お馬がパカリ
24日、25日と天神祭でしたね。
夕方、外出先から事務所に戻る際に、陸渡御に出くわしました。
車がびゅんびゅん通る横を、雅な恰好をした人を乗せ、お馬がパカリパカリと進んで行く様にほっこりしました。
蒸し暑さに加え、アスファルトの照り返しがあったので、人も動物もみんな大変だったと思います。
お祭りの発祥は1000年前。
まさかこんな所を練り歩くことになるとは当時は誰も想像できなかったでしょうね。
私は、かつて社会学を専攻していたせいか、「日常」と「非日常」が交わる点に強い興味があります。
柳田國男は、近代化に伴い、「ハレ(祭、儀礼などの非日常)とケ(日常)」の区別が曖昧になっていると言っていたような気がしますが、
その通りかもしれません。
お祭りの話題の後ですが、真逆の話をします。
海外を旅行した際、戦争の跡地を何度か通ったことがあります。
それまで、知識として知っていても、戦争だとかテロだとかいうものは、どこか遠い所で起こっているもののように思っていました。
現場を目の当たりにし、普通に生き、暮らしている人がそこにいるという事実に、言葉を失いました。
もう少し言うと、「普通に生き、暮らしている」という具体的内容が、想像していたよりもずっと自分の生活に近かったことに驚きをかくせませんでした。
マンションが建ち並ぶ街中。
学校に通う子ども。携帯電話を使っている人々。綺麗にパックされた飲食料を並べるスーパー。
こういう環境の中で、爆撃は起こるのですね。
シリアに行った時も、まさか今日のような事態になるとは思っていませんでした。
お茶をし、一緒にくだらない話を交した人達の所に、こんなことが起こっていることが俄かに信じられません。
自ら選択できているならよいのだけれど。
価値観が多様化し、「ハレとケ」の境も曖昧化し、社会の方向性として何が正しいのかよくわかりません。
ただ、ひとりひとりが大切にしているものを、不条理に壊すものを見ると、イラっときてしまいます。
弁護士として、そのイラっとする気持ちは、ずっと大切にしていきたいなと思っています。
お馬がパカリ、からなんでこんな文章になってしまったのかは謎です。
日常と非日常
私はこのブログから武田先生のように“気づくこと”が大切なのだと思いました。
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