野生を食す
植物に水と光が必要なように、人間の身体にも必要なものがあります。
身体を維持するためには、栄養と休息は欠かせません。
しかし、それ以外にも人間にとって必要なものがいくつかあるように思います。
たとえば「文化」。
ある人にとってはクラシック音楽かもしれませんし、ある人にとっては吉本芸能かもしれません。
生き死にに決定的な要素ではないけれど、それがないと人生から色彩が失われてしまう。
私は、ジャンルを問わず、人の「こだわり」を見るのが好きで、そこに文化を感じます。
初々しい感じというのも好ましいものですが、玄人の技能に圧倒されたいと思ってしまいます。
他方で、「文化」とは別に、個人的に必要としているものに「野生」があります。
普段、私は自分の五感に頼るより賞味期限の表示を見て、食物が食べられるかどうかを判断してしまいますし、
外出をするときは、外の空気や空模様よりも天気予報を信頼してしまいます。
ただ、そんな生活をずっと続けていると、生物としての大切な機能が失われていくような危機感を感じてしまいます。
動物園のゾウが、捕食動物から逃れ、安心で安全な環境にいるにもかかわらず、野生のゾウの寿命の半分しか生きられないような。
「野生」を取り戻すためにできることは限られていますが、
加熱した料理よりも生食を意識して食べたり、近所の猫と戯れたり(全く懐いてくれませんが)すると、少しほっとします。
前ふりが長くなりましたが、私が今月で大阪を離れることとなったため、先日、男気と情け深さを兼ね備えた某先輩(女性)が、大阪の思い出にどこか好きな所に連れ出してくださるという話になり、
「野生」が好きですと言ったところ、すっぽんを食しに行こうということになりました。
(この辺にも、先輩のあふるる男気を感じずにはいられません。)
こうして、人生初すっぽんの日を迎えました。
まずは普段と同じように乾杯をすると、何やら赤い液体が入ったショットグラスがテーブルに。
「おお、これはすっぽんの血ですね!」
女子的には、ここでかわいらしく「キャー」と叫び声の一つでもあげるべきだったのかもしれませんが、
前のめりの女弁護士2名。
迷わず赤い液体を飲み干すと、心なしか血圧が上がってくるのを感じます。
すると、興奮冷めやらぬテーブルに、ドンと置かれる大きな皿。
すっぽん本体の登場です。
テーブルの興奮は最高潮に。
見る人によっては、グロテスクに感じるのかもしれませんが、
野菜もすっぽんも鮮度が高く、キラキラしていてとても綺麗。
野生感たっぷりなのになぜか上品。
料理レポート能力ゼロなので、味についての詳細は割愛しますが、
あっさりとして優しい味なのに、パワフルで温かくて身体の中に響いてくる。
みんなー野生ってこうだよーー!と、思わずハンドマイクを使って叫びだしたくなるくらい、テンションが上がっていたと思います。
今冷静になって振り返ると、あの料理は、きちんと「料理」で、
むき出しの野生ではなくて、料理人がうまく抽出し、アレンジしてくれていたんだなあ、と思います。
クラシックだけでは物足りないし、モードだけでは薄っぺらい。
美味しさと野生の力強さを保てるギリギリの一点をくくり出す料理人の技術力(文化力)って、すごいなあと思います。
普段なかなか話せなかった先輩ともしっぽり話せ、
お腹も心も満腹になり、夢見心地な一夜でした。
すっぽん様のコラーゲンで肌力アップ間違い無しの翌日でしたが、一日丸々引越し準備に費やしてしまいました。
無念。
すっぽん
私も過去一度だけすっぽんをいただいたことがありますが、
ぷるぷるでしたー。
たぶん、引越し疲れも半減ではないでしょうか。
大阪生活の素敵な(野生な)思い出のひとつですね☆
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