私の履歴書(幼年期編)
日経新聞の面白い読み物に私の履歴書というものがあります。
いろんな分野の著名人が小さい頃から現在に至るまで,
振り返るエッセーです。
今はトニー・ブレアさんですが,
自分の政敵のことをクソミソに言っていたりして面白い。
私には,振り返るほどの立派な経歴もありませんが,
いつか来るかもしれない機会に備えて、書いてみることにしました。
私は,1983年6月22日大阪府の枚方市で生まれた。
父は松下電器の勤め人で,母とは職場で出会い,
母は結婚とともに仕事を辞めたそうだ。
まだ物心が付く前のことだが,知能の発達を確認するために,
検診で私に積み木をさせようとしたことがあったらしい。
しかし,私はどうしても人に強制されて積み木をするのがイヤだったらしく、それを断固拒否したそうだ。
これをみた人は,母に「この子は,知能の発達が遅いようだ。
特別な教育を受けさせたほうがいいと思う」と勧めたそうだが,母は私があまのじゃくなのを知っているので,
「この子はこれで普通なんです。ご心配なく」と断ったらしい。
このあまのじゃくな性格は現在も変わっておらず,
まさに三つ子の魂百までということわざのとおりになっている。
私と任天堂のファミコンは同じ時期に生まれている。
私の家にも私が幼稚園に通っている頃にはファミコンがあった。
私の家では,当初「ファミコンは雨の日だけ」というルールがあったらしく,私は年子の弟とともに雨の日は喜んで幼稚園から帰ってきていたらしい。
悲劇は,このルールからはじまる。
その日は雨が降っており,幼稚園が終わった後,
私は喜び勇んで家に飛び込んだ。
しかし,当然のことながら,雨の日は玄関も濡れている。
私は足を滑らせ,前頭部を玄関の上がりに強打した。
私の前頭部は当然のごとく出血したのだが,
それを見た母はなぜか「口から血が出てる」と思ったそうだ。
動転していたのだろう。
私はすぐに近所の病院に運び込まれ,傷口を縫う治療を受けた。
医師は母に「傷はすぐに消えるし,傷の部分に毛もちゃんと生えますよ」と言ったそうなのだが,
現在も私の前頭部にはいわゆる「貯金箱ハゲ」が残っている。
幼年期の私は常に坊主頭だったので,私の幼年期の写真はすべからくこの「貯金箱ハゲ」とともにある。
幼年期の私はいわゆる「子どもらしい子ども」で,
親戚の「この貯金箱に10円入れたろう」という冗談に
「へへー10円もらった」とニコニコしていたらしい。
私は,当初は枚方の幼稚園に通っていたのだが,
年長組になるころに父の仕事の都合で福島県に引っ越すことになった。
福島県の家の近所には適切な幼稚園がなく,
私は保育園に入ることになった。
そのまま福島県の公立小学校に入学したので,
私の経歴は「幼稚園卒」ではなく,「保育園卒」になる。
福島県で暮らした記憶はもうあまり残っていないが,
お弁当にイナゴの佃煮を持ってきている同級生がいて,
カルチャーショックを覚えた記憶がある。
私自身は,今も連絡をとっている福島県時代の知人はいないが,
母は今でも年賀状のやりとりなどをしている。
昨年の震災では,食料や水などを福島県時代の知人に送ったそうだ。
私の記憶に残る福島県は,素朴で,自然豊かで,人の良いところだ。
その福島県が,震災や原発であのようなひどい目に遭うことに,
理不尽さと怒りを感じる。
しかし,私が小学校2年生になるのと同時に再び枚方に戻ることになり,それ以後,福島県に行ったことはないので,
私はそれ以上の偉そうなことを言うべき立場にはない。
先にも述べたように,私の幼年期は,育った環境が田舎だったこともあって,
「子どもらしい子ども」だったと聞いている。
私の性格に「ひねり」若しくは「ひねくれ」が出てくるのは,
少年期以降のことである。
少年期編に続く
少年期編へ
次にお会いしたときは「10円入れたろか?」と
言ってしまいそうです。
少年期編、また期待してます!
ありがとうございます
僕の貯金箱は,最近,お札のみ受け付けているようですので,
その節はよろしくお願いします(笑)
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