「袴田事件」再審開始決定に関する会長声明

「袴田事件」再審開始決定に関する会長声明

 本日、静岡地方裁判所は、袴田巖氏の第二次再審請求事件について、再審を開始し、死刑及び拘置の執行を停止する決定をした。死刑確定事件の再審開始決定は2005年(平成17年)の名張毒ブドウ酒事件の名古屋高裁決定に次いで6件目である。当会としても、本決定を極めて高く評価する。

1 事件の概要
 本件は、1966年(昭和41年)6月30日未明、旧清水市(現静岡市清水区)の味噌製造会社専務宅から出火し、焼け跡から専務らの遺体が見つかった。全員、胸や背中に多数の刺し傷があり、静岡県警は同年8月に従業員の袴田氏を強盗殺人、放火の疑いで逮捕した。袴田氏は、当初から無実を訴えていたが、パジャマに他人の血液や放火に使用された混合油が付着していたとして、1日平均12時間、最も長い日は16時間を超えるような厳しい取調べを受け続けた結果、本件犯行はパジャマを着て行ったなどと自白させられた。
 事件から1年2か月後、一審の公判中に、麻袋に入れられ多量の血痕が付着した5点の衣類が味噌タンク内の味噌の中から発見された。検察官は、犯行着衣はパジャマではなく5点の衣類であり、事件直後袴田氏がタンク内に隠したものだなどと冒頭陳述を変更し、裁判所は、5点の衣類を着用して被害者らを殺傷したが、途中でパジャマに着替えて放火したと認定し、死刑判決を下した。
そして、1980年(昭和55年)11月19日、最高裁が袴田氏の上告を棄却し、死刑判決が確定した。

2 二度にわたる再審請求
 袴田氏は、翌1981年(昭和56年)4月に、第一次再審請求を申し立て、同年11月から日本弁護士連合会が支援をしてきたが、2008年(平成20年)3月に最高裁が袴田氏の特別抗告を棄却して終了した。その後、同年4月25日に第二次再審請求を申し立て、5点の衣類に関する味噌漬け実験報告書やDNA鑑定などを新証拠として提出し、5点の衣類が袴田氏のものでもなく、犯行着衣でないことを明らかにした。
 さらに、再審弁護団は、検察官がこれまで開示に応じなかった手持ち証拠を開示するよう強く求めた結果、裁判所が任意の開示を促し、その後の裁判所の勧告によってさらに多数の証拠が開示された。その中には袴田氏の無実を示す極めて重要な証拠が含まれていた。

3 裁判所の判断
 本日の開始決定は、「弁護人が提出した証拠、とりわけ、5点の衣類等のDNA鑑定関係の証拠及び5点の衣類の色に関する証拠」について新規性を認め、刑事訴訟法435条6号の「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に該当することを肯定したうえで、再審開始決定をした。
 また、DNA鑑定については、「確定判決が、袴田が犯人であることの最も有力な証拠としている5点の衣類につき、それらが、袴田のものでも、犯行着衣でもなく、後日ねつ造されたものであったとの疑いを生じさせるものである」とし、「5点の衣類がねつ造されたものであるとの疑問は払拭されないから、5点の衣類により、袴田が犯人であると認めるには合理的な疑いが残る」としている。
 さらに、5点の衣類についての証拠を「総合評価しても、それらは、袴田の犯人性を推認させる力がもともと限定的又は弱いものしかなく、自白調書も、それ自体証明力が弱く、その他の証拠を総合しても、袴田を犯人であると認定できるものではない」としている。
その上で、本件決定は、「捜査機関によってねつ造された疑いのある重要な証拠によって有罪とされ、極めて長期間死刑の恐怖の下で身柄を拘束されてきた。無罪の蓋然性が相当程度あることが明らかになった現在、これ以上、袴田に対する拘置を続けることは耐え難いほど正義に反する」として、死刑の執行停止に加えて拘置の停止も決定するという画期的判断を行ったものである。

4 即時釈放を受けて救済とともにえん罪防止の制度改革を
 袴田氏はこの決定を受けて釈放されたが、現在78歳の高齢であり、47年間の長期間の身体拘束によって心身を病むに至っている。袴田氏の救済は、一刻の猶予も許されない。
また、当会は、これからも袴田氏が無罪となるための支援を続けるとともに、あらためて「密室での取調べ」、「検察官による証拠隠し」がえん罪を引き起こすものであることを訴え、現在法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会でも議論されている「取調べ全過程の可視化」、「全面的証拠開示」をはじめとする、えん罪を防止するための制度改革の実現を目指して全力を尽くす決意である。

2014年(平成26年)3月27日
大阪弁護士会 
会長 福 原 哲 晃

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