正当性の否定
前回に続いて「正当性」について論じたいと思います。
今回の安保法案成立に至る過程で感じることは、国家権力の「正当性の欠如」です。
日本の安全保障のためには集団的自衛権及び集団的自衛権を担保する法整備が「必要」だとする論議と、憲法違反の疑いが強い法案を通すことは立憲主義の根幹を揺るがすことになりかねないのでそのような法案成立は「許容」できないとする論議の対立でした。
必要性論議と許容性論議は次元が異なるものなので、その論議の対立は平行線をたどるしかなく、それぞれを分けて論じることが必要です。
ただ、こうした、必要性論議と許容性論議を「あえて」平行線で論じることは政治の世界ではありがちなことなので(法律家としてはあってはいけませんが)、そのこと自体に特に驚きはしませんでした。
しかしながら、必要性論議の中で、「憲法の前に国家がある」論が、事実上、公然と語られていたことには驚きを感じました。
法律や法律を支える論理に対する社会的正当性の揺らぎ
人間は感情の塊であり、喜怒哀楽にこそ人間の神髄が現れていると思います。それゆえ、芸術というものの多くは人間の喜怒哀楽や感情をテーマにしているのだと思います。
が、感情で全てを解決することは無用な「正義」観の対立を生み、秩序をとることができなくなることもあります。
それゆえ、感情や喜怒哀楽と少し離れたところに法律や法律を支える論理が必要とされているのだと思います。
そして、この法律や法律を支える論理によって、国や社会がある程度秩序立てられていることは誰も否定しないと思われます。
夢を叶えること/今を生きること
ある会合での席のこと。
「あなたが子どもの頃、憧れていた夢の職業は何ですか?」と聞かれた方が、「弁護士になりたかったです。今は全く違う職業ですが。」と答えられている場面に遭遇しました。
申し訳ございません、私、今は弁護士をしておりますが、思春期・青春期に弁護士になりたいとは露とも思っておりませんでした。
思春期・青春期の頃、ひっそりと私が温めていた夢がありました。
それは、「物書き」になることです。
小説家、脚本家などなど。
クリエイティブな文才がないにも関わらず、憧れておりました。
あまりにも無謀なので、誰にも言わず、ひっそりと、ノートに作品を書いては、懸賞に出し、落選をする。そんな繰り返しをしておりました。
たった一度ですが、佳作を頂戴して有頂天になったりもしておりました。
そして、「リーガルハイ」法律監修の際には、クリエイティブな世界との間接的な関わりを通して、昔の夢を思い出したりもしておりました。
著作権の保護期間延長について
今回は、法改正とリアル社会の力関係について、著作権の保護期間延長問題から考えてみたいと思います。
そもそも、私は、著作権関係の仕事を多く扱っており、同保護期間延長に関し、賛否両方の考えを持っており、いろいろと感じていることはありますが、今回の動きについては、中身の問題ではなく、プロセスについて、色々と感じるところがあります。
昨今の報道機関による情報によりますと、TPP交渉の中で、著作権の保護期間(現在は死後50年間です)が70年間に延長される方向で進んでいるようです。
「著作権が期間満了で消滅した後に権利が復活することはない」というベルヌ条約の規定、映画の著作物が従前から70年であることからして、実務的には、保護期間延長によって、大影響が出るわけではないかと想定されます。
しかしながら、実務的影響という次元ではなく、今回の方向性については、民主主義の観点から少し疑問を感じております。
1年の抱負
皆様
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
昨年は、娘の出産、独立開業と色々なイベントがあり、1年はアッという間に過ぎ去った感がありました。
そこで、今年の抱負ですが、まずは事務所を安定させて軌道に乗せていくことです。愚直に仕事をして、クライアントの要望に応えるために頑張るということをコツコツとし続けます。
次に、ワークライフバランスを「少し」は意識化して実践しようと思っております。第1の抱負とのバランスをとらねばと思っております。これが難しいですが…頑張らねばと思っております。
そして、最後に専門性を高めることです。弁護士は、色々な業務を総合的にする必要がありますし、また、その総合力は何よりも大事だと思います。ただ、その総合力を有しつつ、専門性を高めていくことにも注力を注がねばと思っている今日この頃です。
ということで、今年は、自らを律し、しっかりと足固めをする1年にしていこうと思っております。