見上げればそこに
昨年秋、東欧に行きました。
石畳のでこぼこ道に続いて、煉瓦造りの建物が建ち並ぶ。
空は秋を前に少し曇りながら、街の木々や古い家屋上に大きく横たわる。
歴史深い街に住むことの不便さを思いつつ、誇りを感じながら暮らす人達の表情をたくさん見ました。
変わってこちらは大阪。
街路樹と高層ビル群。空はビルとビルの間にちらちら見え隠れ。
日本の都会の要素が凝縮されています。
先日、大阪市は、現在の御堂筋沿いの建物の高さ制限(原則50m、最高60m)を条件付きで撤廃し、規制緩和を進める方針をとりました。
これにより、一部の建物については、200m程度までの高さで建てられるようになります。
またひとつ大阪の景色が変わります。
「都市の景観」という言葉があります。
風光明媚な土地だけでなく、住居やビルや立ち並ぶ都市そのものにも、保全すべき景観、空間、景色があるのではないか。
事実を表現するということ
つい先日、シリアで日本人女性記者が銃撃に倒れ、命を落とされました。
内戦の最前線で、戦渦とそこに生きる人々を最後までとらえようとした彼女のカメラ。
命が果てる直前に写された映像が流れた日、私は、仕事帰りで買い物袋を手に提げたまま、テレビの前でしばし立ちすくんでしまいました。
私たちの仕事は、日々、いくつもの事実と向き合います。
ひとつひとつの法的紛争の中で、事実がどうあったのかを常に見つけようと、当事者の方の話を聞き、現地に足を運び、資料や証拠に当たります。
しかし多くの場合、私たちは、当事者の方が体験されたその時よりも、タイムラグをもってその事実に接します。
そこに、弁護士が紛争解決をしていく上での、ひとつの難しさがあるのではないでしょうか。
カメラに残ったシリアの「その時」を見て、事実を表現する映像の力を改めて感じました。
そして、激しく厳しい事実をまさに伝えんとする記者の生き様に、頭が下がりました。
いま桜ざかり
満開の桜に降り注ぐしずく。今日は雨の一日ですね。
前回の投稿日、忙しさに紛れて投稿を忘れており、お久しぶりの記事となりました。
毎日の生活にも、これまで知らなかった事実を初めて知る瞬間がたびたびあります。
つい先日、大好きな金柑の食べ方が、実は普通でなかったことを知ってびっくりしました。
金柑と言えば、皮ごと丸ごと口の中に入れるのが流儀だと思っていたのですが・・・皮だけ食べて、中身はほかすのが普通だとか。
う~む、そんなお上品な食べ方があったのかと感心しました。
こんな気づきの瞬間は、弁護士としての毎日にもたくさんあります。
この間、ある刑事事件で、身体拘束をされている被告人について、勾留決定や接見禁止決定を争い、何度か不服申立をしました。
接見禁止というのは、普段の生活では使われない言葉ですね。
つまり、身体拘束期間に、弁護士以外の人とは面会、手紙の交換等をしてはいけない、という決定です。
妖怪に想うこと
頬に当たる風がつめたくなりました。
12月、冬の入り口ですね。
寒くなりいっそう色づく木々を眺めるたび、自然は本当の芸術家だ・・・と思い。
ただ、紅葉と冬の足音が共存する時間が年々長くなることに、なんともいえない寂しさを感じています。
さて、先日、念願であった境港の水木しげるロードに行ってきました。
http://www.sakaiminato.net/site2/page/roadmap/map/
何体も連なるブロンズ像に、心躍り。
時間を忘れて大はしゃぎをしました。
幼い頃、「ゲゲゲの鬼太郎」が大好きだったこともあり、大学生の時にたまたま京都で開かれた「水木しげる展」に行って初めて、水木さんの戦争体験や妖怪に対する思いを知りました。
秋と冬の間を
金木犀がそこはかとなく香る季節になりました。
秋の一時にしか咲かないあのオレンジ色の花。
ふわっと香る天然のアロマをかぎながら、朝自転車をこぐのが好きです。
と、関西は今週末からめっきり秋模様に切り替わりましたが、この2日間、すでに冬支度の始まった北海道に出張で行ってきました。
初めて訪れた美唄。
かつて炭鉱都市として栄えた町に、「アルテピアッツァ美唄」という公園があります。
一面を芝生で覆われたなだらかな丘と、彫刻家安田侃(やすだかん)さんの作品が自然と一体となって存在する公園です。
山小屋のようなカフェに入ると、木造の店内に薪ストーブのほんのりした暖かさがあり。
園全体がアートのような空間でした。