2010年6月4日 (金)

記憶

 

こんにちは。塚崎です。

 

仕事をしていて気になるもののひとつに、記憶力があります。全てではありませんが、大事だと思います。

(よく、依頼者の方から、「司法試験の時は六法全書全部覚えるんですよね?」と聞かれますが、そんなはずがありません。)

 

先日の夜、仕事を終えてビルの外に出ると、雨上がり直後だったのでしょか、地面が濡れて水たまりが出来ていました。

私は、自転車通勤をしています。雨具もないまま片道20分はつらいので、タイミングの良さに喜びました。

しかし、その直後、悲しい気分になりました。

歩道上の駐輪場に自転車をとりにいくと、サドルがなかったのです。

暗闇の中、ぽつんと後輪右側の水たまりに転がっていました。

ここ数日、サドルのバネから、不自然なギシギシ音が聞こえていたのには気付いていましたが、とうとう壊れてしまいました。しかも、寿命を全うした後の様子が悲しすぎます。

 

その瞬間、頭の中に、これまで全く意識していなかった記憶がよみがえりました。あれは確か、中学1年生の頃だったと思います。幼き日の思い出です。

 

友達数人と自転車で、近所のお祭りに行ったことがありました。夜に友人と遊ぶのが楽しくて、お祭りが終わっても家に帰りがたく、白熱灯の黄色い光の下で夜店の後片付けを眺めたりしていました。それにも飽きて、友達とも別れ、自転車で家に帰ることになりました。

 

しかし、サドルがありませんでした。

 

付近を捜すと、サドルは、お祭りが終わった暗闇の中、近くの排水路に濡れて静かに転がっていました。

 

このような幼き日の記憶が、自分でも忘れていたはずなのに、突然思い出されました。理由はわかりません(別にオチもありません)。

 

ものの本によると、過去の「強い感情」が伴う記憶は、後日「類似の感情」が訪れた際、意識の表層に突然あがってくることがあるそうです。今回の私もそれでしょうか。

しかし、濡れてぽつんと転がるサドルは、確かに絵的に悲しいのですが、今の私は「強い感情」までは抱きませんでした。なんとか「類似の感情」といえる程度しかありません。すぐに考えたのは、置いて電車で帰るか、この時間に自転車屋は開いているか、などの事柄でした。

 

 

濡れて転がるサドルから、中学1年生の私には強く感じることができた感情。今の私には失われた感情。

 

感受性は日々衰えていくのだと思うと、さびしい気持ちになります。そうすると、このさびしさも、あと何年後かには感じなくなるのでしょうか・・・

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