「営業秘密管理指針改訂案」に対する意見書

「営業秘密管理指針改訂案」に対する意見書

2014年(平成26年)12月5日
大 阪 弁 護 士 会

1 改訂の必要性について
 経済産業省は平成15年1月に「営業秘密」(不正競争防止法2条1項)の要件となる秘密管理性に関して「企業が営業秘密に関する管理強化のための戦略的なプログラムを策定できるよう参考となるべき指針」を提示することを目的として「営業秘密管理指針」(以下「指針」という。)を策定・公表して以来これまで数度にわたりその内容を改訂してきた。
 しかし,かような部分改訂を重ねても必ずしも秘密管理性に関する判例や学説の動向を正確に反映したものとはならず,またかえって実際に企業が営業秘密を管理するうえでも実行が困難な内容を要求しているように誤解される記述が含まれているなど,上記のような指針の策定目的に照らしても不十分であった。
 そこで今般「知的財産推進指針2014」(平成26年7月知的財産戦略本部決定)を受けて,その内容を全面的に改訂するに至ったことは望ましいことであり,今後も判例・学説や実務の動向に従い,必要に応じて全面改訂を行う必要がある。

2 指針の位置づけの明示に関して
 従来の指針では指針の策定目的とともにその位置づけが明示されていなかったため,一部の企業やあるいは営業秘密の侵害に関する犯罪(不正競争防止法21条1項各号)の捜査にあたる捜査機関が,指針に示された管理の基準をあたかも「秘密管理性」に関し判例によって確立された解釈規範であるがごとく誤解し,これに依存した実務運用を行う傾向があった。
 今回の全面改訂(以下「本改訂」という。)にあたって,「第1章概説」では「本指針の位置づけ」の項目を設け,同指針が「法的拘束力を持つものではない」「したがって当然のことながら不正競争防止法に関する個別紛争の解決は,最終的には,裁判所において,個別の具体的状況に応じ,他の考慮事項とともに総合的に判断されるものである」(同2頁)ことを明記したことは,かような誤解を防止するうえでは有効であり,今後指針を改訂する際にもかような「指針の位置づけ」を明記することが望ましい。
しかし,指針がかような位置づけにあるものであったとしても,それが企業における日常の秘密管理のあり方の指針を示すものである以上,その基準はできうる限り判例や学説の動向を踏まえたものである必要があり,その記述は,できうる限り客観的で正確なものでなければならない。
 この点において本改訂は後述するようにいささか正確性,客観性に欠ける部分が散見される。

3 本改訂による指針を「法解釈への特化」を目的とし,営業秘密の漏洩を防止するためのあるべき秘密管理措置の水準については「別途策定する『営業秘密保護マニュアル』(仮称)によって対応する(同3頁)としたことについて

 確かに,従来の指針では「秘密管理性」に関する一般的な解釈基準とそれにもとづく管理のあり方を論じた「一般的な管理方針」と漏洩防止の観点から望ましいより高度な管理のあり方を示した「高度な管理方法」とが並列的に記載され,さらに具体的な管理の方法を記述した管理マニュアルが付記されていたことから,企業(特に中小企業)では,自社にふさわしい管理のあり方としてどのレベルの管理水準を選択すべきかについてとまどいや混乱を生じさせるおそれがあった。今回の改訂にあたり本改訂指針を秘密管理性に関する一般的法解釈の部分に特化し,望ましい管理のあり方や管理の具体的実行方法について,今後別途策定される「営業秘密管理マニュアル」において記述するという方針を採用したことは上記のような混乱を回避する方法としては一考に値する。
 しかし,逆に「秘密管理性」に関する法解釈と望ましい管理性や管理の具体的実行方法とを分離して記述することは「営業秘密管理マニュアル」に示された望ましい管理方法や管理の具体的実行方法がいかなる観点や根拠にもとづいて論述されているかを不明確にし「営業秘密管理マニュアル」が一人歩きをするおそれがないとはいえない。
 本改訂指針も指摘しているように秘密管理性の要件は,その趣旨や対象となる情報の性質,保有者たる企業の規模,業態,秘密情報にアクセスできる者の多寡,その他の事情等により要求される水準が相違する相対的な概念である。
 したがって,企業はその保有する情報の性質やアクセスできる者の多寡等の要素を考慮しながら,秘密管理性要件の趣旨に照らして適切な管理方法を選択する必要があり,そのためには望ましい管理のあり方や具体的な管理方法もこのような観点から多様性があることを十分周知される必要性がある。
したがって,本改訂管理指針と「営業秘密管理マニュアル」を分けることにより,上記のような秘密管理性要件に関する法の解釈規範とそれにもとづく具体的な管理方法の選択が分断されることがあってはならず,上記の様な管理指針と営業秘密管理マニュアルに分割することには反対である。

4 個別的問題点
(1)「秘密管理性要件の趣旨」に関して
 本改訂指針は「秘密管理性要件の趣旨」に関して「企業が秘密と管理しようとする対象が明確化されることによって営業秘密に接した者が事後に不測の嫌疑を受けることを防止し行為者の予見可能性ひいては経済活動の安定を確保することにある」と論述している。
 この趣旨の理解自体は誤りではないが,営業秘密は本来自由な利用が許されるべき経済的(財産的)情報について,その非公知性,有用性とともに「秘密として管理されている」ことすなわち秘密管理性を有することを条件として,これに対する不正な利用あるいは開示行為等を禁止し,事実上その保有者に独占的支配を認める制度である(不正競争防止法2条7項)。
 したがって,営業秘密の保護にはかような独占的支配を合理化するために必要な,保有者による「適切な自己管理」が求められることは言うまでもない(中山信弘「営業秘密の保護と必要性と問題点」ジュリスト962号14頁)。
 営業秘密の保有者が何ら適正な管理を行っていないにもかかわらず,たまたまこれにアクセスした者が対象情報が非公知であることを知っていたというだけで「秘密管理性」が認められるのでは,「秘密管理性」を要件とした法の趣旨が没却されることはいうまでもない。
 すなわち「秘密管理性」は,まずその保有者が「適切な管理」を行い,その結果この情報にアクセスする者に対して,秘密とされる情報の範囲が明確になることが必要なのであり,本改訂指針は,上記のうち「秘密とされる情報の範囲が明確になる」という結果のみを重視する解釈を示している点において不正確であるといわねばならない。
 なお本改訂指針は「秘密管理性要件について,企業が完全なないし高度な秘密管理を行った場合に限り,法的保護を与えるべきものとの考え方も存在する」としたうえで,かような考え方は「費用対効果を勘案して実施が困難な秘密管理を求めることは,政策論として適切ではないものと考えられる」と反論している。
 しかし,営業秘密について「適切な管理」を必要とすると解する学説も「完全なないし高度な秘密管理」を要求しているわけではない。したがってこのような記述はことさら誤解を招く表現であるといわねばならない。
 他方「秘密管理」について「費用対効果」の「勘案」を強調することも問題がある。
 企業の経済行動一般に「費用対効果」の原則が適用されるとしても,上記のような自己の秘密情報につき第三者との関係において独占的保護を求めるならば,その保護にふさわしい企業活動が要求されることは当然である。
 これは,企業が特許権の取得・維持に相当の努力と費用を費やしていることとの対比でも明らかである。すなわち,特許権の維持に要する努力や費用が「費用対効果」の要件に合致しないからといってその要件を緩和することが許されないのと同様に,営業秘密の保護要件も「費用対効果」の原則を安易に適用してその内容を決定することは妥当ではない。
(2)「必要な秘密管理の程度」について
前述したように「秘密管理性」の水準(秘密管理措置の内容・程度)は企業の規模・業態,従業員の職務,情報の性質その他の事情の如何によって相違する性格のものである。
本改訂指針が,「必要な秘密管理措置の程度」の冒頭にかような原則を確認した上で秘密管理性の水準を対象となる者の範囲や秘密情報を記録した媒体の性質(秘密情報の存在形式)によって個別的,具体的に検討している点は評価できる。
しかし,個別的な記載を概観すると不十分な記載や疑念を生じさせる記載が存在する。
 例えば,
 ア 「秘密管理措置」に関する一般的な説明に関する部分(同8頁~10頁)
 「秘密管理措置の具体的な内容・程度は,当該営業秘密に接する従業員の多寡,業態,従業員の職務,情報の性質その他の事情によって当然に異なるものであり」との一般論を述べている点は首肯できる。しかし,後段で「従業員が企業の秘密管理意思を明確に認識できるような実効性のあるものであればよく,状況によっては無形の取り組み(少人数従業員間の口頭の申し合わせ等)でもよい」との記述は前段の一般論との関係で,このような結論が必然的に導かれることになるのかが明確ではない。
 「少人数従業員間の口頭申合せ」であれば,当該申合せを行った者の間では対象情報が「秘密として管理される」ものであることは明白であるとしても,それ以外の「職務上,営業秘密たる情報に接することができる者」「当該情報に合法的に接することができる者」(同8頁の「秘密管理措置の対象者」参照)にとって対象情報が「秘密として管理されるべきもの」に該当するか否かは不明であり,これらの者に対して,「営業秘密保有企業の秘密管理意思」が「明確に示され」ているとは言えない。
 よって,このような誤解を生じる記述は削除すべきであろう。
 また,同か所に引用されている米国および我国の判例の引用方法や記述も不正確である。
まず<米国の参考判例>としてあげられているE.I. du Pont de Nemours & Co. Inc. v Christopher et al.事件の第5巡回連邦控訴審判例は,はたして,我国における「秘密管理性」を考慮するうえで妥当な参考判例であるかは疑問である。
 米国では,トレード・シークレットの法的保護に関して対象情報の秘密性(非公知性)と同時に秘密の保有者がその秘密性の維持に合理的な措置を講じている必要がある。
 しかも,上記判例は,極端な事例について,かような場合についてまで情報の非公知性が失われたといえるかという論点とともに,企業が秘密の維持に必要な措置を講じることが前記秘密性の維持に合理的か否かが争われた事件に関する判示であり,通常予想できないような侵害態様に対して防止措置をとらなかったとしても「秘密を保持する合理的な努力をしていた」と認定された事例にすぎない。
 したがって,かような判決の判旨を,我が国における営業秘密に関する「必要な秘密管理措置」を記述している部分に何らの説明なく引用するのはあまりにも唐突であり,かえってその趣旨が誤解されるおそれがある。
また,<参考判例>として掲記されている我国の裁判における5件の判例もなぜこの5件の判例のみが引用されているのかについて合理的な説明がなされていない。
 前述のように,秘密管理性が企業の規模,業態,アクセスできる従業員の人数の多寡,情報の性質等の事情によって相違が生じるのであれば,秘密管理性を肯定した判例あるいは否定した判例を引用する際には,できる限り当該事案における上記のような事実関係を明示したうえで判決が判旨の中でこのような事情をどのように評価したかを明記すべきである。
 イ 「従業員が体得した情報」に関して
 本改訂指針は,秘密情報の存在形式に関してそれが「①紙媒体」や「②電子媒体」に記録されている場合,あるいは「③物件に営業秘密が化体している場合」のほか「④無形の情報の場合」を取りあげ「④無形の情報」の項においては,「従業員が体得した情報について,それが可視化されているからといって,直ちに法2条1項7号の不正競争行為に該当するわけではない」とし,「従業員が営業秘密保有企業との関係で信義則上の義務に著しく反するような場合に限定されると考えられ,それは,当該企業と従業員との信頼関係の程度,当該企業の利益,労働者の利益,営業秘密の態様を踏まえた総合的な考慮により判断されるもの」と記述している。
全体としては,従業員が企業内においてその職務を通じて取得した情報が企業の保有する営業秘密として保護される場合を限定的に解釈しようとする意図があることは理解できるが,従業員が職務を通じて体得した個人的なスキルが企業から「示された秘密」(法2条1項7号)に該当しないことはほぼ争いがなく,また従業員が企業の営業に属する業務についてその職務上取得した情報(いわば「職務ノウハウ」とも呼称すべきもの)がただちに企業に帰属し法2条1項7号の保有者企業から「示された」営業秘密に該当するか否かは学説上も争いがあり,いまだ定説をみないところである。
 かような状況下にあって,あたかも「従業員が体得した情報」が企業と従業員との信頼関係等によっては法2条1項7号の営業秘密に該当するが如き記述は,特定の判例や学説の議論のみに偏重した不正確な論述といわねばならない。
 そもそも営業秘密の存在形式として「無形の情報」がありうるとしてもかような例示に「従業員が体得した情報」を掲記する必要がないことは明らかであるから,誤解を生じる上記のような記述は削除されるべきであろう。

以 上



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