弁護士会のブログの担当日だというのに,更新しないまま日付は変わり,時計の針はすでに午前1時をまわっていた。

老松通りにある弁護士が集うとあるラウンジ。

会派(大阪弁護士会には会派と呼ばれる7つの派閥がある。)の懇親会の3次会はまだ終わりそうにない。

私は,男女共同参画がどうした,会派の将来がどうしたと口角泡を飛ばす諸先輩の議論に熱心に耳を傾ける・・・ふりをしていた。

「・・・どっちでもよろしやん。」

内心,私がそう思っていると,ある先生が私に尋ねてきた。

「角田君はどう思う?」

 

「うーん。難しい問題ですねぇ。」

愛想笑いを浮かべてお茶を濁しながら,私は夢想した。

「もしも私が落合博満だったら・・・」

 

最近寝ても覚めても,落合博満のことばかり考えている。

 

落合監督のことを四六時中考えるようになった直接のきっかけは,テリー伊藤さんの近著「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」(以下「NNOK?」という。)(角川書店)を読んだことにある。

「直接のきっかけ」というまどろっこしい言い回しは,平均的日本人以上に落合監督について考えてきたという自負からくるテリーさんへのささやかな抵抗である。

 

ただ,私の中のプロ野球熱が冷めるに従い,落合監督に向き合うことを怠っていたことは紛れもない事実だ。

とくにここ数年は,週刊プレイボーイ誌上で連載されていた落合監督の長男福嗣氏の連載「腹式呼吸」を介して,間接的に落合監督に思いを馳せることがほとんどだった。

同連載は,記者のインタビューに答える形式で福嗣氏の日常を綴ったものである。

連載開始当初こそ,「一体どこに需要があるのだろう?」と困惑を覚えたものの,同連載が福嗣氏のパブリックイメージを逆手に取ったセルフパロディーだと気付いたとき,過剰な自意識に苛まれる同年代の若者にはない福嗣氏の客観的な視点及びそれを育てたオレ流子育てに畏敬の念を抱かずにはいられなかった。

 

とはいうものの,私が酒の席で,オレ流子育てを通して見えてくる落合監督の人間的魅力についていくら熱弁をふるったところで,福嗣氏の幼少期の行状が刷り込まれた者たちには一笑に付されるだけだった。

 

悔しまぎれに私が,昨年発売された球史に残る名著,愛甲猛氏の「球界の野良犬」(宝島社)から,球界最後の無頼派とも言うべき愛甲氏が唯一師匠と慕った落合監督の心温まるエピソードを披露しようものなら,逆に口々に「2007年の日本シリーズ第5戦で完全試合目前の山井を交代させるなんて非情すぎる。」,「他の球団がWBCに協力を惜しまなかったのに,中日はWBCへの代表派遣を拒否したじゃないか。」,「2000本安打を打ったときも,名球界を入会許否して,カネやんやONに恥をかかせたぞ。」,「そう言えば,ファンあってのプロ野球なのに,ファン感謝デーをサボタージュしたこともあったぞ。」,「親会社の中日新聞にもダンマリを決めこむなんてもってのほかだ。毎試合ボヤキでファンを楽しませるノムさんを見習え。」と反駁され,為す術もなかった。

 

テリーさんの「NNOK?」の凄いところは,アンチ落合論者によって援用されることの多い一見不可解に見える落合監督の上記言動には全て明確な理由があったことを,「落合力」というキーワードを駆使して,見事に紐解いてみせた点にある。

 

その上で,テリーさんは,日本人が落合監督を再評価し,「落合力」を高めることこそ,日本の国力を高め,混迷日本を救う道だと提言するのである。

 

ここに「落合力」とは,どんなに嫌われても,勝利だけを唯一の目的として,わが道を進むこと。群れず,はしゃがず,黙って信念を貫くこと。媚びず,言い訳せず,不気味なほど寡黙に勝負して,勝つことをいう。

 

「そうか。そうだったのか。俺に,そして日本に足りないのは落合力だったのか。」

 

もしも,落合監督が日本の総理大臣だったなら,沖縄にもアメリカにも政権与党にも八方美人に振舞うことなどあろうはずもなく,普天間問題がこれほど迷走することもなかっただろう。

もしも,落合監督がサッカー日本代表の監督なら,たとえW杯直前の壮行試合で韓国に惨敗を喫したとしても,青白い顔をして犬飼会長に進退伺いをすることもなかっただろうし,その翌日「進退伺いは冗談だった。」と釈明することもなかっただろう。

 

「NNOK?」を読んでからというもの,私は常に「落合力」を物差しに行動するようになった。

 

例えば,起床時の二度寝の葛藤。

私がしなければならないことは,あくまで効率良く仕事をこなすことであり,兄弁や事務局の目を気にして,早い時間に事務所に出ることではない。

落合監督なら,本質的でないことには目もくれず,効率良く仕事をこなすために二度寝を貪るはずだ。

よし,二度寝をしよう。

 

落合力の測定は他者にも向けられた。

私が,コンビニで,大スポ,日刊ゲンダイ,及び夕刊フジを購入しようとすると,コンビニの店員は言うに事欠いて,「袋をお分けしましょうか?」と聞いてくる。

一体どこに,大スポと日刊ゲンダイと夕刊フジの袋を分ける実益があるというのだ。

 

夕刊紙三紙を片手に,居酒屋に入った私が,生ビールと赤ウィンナーの塩胡椒炒めを注文すると,今度は居酒屋の店員が「ご注文を繰り返します。生ビールと赤ウィンナーの塩胡椒炒めですね。」とご注文を繰り返す。

もしも,落合監督が,当該居酒屋の店員なら,ご注文を繰り返す暇があれば,その隙に赤ウィンナーを塩胡椒で炒め始めたはずだ。

マニュアル型人間は,落合博満の対義語なのだ。

 

森羅万象を落合力で事業仕分けして悦に入っていた私は,生ビールを飲みながら,ふとあることに気がついた。

 

「落合力」という他人の物差しを借用する行為こそ,実はもっとも「落合力」からかけ離れた行為ではなかろうか。

 

「落合力」のパラドックスに気付いた私に,潜在意識が目を背けさせていたリアルな現実がさらなる追い討ちをかけた。

 

落合博満が史上最多の3回目の三冠王を獲得したのは33歳のときだった。

いまだ何一つ成し遂げたことのないイソ弁である私の年齢はその33歳なのである。

 

そのあと食べたはずの赤ウィンナーの塩胡椒炒めの味を,私は覚えていない。

 

翌日,私は,担当日である弁護士会のブログも更新しないまま,もしも落合博満が弁護士だったなら入るはずのない会派なるものの懇親会の会場にいた。

ぼんやりと一次会で会務の報告を聞きながら,私は「NNOK?」の一節を思い出していた。

 

「宴会の途中で帰る勇気も一つの落合力である。」

素晴らしい!

水道橋博士の著書を読んでいるかのような、実に面白い文章なのであります!

三度目の三冠王...角田弁護士だって(当方も含めて)世間の全ての33歳と比べれば、
今宮戎新人漫才コンクール、
司法試験合格、
ラジオパーソナリティオーディション
と、見事な三冠王じゃないっすか!

嗚呼、こちらの塩コショウ炒めこそ今夜に限って、なぜか塩味が濃過ぎて仕方がないのっての! チャンチャン!! (週刊ポスト『たけしの世紀末毒談』風に)

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