ももクロのどこがいいの?
ももクロが国立競技場でのライブを果たした。
ももクロについて知らない人から,「ももクロのどこがいいの?」と聞かれることが多いが,僕はおおむね「そのストーリー性である」と答えることにしている。
しかし,それだけでは回答として不親切きわまりなかったと反省している。
ももクロのストーリーとは何か。
それは,成長の物語である。そのときどきに設定される高い壁を5人の少女が一生懸命に乗り越えていくお話である。
これだけだと陳腐に思われるかもしれないが,彼女たちの素直さ,一生懸命さをみていると,こちらまで一緒になって熱くなり,達成したときには涙を流すことになる。
しかし,紅白出場を果たし,国立でのライブを果たしたももクロに次の目標はできるのか。
モノノフたち自身,国立でのライブ後はしばらくその余韻から立ち直れなかったのだ。
国立ライブ2日目の最後の挨拶。
リーダーの百田夏菜子は,「もう大人は自分たちの前に壁を作ってはくれない」と言った。
ももクロのご利益
本日,ももいろクローバーZの新曲「GOUNN」が発売された。
この新曲は,曲自体も素晴らしい出来だが,何より素晴らしいのはミュージックビデオである。
http://www.youtube.com/watch?v=XlbrTlhX_Ww
この仏教的な演出のミュージックビデオをみたとき,今までももクロに対して漠然と持っていたイメージが具体化されたと感じた。
やはり,ももクロは神仏の子である。
人は生まれたときは,だれでも輝きを持った神仏の子だが,
悲しいかな,成長とともにいろんな業を背負い,神仏の子らしさを失ってゆく。
しかし,ごくまれに,神仏の子らしさを失わずに大人になっていく人がいる。
ももクロ以外で挙げるのであれば,それは楽天の田中マー君である。
楽天マー君の日本シリーズ最終戦9回の力投は,人間を超えた何かを感じた。
アンチエイジング・スーパースター
前注:本稿は,マリリンマンソンのアンチクライストスーパースターという楽曲を聴きながら読むと,30歳を目前にした僕の心象風景がご理解いただけるかもしれません。
先日,中学校の同窓会をしました。
われわれ1983年生まれは,ディズニーランドやファミコンと同い年,今年で30歳を迎えます。
10数年ぶりに会う旧友は,それぞれ結婚したり,子どもがいたり,大人になっていました。
僕が子どものころ思い描いていた30歳・・・・
20代で結婚して,30歳になるころには子どもも大きくなって,幸せな家庭・・・・
しかし,今の僕には何もない。
独身貴族といえば聞こえはいいが,要はただの孤独な大人だ。
同じく30歳になる彼らにはあって,なぜ僕にはないのか。
談笑しながら,ビールを飲みながらも,一抹の敗北感。
そこで,あることに気付きました。
自分の理想の30歳になれないのなら,
ももクロを楽しむ。(ももクリ参戦記)
本来は、この記事を書くべき担当日は、12月25日である(この記事を書いたのは12月31日です)。
しかし、今年の12月25日は、どうしても記事を書けない事情があった。
それは、さいたまスーパーアリーナ(以下、「SSA」)で行われたももいろクローバーZ(以下、「ももクロ」)のももいろクリスマスに参加したためである。
所属する事務所の上司にももクロについて語っていた際、「ももいろクローバーっていうのは、ピンク系か」と言われたことがある。
誤解されぬため,ももいろクリスマスがなんであるかについて語らねばなるまい。
ももいろクリスマス、通称「ももクリ」は、ファンにとっては特別なライブである。
それは、2年前の12月24日、ももクロが日本青年館ではじめてのホールコンサートを行ったのが、このももクリだからである。
わずか2年間の間に、ももクロは驚くべき成長を遂げた。西武ドームを満員にし、ももクリSSAも24日、25日の2DAYSにもかかわらず、チケットは超プレミアチケットになった。
ももクロで学ぶ少年の可塑性
少年犯罪に対する厳罰化が問題となっている。
私は反対である。
理由は,少年は大人と違って可塑性があるからである。少年法は,少年が少年であるが故に,犯した罪に見合った「罰」を与えることは想定していない(もちろん,「罰」の要素が全くないという趣旨ではない)。
可塑性とは,簡単にいえば,粘土のように柔らかく,どんな形にでもなれるということである。そのとおり,少年は,若ければ若いほど,いかようにでも変化できる。
刑事関係の事件として,大人の事件と少年の事件を両方やると良く分かる。大人は,短い逮捕勾留期間ではほどんど変わらないが,少年は観護措置(少年鑑別所に入れられている期間。約1か月間)の間に驚くほど変わる。
子どもというのは,大人が積極的に関わり,良い方向に導けば,その方向に変わる。
先日,ももクロに関する記事を書いた。