平凡
先日、両親が地域の広報誌に載ったようで、その広報誌を送ってくれました。
その中で両親は「平凡が一番」とコメントをしていました。
そのコメントを読んで、高校の卒業式の日のことを思い出しました。
卒業式が終わったあと、教室に戻り、担任が卒業生である私たちに向けて、はなむけの言葉を贈ってくれました。
「平凡な生活っていうのは、自分が一生懸命努力して、その結果初めて周りから平凡な生活だと評価し、また自分も平凡な生活だと実感するものです。平凡な人生を送れるように一生懸命努力してください。」
20年以上前のことなので、一言一句正確には覚えていないのですが、そんな内容だったと思います。
何をもって「平凡」とするかは人それぞれだと思うので、一義的に決めるのはとても難しい問題だと思います。
ただ、ありがたいことに、私は私なりに精一杯努力して、また周りの人のご縁に恵まれて、平凡な生活を送ることができていると思っています。
大阪の中心と児童相談所
少しだけ私の法律事務所のお話をすることをお許しください。
私の法律事務所は北浜一丁目の交差点(大阪市中央区)にあり,私は,大阪の中心は北浜一丁目で,大阪のメインストリートは北浜一丁目を通る堺筋であると少しだけ感じています。こういう感覚を誇大妄想と言います。おそらく,大阪の中心は梅田駅周辺(いわゆる「キタ」)であり北浜ではない,大阪のメインストリートは御堂筋であり堺筋ではない,というのが現代における正しい認識ではないかと思われます。しかし,少なくとも昭和初期まではあながち誇大妄想ともいえなかったようです。
人間性というのは
先日、アンドロイドで有名な石黒先生の講演を聞いた。
今や自由に動かせる義足や義手が開発されているが、これはそのうち、臓器や体中のどんなパーツでもあり得ることになるだろう。しまいに、脳まで機械で置き換えられたら、その人は、果たして人間なのだろうか。機械と人間との境目というのはあるのか。そう考えてくると、機械というのは、人間のこれまでの遺伝子的な進化というものの延長なのじゃないか。人間性というのはなんなのか。
まあ、僕の理解できたところでは、そんな問題提起がなされていた。
さて、そこで思い浮かんだのが、(ターミネーターではなく)マトリックスだ。人間のすべての行動は、プログラムできるものなのか。あの映画では、「すべての行動は、何かの条件を与えられた結果生じる反応である。」と言っていたし、確かにそう言われるとそのようにも思える。僕は今、気温が27度くらいの電車の中にいて、さっき水を飲んでから1時間経つ。つまり、のどが渇いている。そして鞄にはお茶が入っている。座席に座っていて、すぐに取り出すことができる。そうすると、僕はお茶を飲むことになるだろう。
台風と育児
昨日(9月4日)は、今年最強と言われる台風21号の影響で、各地に大きな爪痕が残りました。
私は、昨日も事務所にいたのですが、建物が揺れるほどの暴風で怖ろしかったです。
帰宅する際には、さまざまなところで樹木が折れていたり、信号機の向きが傾いていたりなどしており、被害の大きさを実感しました。
今日になっても事務所のビルが断水しています。
いまだ停電が続いている地域もあるとのことで、一刻も早い復旧を願います。
さて、ここからは少し個人的なお話になりますが、タイトルの「台風と育児」に従って、お話しさせて頂きます。
(この場を借りてイクメンアピールをしたいがために、若干無理やりな感が否めませんが、ご容赦ください)
私事ですが、現在0歳7か月の娘がおります。
先月より、妻が仕事復帰し、娘を保育園に預けているのですが、平日(火曜を除く)は私がお迎えに行き、その後、お風呂、晩ご飯、寝かしつけをしております。
長崎控訴院について
前回このブログを担当したとき、映画「この世界の片隅に」について、簡単な感想(http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/138/entry/2324)を書かせていたただきました。かかる投稿は、更新直後に多数のアクセス数をいただいたに留まらず、先週頃には、本ブログ内記事中アクセスランキングが再び1位になりました。
「この世界の片隅に」は、現在、TBS系列で連続ドラマが放映され、昨年の映画にシーン追加した新装版「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の上映も、発表されています。
ランキングが返り咲いたのも、一連の動きが反映されたものと思われます。
いちファンとしては、息の長いコンテンツとなったことは、嬉しい限りですが、その余波で、拙稿までアクセスが増加するというのは、逆にやや恥ずかしい思いです。
そんな中、弁護士会より、偶然か今年は8月9日を当ブログの執筆日に割り当てられました。