをしてきたのに、国や県はこれを認めようとしないのです。認定してしまうと、これまでの行政の在り方が間違っていたことを認めることになるからでしょうね。
こういった事件に携わることは、はっきり言って、弁護士冥利につきると言えます。あまり長くなってもあれですので、今日はこのへんで締めますが、これを読んでくれた皆さんが水俣病はまだ終わってへんねや。ということを記憶してもらえれば幸いです。
ところで、水俣市は、熊本駅から新幹線で約30分程の場所にありました。
印象としては、とても静かな普通の町。水俣湾の水はとても美しく、魚もおいしかったです。景色も最高でした。
このように復活した水俣を見ると、逆に水俣病という問題が終わったかのような印象を受けることに何とも言えない感情を抱きつつ、そうだこのことをブログに書こうと思った次第です。
なお、全然話は変わりますが、この1月から独立開業して執務をしています。前回のブログでは、事務所名はきまっていませんでしたが、結局「さえき法律事務所」としました。インパクトある事務所名が思いつかない・・・そんな腰抜け弁護士が書いたブログでした。
ではまた~
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