哲学から法曹実務へ
絶対的真理や絶対的正義は存在するのか?
我々が考える真実は絶対なのか?
私たちが話す言説はどのような根拠を有しているのか?
こういった哲学的な問いは、法律家にとっても大切ではないかと思います。
私たち弁護士は、「基本的人権の擁護」「社会正義の実現」を理念としております。
それゆえ、ついつい、「基本的人権」や「社会正義」が前提として存在し、絶対的なものとしてあるようについつい感じることがあります。
しかしながら、「基本的人権」や「社会正義」は時代や社会状況、権力関係によって、その態様は変容しながら形成されていることを肌で感じております。
フランスの哲学者ミッシェル・フーコーは、「絶対的な真理」は存在するものではなく、それは言説の中で形成されてくるものだと説いております。そして、真理と称される用語や理念は、社会に遍在する権力の構造のなかで形成されてきたものであるからこそ、それがどのようにして発生し、展開してきたか調べ、その形成過程から本来あるべき人間像・社会像を探ることが重要であると説いております。
もちろん、ミッシェル・フーコーの思想が妥当かどうかについて、私には分かりませんが、ただ、このミッシェル・フーコーの思想に、弁護士業務のヒントがあるように感じております。
私たちは、紛争当事者の代理人であるがゆえに、依頼者、相手方、第三者と多様な当事者の様々な言説に接しております。そして、実際には「真実」があるかもしれませんが、その「真実」を見出すことは困難です。それゆえにこそ、「真実」を見出すことと並行して、そのような「真実」に辿り着けるような言説の体系・論理・関連性・権力関係を紐解き、そして、自らの依頼者に有利なものを見出すことに勝機を探るということを経験的に行っております。
また、「基本的人権」や「社会正義」は所与のものとして存在するものではないと考えるからこそ、あるべき「基本的人権」や「社会正義」を探り、形成することに力をいれるということが出来るようになります。
現在、社会はややもすると保護主義・他者受容の拒絶という風潮があります。そこで、「正義は通じない」と嘆くよりも、そのような風潮を跳ね返し、そのような風潮と異なる言説や社会像を形成していくことに注力することが大事ではないかと思うのです。
普段の弁護士業務、理念達成のための業務、いずれにおいても、絶対的なものを想定するのではなく、常にあるべきものを形成していく努力をすることが大事なこと、このことを私は哲学書を読む中で感じていたりします。
日々の業務を通じて
室谷先生は様々な書物をお読みになっているのですね!哲学は奥深いように思います。
もともと絶対的真理はないように思いますが、私たちが携わる事案ごとに容易には目に見えない道が示されているように思っていて、言説の中で道がぼんやり見えてくることがあるように思います。
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