立場が変われば見方も変わる?
本業とは関係のない某団体の活動の一環で、本日、中之島の中央公会堂で開催されるイベントの企画・設営・運営の一端を担当する役割を得ました。
参加する側ではなく、主催する側に回ってみて初めてわかることがあります。
何事も実際にその立場に立ってやってみないとわからないものです。
企画そのものを生み出す苦労はもちろん、例えば、会場の手配ひとつとってみても、そもそも会場が空いているのか、空いているとして仮押さえはできるのか、仮押さえに費用はかかるのか、いつからキャンセル費用がかかるのか、お金の支払いはいつまでに、振り込みか現金か・・・、嫌になるほど多くのことを考えて進めていかなければなりません。
また、会場に持ち込む機材があれば、その機材や搬入の手配はもちろん、会場との間で搬入経路や搬入時間の調整、電源の有無や配置場所などの事前の調整も必要になります。
参加者を募るイベントであれば、受付場所や受付方法をどうするか、参加者をどう誘導するか、参加者から質問があれば誰がどう答えるかといった点も事前に詰めておく必要があります。
これまで大きなイベントを主催した経験はなかったのですが、イベントの当日までに主催者側の大変な労力があることに気付かされました。
秋の行楽シーズンを迎え、まちの中は様々なイベントで溢れていますが、それらを目にするにつけ、「このしつらえをするまでには大変だったろうなぁ…」と主催者側の努力に目が行くようになりました。
参加したイベントで少しばかり誘導がもたついたくらいなんですか?
その程度のことは、もはや今の僕には何のストレスもありません(ただし、本日現在)。
自分が今置かれている立場だけから見るのでは物事の一面しか見えないのだということを改めて思います。
民事事件・刑事事件を問わず、弁護士業務で向き合う「事実」だって、どこか一面からだけしか見ていなければ「真実」にたどり着けようがありません。
むしろ意識して真逆の立場に立ってみて同じ事象を捉えてみることの大切さを思います。
例えば、交通事故。
誰しもが、いつ被害者になるかわからないだけでなく、それと同じくらい、いつ加害者になるかもわかりません。
被害者と加害者の立場がいつ入れ換わるかわからない中で(立場の互換性)、被害者の損害に対する補償のあり方はどうあるべきか、加害者としての賠償のあり方はどうあるべきか、そんなことの“総体”として損害賠償のルールができあがっていることを忘れることはできません。
物事を見る視点が増えると、何事にも簡単には答えが出せなくなりますから、それはそれで苦しいことかもしれません。
でも、物事を見る視点が増えれば増えるほど“寛容”になれる気もします。
そんなことを考えた秋の日です。
では、今日のイベントの事前準備に出発します。
そうですね。
イベント企画に携わると、集客も頭がイタイですしね。
弁護士は両方の立場に関与することができるので、いろいろ経験して骨太になっていきたいですよねー。
小島先生、ありがとうございます。
そうですね、僕はまだまだ迷い彷徨う日々ですが、骨太になることを目指していきたいです。
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