マレーのハラ(私の履歴書2)
すでに飽きてしまった「私の履歴書」だが,
私のマレーシア時代について語らないで終わるわけにはいかないだろう。
何を隠そう(別に隠してないが),私は帰国子女なのである。
小学校5年生のとき,父の仕事の都合でマレーシアに行くことになった。
親の都合で海外に行くことになった子どもの心境は様々だと思うが,
小学5年生の私の胸に宿ったのは,
「日本に帰ってきたとき,まだこち亀やってるだろうか?」だった。
つまらないことに思われるかもしれないが,
当時の私にとって,海外に行くということは,今まで当たり前に楽しんでいたことが当たり前でなくなることであったし,
帰国するころには世の中がすべて変わっているのではないかという不安しかなかったのだ。
(ちなみに,当時の私もこち亀が2012年になってもまだ連載しているとは夢にも思わなかった)
かくして,私のマレーシアでの生活がはじまったのである。
私は,マレーシアのジョホールバルという都市に住むことになった。
ジョホールバルは,マレーシア最南端の都市で,サッカー好きには「ジョホールバルの歓喜」の舞台として知られる。
私はジョホールバルの歓喜のころにはすでに帰国していたが,父はその当時まだジョホールバルで生活しており,その瞬間をスタジアムで味わったらしい。
当時のジョホールバルには日本人学校がなかったため,
ジョホールバル在住の日本人の子どもの多くは,
毎日マレーシアからシンガポールに越境して,
シンガポール日本人学校に通っていた。
私もその例に漏れず,シンガポールの日本人学校に通うことになった。
ジョホールバルでの思い出やシンガポール日本人学校での思い出はいい思い出も悪い思い出も数限りなく語りつくすことはできない。
たとえば,当時所属していたソフトボールチームであるJBライオンズ(某ライオンズのマークをそのままパクってチームロゴにしていた。厳密に考えると問題がある気がする)に,現地の子どもが参加したことがあったのだが,彼にキャッチャーをさせたところ,彼の真正面に位置する守備陣からは彼がハミ○ンしているのが丸見えだったことがあった。
たぶん,彼はノーパンであった。
われわれJBライオンズ一同は,彼が個人的にパンツをはかない主義だったのか,はたまた文化的な理由だったのか,彼の退団まで知ることができなかったのである。
当時の私の生活はセレブそのもので,日本の一戸建ての家よりも断然広く,メイド部屋まであるマンションに住んでいた。
マンションにはプールやテニスコートまでついていて,母は,私と弟にテニスを習わせてくれたものである。
しかも,そのコーチもただものではない。彼は,テニスでジョホールバル3位になったことのある男で,私と弟に非常に熱心にテニスを教えてくれた。
しかし,私と弟は,その期待に応えることはできなかった。
私と弟は昔から野球をやっていたため,どうしてもラケットのスイングがアッパー気味になってしまい,コーチの打ってくる球をすべて場外にホームランしてしまったのである。
さらに悪いことには,当時の私のマンションの横はジャングルになっていた。一度ボールがジャングルに入ってしまえば,拾いに行くことなど不可能なのである(野良イグアナが出没する)。
その結果,練習3回目にしてコーチから「(ボール代はコーチ負担なので)採算が合わない」との理由で私と弟はテニスの弟子をクビになってしまったのであった。
また,マレーシア時代に日本では大きな災害が発生した。
阪神淡路大震災である。
朝の準備をしながら,言葉のわからない現地のテレビをつけていると,
廃墟のような街と日本語で被害の状況を訴える日本人が映ったのである。
私は,その映像は戦後すぐの映像の再現映像か何かなのかと思った。
遠く離れたマレーシアで,日本が廃墟のようになるなどとは,
私の想像できる範囲をはるかに超えていたのである。
京都に住む祖父母や親せきと連絡が取れるようになるまでは,
不安な日々を過ごした。
海外での生活でも私は英語能力を身に着けることはできず,
せいぜいマクドナルドでメニューを指さしながら「ディスワンプリーズ」と言うのが限界である
(ちなみに,マレーシア時代は「サムライバーガー」を好んで食べた。日本でいうところのテリヤキバーガーである)。
また,つらい経験もあった。
「日本人会」を通じて日本のマンガを購入することができるのだが,
マレーシアはイスラム国なので,「検閲」により,少年ジャンプのエッチな部分はすべて切り取られてから入荷されていたのである。
思春期の少年にとって,ただでさえ健全な少年ジャンプの「より健全な」部分だけを読まされることの苦痛は耐え難いものであった。
弁護士になった今も表現行為の「検閲」に敏感なのは,このころの体験が影響しているのかもしれない。
せっかくの海外経験も,中学2年で帰国して,あっというまにすべて忘れてしまった。
残ったのは,「僕は帰国子女なんですよ」という話題の提供のネタのみである。
しかし,それも無意味ではない。
こうして,ブログに書くこともできるし,一部で用いられている私のあだ名である「ハラマオ」の大元にもなったのだから。
(表題の「マレーのハラ」や「ハラマオ」の意味がわからない人は「マレーの虎」でググってください)。
マレーシアは,今は老後の生活の場所として人気があるらしい。
私の父もまた仕事でマレーシアに行っている。
十数年前の記憶をたどりながら,またマレーシアに行ってみたい。
写真
はら坊ちゃん(当時)の写真とか見たいですけど。
語り尽くせぬ数限りない思いでの中からハミ○ンの話題を取り上
語り尽くせぬ数限りない思いでの中からハミ○ンの話題を取り上げるあたり、さすがです。
原先生の豊かな個性が形成された過程を知れて感無量です。
原先生の豊かな個性が形成された過程を知れて感無量です。
子どもの頃の写真は
ザ・少年というおもむきです。
前向きに検討させていただきます(笑)
ハミ○ンの思い出
当時の僕にとってはかなりカルチャーショックでした。
しかも,うわさによるとその少年はさる高貴な血筋の子だったらしいです。
畑先生
FBのみならず,ブログにまでコメントいただき,恐縮です。
畑先生の学生時代のお話もお聞きしてみたいです!
弁護士さんって
中途半端な時間に流れている大阪弁護士会のナゾのCMに導かれ、ブログにたどり着き(特にトラブルはないのですが・・)あまりにも面白かったので、時間を忘れこれまでの記事を読破させて頂きました。
ありがたいことに法律トラブルに巻き込まれたことはないので、弁護士さんといえば2時間ドラマでよく見る、はみだした感じの方か(この記事もハミ出しネタ・・)悪の手先のイメージ(失礼!)でしかなかったのですが、ブログを読ませて頂いて、イメージがガラリと変わりました。
万が一トラブルに巻き込まれてしまったら、楽しく(?)ほぐして解決してくれそうな先生方にぜひ、お願いしたいです。
通りすがりの乱文、失礼致しました。お忙しいでしょうが、ブログの更新楽しみにしています。
通りすがりの方へ
ありがとうございます。
あのCMをご覧になれたのは,かなりラッキーだと思います(笑)
僕も自分が弁護士になるまでは,
弁護士って,探偵みたいに事件を捜査して,
裁判所で真犯人を指摘するのかと思ってました。
弁護士の仕事は,相談に来られた方を安心させてあげることかと思います。
そのために,気分をほぐす笑いのセンスも磨くべく,日々精進しております。
ぜひ,これからも大阪弁護士会のブログをご愛読ください。
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