プロスペクト理論
ブロガーの浜本です。2回目の投稿です。
お盆休みに、「経済学者たちの日米開戦 秋丸機関『幻の報告書』の謎を解く」(新潮選書)という本を読みました。
この本で、大変興味深い記述がありました。それは、
(a)確実に3000円支払わなければならない。
(b)8割の確率で4000円支払わなければならないが、2割の確率で1円も支払わなくてよい。
という2つの選択肢が与えられた場合、(b)の選択肢を選ぶ人が多い、というものです。
(b)の選択肢の損失の期待値は、-4000円×8割+0円×2割=-3200円であり、(a)の選択肢の損失の期待値(-3000円×10割=-3000円)より少ないので、(b)の選択肢を選ぶのは不合理なのですが、人は、損失が出る場合、確率は低くても損失がゼロになる可能性がある方(この事例では(b)の選択肢)に魅力を感じてしまうそうです(これを「プロスペクト理論」というそうです)。
今後法律相談の中で選択肢の提示を求められた場合には、このような点にも配慮しないといけないなぁ、との気付きを得たお盆休みになりました(なお、私は迷わず(b)の選択肢を選びました)。
長崎控訴院について
前回このブログを担当したとき、映画「この世界の片隅に」について、簡単な感想(http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/138/entry/2324)を書かせていたただきました。かかる投稿は、更新直後に多数のアクセス数をいただいたに留まらず、先週頃には、本ブログ内記事中アクセスランキングが再び1位になりました。
「この世界の片隅に」は、現在、TBS系列で連続ドラマが放映され、昨年の映画にシーン追加した新装版「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の上映も、発表されています。
ランキングが返り咲いたのも、一連の動きが反映されたものと思われます。
いちファンとしては、息の長いコンテンツとなったことは、嬉しい限りですが、その余波で、拙稿までアクセスが増加するというのは、逆にやや恥ずかしい思いです。
そんな中、弁護士会より、偶然か今年は8月9日を当ブログの執筆日に割り当てられました。
「知って」ほしいこと
聞いたことがあるが中身を知らない、ということは多々ある。
あるいは、頭で理解はしているが心で実感はしていない、ということも多々ある。
僕はつい最近、四十数年生きてきて初めて、蛍が光るのを見たし、ツクシが苦いのを味わった。
知ることは大事だ。そもそも知らなければ始まらない。
しかし、それだけではなく、心で実感することこそが、その物を本当に「知る」ということなのだと思う。
蛍が光ることや、ツクシが食べられることは、調べれば分かる。しかし、その光が作る幻想的な空間は、その苦さが教える春の味は、実際に見て、食べた人だけにしか分からない。
蛍が光るということは、ツクシが食べられるということは、それはこういうことだったんだ。
不動産の買い方
ここ数ヶ月,「かぼちゃの馬車」に関する事件が耳目を集めています。
ご承知のとおり,「かぼちゃの馬車」はシェアハウスのブランド名で,その建築・サブリース・管理を営む会社が「高利回り,賃料保証」を謳ってオーナーを集め,オーナーは銀行から融資を受けて「かぼちゃの馬車」を購入,ところが,実際にはその会社は賃料を支払うことが全くできず倒産してしまった,というのが事件の概要です。
この事件は,その会社の破産開始決定が出たばかり(5月15日付)で情報が少なく,疑問点がたくさんありますが,なかでも,どうして無謀な融資が銀行の審査を通ってしまったのか,という点は大きな疑問点です。その会社については,オーナーを募集している時点で既に賃料を支払う目途が立っておらず,「かぼちゃの馬車」事業の見通しが立っていないのに,なぜ融資の審査が通ってしまったのでしょうか。この点については,オーナーの所得証明書などの融資審査の基礎となった資料が偽造されたのではないか,という意見が出ています。
偽造された資料に基づいて無謀な融資を通してしまった銀行(そして,その融資担当者)も大きな損失を免れませんが,一番の被害者がオーナーであることは疑いないでしょう。
夫婦別姓
いろいろないきさつがあって、夫と私は、どちらも婚姻前の氏を使っている。というか、私たち夫婦は、結婚しているつもりでいるが、婚姻届を出せないので、法律上婚姻していない(事実婚)。なので、「婚姻前」の氏という言い方自体おかしいことになってしまう・・・・。
それは、さておき、事実婚の夫婦の問題の一つは、子どもの姓だと思う。
長女は、夫の姓にしているが、このために、とってもややこしいことが起きる。
学校の書類などの保護者欄に名前を書くとき、つい、自分の苗字を書いてしまうと、そんな苗字の子どもはいないということになってしまう。
また、先生や他の保護者の方が、私を呼ぶときにも、夫(子ども)の苗字で呼ぶので、しばらく、自分が呼ばれていることに気づかないことがある。
幼稚園の時は、「○○ちゃんのママ」とだいたい呼ばれるので、あまり問題はなかったし、幼稚園にも他のママたちにも、夫婦別姓であることを伝える機会があった。
でも、小学校では、あまりそのような機会もなく、学校から電話がかかってきて、つい、自分の苗字を電話口で名乗ると、先生も混乱してしまう。