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漫画家

里中満智子さん

SATONAKA, Machiko

少女漫画界の巨星・里中満智子先生にお話を伺いました。1964年に16歳で講談社漫画賞を受賞し、デビューしてから、第一線を走り続け、作品の「自分で考え、自分で決めて、自分で稼ぎ、しなやかに生きる」ヒロイン像は読者層の少女らの生き方に大きく影響を与えてきました。
大弁新キャラクターの選考委員長ご就任を契機にインタビューをお願いしました。

団塊世代第一世代女子

1948年のお生まれですね?

団塊世代の第一世代で同学年が多く、1歳年上が少ない学年です。大人になったら結婚するものと思い込んでいましたが、年上の男性が少ないから、これはあぶれるなと。そのあたりから一人で生きていかないといけないと意識していたような気がします。どういう職業に就くかはお友達の中で話題になっていました。

里中先生と同じ年に生まれた私も、自分の力で一生食べていける仕事に就きたいという気持ちは子どもの頃からありました。

お友達から「親から『子どもがいるから別れられない。』と言われて困っちゃう。」と聞き、生活の保障がないから離婚できないという結婚生活は送りたくないと思い、ますます自分で生きていかないといけないと思いました。

同学年が多く、手を挙げただけでは、気付いてもらえないから、言いたいことがあるときは「はい、はい、はい。」と声を出さないといけない。皆アピール力は持っていたような気がします。

漫画が不当に差別されていた

子どもの頃から漫画家になりたいと思われていたのですか。

漫画だけが好きだったわけではないんですけれど、漫画が不当に差別されていたんです。小学校高学年のときに悪書追放運動があり、「鉄腕アトム」がやり玉に挙がりました。「荒唐無稽である。」「ロボットが喜怒哀楽の感情を持つなんて非科学的過ぎて子どもが間違った科学知識を持ったらどうするんだ。」と。「こんなことができたらいいな。」とか、「これはどうなっているんだろう?」というところから科学は出発するわけで、いずれ脳の仕組みが解明されたら喜怒哀楽を持つロボットが生まれても全然不思議はないのに、なんて非科学的なことを言うんだろうと思いました。

また、「漫画の中でロボット同士が闘って壊れるのが残酷である。」「そんなのを見て育った子どもが真似をしたらどうするんだ。」というのもありました。ロボットでない人間に真似のしようもないんですが「情操教育上よろしくない。」と。

「漫画は絵が多くて字が少ない。」「こんなに簡単に読めるものを子どもが読んでいたら脳が発達しない。」という非科学的なことも言われました。

私も「漫画は字が少ないからダメ」と母に言われました。

漫画は、言葉だけではなく表情や仕草で表して、それによって察していくとか、物語の中に入り込んでいろいろなキャラクターの立場になって考えるということがあり、私は「鉄腕アトム」から教わったことは凄く多いんです。敵方のロボットも、彼らにとっては、それが正義でやっているのに、世の中の価値観と合わないから悪だと見做される。敵同士であっても闘うことは直接触れ合うことで、やり合ううちに、別の価値観と触れ合う、ロボットが客観性に目覚め、後悔したり、悩んだりすると可哀そうで。「あいつは悪いやつだ。」と決めつけてはいけないということを「鉄腕アトム」に感情移入して教わったわけです。ですから、「鉄腕アトム」は私の成長期にとって非常に大切な作品なんです。なのに、大人達が「悪書だ。見つけたら燃やす。」と言っている。

本も大好きだったんですが、活字の本を読んでいたら、どんなにくだらない内容の本でも、大人は褒めるんです。ところが漫画だと「漫画なんか読んで。」と大人は言うわけです。漫画を守りたいという気持ちが高じて漫画家を目指したので、漫画が差別されていなかったら、目指さなかったかもしれません。

各キャラクターの思いを絵で表現

先生は絵を描くのもお好きだったのですか?

ストーリーを考えるのが大好きでした。小説でも、シナリオでもよいのですが、絵も好きでした。物語を考えるのが好きで、自分の考えた物語をまとめるときに、絵があるとキャラクターの表情が描ける。漫画は感情移入がしやすいと思います。お芝居や映画は、他のことを考えていてもお話は進みますが、漫画は自分で読まないと進まない。しかも、小説は三人称か一人称で書かれることが多いのに対し、漫画では登場人物各人のセリフとして表現される。一人一人のキャラクターの言い分を酌み取りながら読み進めていくからこそ、それぞれのキャラクターの思いを感じる。だから漫画は感情移入しやすいと思います。

漫画は自分の考えたストーリーを自分が生み出したキャラクターにしゃべらせる。しかも、コマ割りとか構成、コマ運び、背景処理等、いろんなことを自分一人で作り上げていく。言葉の足りないところは絵の表情で分かってもらえるんじゃないかとか、言葉と裏腹な行動をしても、絵で酌み取ってもらえるんじゃないかとか、マンガの表現力は絶大です。

「天上の虹」講談社刊

日本型漫画の本場

日本以外の国では、絵を描く人の中でデフォルメ力のある人が漫画家を目指すので、絵が主になっています。これに対して日本の漫画は一にシナリオです。自分が考えたストーリーを自分でシナリオにすることが肝で、そこに作者の世界観があります。画面も一から十まで作者が一人で考えるわけです。どんなに憧れていても先輩と同じものを描いてはオリジナルとは言えないという思い、非常に過酷な労働をいとわない創作意欲等、日本の漫画のオリジナリティは「作家性」にあります。日本の漫画は世界でも特殊な発展の仕方をしてきました。

近年、そういう日本型の漫画を描きたいという欧米の若者も増えました。彼らの目指すところは日本での漫画家デビューで、世界を席巻した日本型漫画の本場で認められて1作でもメジャーな雑誌に載れば、国に帰れば大スターです。大リーグを目指す野球少年、ヨーロッパのプレミアリーグに入りたいサッカー少年と同じように、日本で漫画家として活動したいという世界中の若者が凄く増えました。

海外から漫画家を目指して日本に来るのですね?

20年程前から、外務省が日本国際漫画賞を設け、毎年世界から応募を受け付けて、優秀な作品に賞を差し上げています。私自身、アジアの漫画家と一緒になって、25年以上「漫画サミット」という事業をNPOでやっています。

アジアで日本の漫画はどのような読まれ方をしているのか?

私がアジアの漫画家と一緒にイベントをやろうと思ったきっかけは、昔、韓国では日本の漫画が開放されなかったため、海賊版がひどく、韓国の漫画家も困ってしまい、「日本の漫画家から韓国の大臣に『違法コピーは許さない。』と伝えてほしい。」と言われたことでした。アジアで絶大な人気のちばてつや先生と韓国へ参りました。そのとき、韓国の漫画家から、「子どもの頃から海賊版が日本のものだと知らずに読んできた。後から日本の漫画だと知りショックを受けた。」と聞きました。「反日教育を受けて、日本人は鬼だと思い込んで育ったが、日本の漫画に触れて感動し、こういう世界を描いていたのが日本人だとすれば、日本人は鬼ばかりではないのでは?と思うようになった。」とも聞きました。日本を見直すきっかけとなったのが漫画だったと聞き、嬉しく思いました。 それで私は興味を持って、アジアで日本の漫画がどのような読まれ方をしているかリサーチを始めました。日本で保護者が怒る漫画はどこの国の親も怒る。その筆頭が「クレヨンしんちゃん」です。あと、エログロもの。「どうしてやめさせないんですか。」と言われる。そこで、表現の自由、出版の自由、思想信教の自由を守る必要があることをお話しし、「子どもは選り分ける力があるので信じてあげてください。」と言っています。

私は、育った国が違うともしかして細かい部分では解かりあえないことがあるのかと、少し悲しい気持ちになっていた頃でした。でも、同じ漫画を見て、同じ感想を持って、同じように怒ったり泣いたりする。感想が同じだとしたら、人間の感性は別なわけがないので、解かりあうための言葉の選び方が足りないだけではないか、希望は持てる、世界は解かりあえると思い、漫画に関わっていてよかったと思っています。

その韓国の漫画家さんが子どもの頃は、日本の出版物や音楽が韓国では禁じられていたのでしょうか?

そうですね。また、その後も総量規制がされています。韓国の文化大臣と面会した時、「今はまだ世代的に日本語を聞くだけで過去の記憶がよみがえってきて具合の悪くなるお年寄りがおられるのでご理解ください。」と言われました。日本人はそんな風に言われる立場であることをしっかりと認識しないといけないと思います。

ただ、それを飲み込むだけじゃなくて、こちらからも自分達はこうだったとお伝えしないといけない。海外の人気漫画家が、国の方針に合わず、罪に問われて拘束されたことがあったんです。彼は「こんな国で漫画を描いているのは息苦しい。日本は表現の自由があって羨ましい。」と言う。でも、日本も昔から表現の自由があったわけではない。戦前、日本がアジアへ進出したとき、日本国民は、それがアジアの平和のため、ヨーロッパと対抗するための手段だと教え込まされた。表現の自由がないと、お上の一方的な言い分が通ってしまう。だから、敗戦後、表現の自由、出版の自由、思想信教の自由、集会の自由を守っている。目に余るようなエロ表現やグロ表現はあるかもしれないけれども、それは大人と子どもの棲み分けで対応すべきで、軽々と出版禁止にすると、拡大解釈で政府にとって都合の悪いものがどんどん排除されていく。だから、戦前に対する深い反省を込めて私たちは表現の自由を守っていると伝えました。

人の生き方はいろいろあること、辛いこともあるけれども生きることは素晴らしいこと、何のために生きるのかを、遠回しであっても漫画で伝わっていけばいいなと思っています。

中学時代

先生の中学時代をお教えください。

漫画家をはっきり目指したのは、中学生になり、進路のことを考えろと言われたときでした。手塚治虫先生の作品には、相対性理論とか時空の歪みとか、学校で習わないようなことが出てくる。漫画家は百科事典を全部知っているぐらいにならないとできない、受験勉強どころじゃないと思いました。

漫画家になりたいと言ったら、親は「高校の学費も交通費もお小遣いも出しません。」と怒りました。それなら、交通費のかからない公立高校に行きたい。男女共学も重要でした。中学生ぐらいになると、微妙なことを男の子に聞くと、女の子とは全然違う答えが返ってくることがあって、それが面白かったんです。演劇部で脚本が書きたいなとも思いました。

近所の印刷工場でアルバイトして、紙や本やインクを買って漫画を描きました。将来漫画家になりたいと言ったので、先生がびっくりして家に来て漫画本を見て、母に「こんなものは捨てなさい。」とおっしゃったんです。私は、将来自分の子どもに見せたいと思う漫画本を大事に取っていましたが、親はそれを捨てると言うんです。「捨てないで。」と言ったら、「テストで1問間違えたら1冊捨てる。」という条件をつけられました。そうなると1問も間違えられない。それで何とか守った本は今も大事に取ってあります。

学校の先生方にも反対されたのですね。

ただ、中学1年の担任の女性の先生が「漫画家になりたいの?私は漫画のことは何も知らないのよ。だから、何もアドバイスできなくてごめんね。でも夢が叶うといいわね。」と言ってくださったんです。大人でも判らないことは判らないと言ってくださったことで私は気が楽になりました。先生に「よかったわね。」と言ってもらえるように頑張りたいなと思いました。

高1でデビュー、高3で中退

高校の演劇部に入って脚本が書けると思ったら、男の子は2人で後は女の子ばかり。女の子が男役をやらなきゃいけない。衣装もお金がかけられないので、民話劇をやり、私はおじいさんの役をやりました。私の動きで皆がどっと笑ってくれたときは物凄く快感でした。担任の先生から「あのじいさん役はどこで借りてきたんだ?」と言われ「私です。」と返したときは嬉しかったです。

中学校の途中から雑誌の編集部に投稿し始めました。どこの編集部も結構丁寧にお返事をくださるんですが、アドバイスは大体一緒の内容なので、見方というのは一緒なんだなと思いました。とはいえ、編集部の個性がありますから、雑誌Aで駄目でも雑誌Bで花開くことはあります。若い人たちに「1回チャレンジして駄目だったからといって、自分はもう駄目だと思い込まないようにね。」とよく言います。

高校1年生の時に、大手出版社が初めて新人を公募しました。少年誌・少女誌4誌が合同で1作だけを入選作としデビュー作とすると発表しました。これに私が入選したんです。

少女漫画から1位が出た、しかも16歳。週刊誌に写真が載りました。漫画は職業として考えていいんだ、女の子でも仕事としていいんだ、入選できなかった悔しさに頑張ろうと思ったと後から他の漫画家から聞きました。

デビュー作が本に載ると、何でおまえが1位なんだというお手紙も沢山来ました。悪く言ってくる人は匿名であることに気がつき、これは卑怯だ、これに負けては情けないから頑張ろうと思いました。

褒めてくれるのが100来ても、けなす1の方が響くんです。「でも、そういうことを気にして自分の人生の幅を狭めるようなことはしないでね。」と若い人に言います。自分もこんな目に遭ったと大人が言うことは大事なんです。自分だけがそういう目に遭っているような気になりますが、「あなただけじゃないんだよ。」と言うだけでも一呼吸つける人が一杯いるので、伝えることは大事ですね。

デビューして、高校に通いながら週刊誌連載をしました。ところが、校則がアルバイト禁止で、3年生になる時に「卒業まで仕事を休んでくれ。卒業してからまた描けばいいじゃないか。」と言われました。1年休んでからまた使ってくださいと言えるような甘い世界じゃない、仕事は一生したいけれども、高校は一生行くところじゃない。高校を中退しました。

当時は、出来上がった下描き(ネーム)を航空便で送り、着くと編集部から電話がかかり、電話でセリフの一言一言まで打ち合わせました。そこでオーケーが出たら原稿を仕上げて、また航空便で送ります。この繰り返しで週刊誌に描く。航空便の受付も大阪では2か所しかなくて、中崎町に昼間、持っていかないといけない。学校があるので母に行ってもらうしかない。そんなわけで、高校を中退したら、すぐに東京に行きました。

学習雑誌のカット

上京後、しばらくたつと仕事がなくなり、編集長から「もっと期待したのに駄目じゃないか。もう大阪に帰りなさい。」と言われました。引越費用もないし、引き下がるわけにいかないから、せっせとストーリーをまとめて見てもらいましたが、生活に困りました。先輩から、小学館の学習雑誌のカットの仕事を紹介していただき、助かりました。

学習雑誌のカットなので、きちんとした絵を描かないといけない。1カット500円のために1冊2000円もする参考資料は買えない。一番困ったのが機織り機でした。本屋さんに行って、機織り機の絵をじっと見て記憶して、アパートに帰って描きました。とても勉強になりました。

そのうち、読み切りで採用されるようになり「3回ぐらいの連載で」と言われて描いたら「もうちょっと続けて」と言われ、忙しい時だけアシスタントに来てもらうようになりました。

22歳くらいで、週刊誌連載と月刊誌連載と月刊の読み切りがコンスタントに描けるくらいになって、アシスタントにお給料を払って専属で来てもらえるようになりました。

週刊誌と月刊誌と別冊の3冊を一気となると、混乱されませんか?

一番忙しい時は連載を同時に8本持っていました。週刊誌は少年誌、少女誌、大人の女性誌、隔週誌で青年誌、月刊誌でハイティーン向け、小学生向け、高校生以上向け、幼稚園児向けでした。毎日締切りが来て原稿を渡すとすぐ次の締切りがある。前のを引きずっていたらできません。しかも、次の作品はテーマが違いますから、そこで気分が切り替わるんです。主人公も設定も違うので、続きを描く時にそれまでのを見て確認することはしますけれども、こっちの物語に入ってしまいますから、混乱することはありませんでした。

NHK教育テレビ「少女コミックを描く」

先生のデビューから数年の間に女性の漫画家がたくさん輩出されましたね。

年代的に同じ方が多いのは、人口が多く、女の子も一人で生きていかなきゃいけないということはあったと思います。

それから、先輩たちがお描きになったものが素晴らしかった。トキワ荘の手塚先生、石ノ森章太郎先生、赤塚不二夫先生、藤子不二雄先生のお二人、ちばてつや先生、水野英子先生に刺激を受けました。

せっかく才能があるのに気がつかないまま終わってしまう人もいるかもしれないと思うことはあります。ずっと後ですが、NHK教育テレビで「少女コミックを描く」という番組のお話をいただきました。漫画家になるには東京に出て出版社に出入りしないといけないと思い込んでいる若い子たちがいる、漫画はその気になればどこでも誰でも描けることを伝えたいと思い1クール頑張りました。後から、人気作を描いた人が「僕はあの番組をずっと見て勉強したんです。」と言ってくれました。

NHKはリアル感を出すためと言って、録画番組なのにリアルの尺で取るんです。だから、しゃべりながら描いて、時間内で完成させて見せる。手元を映されると見づらいんです。失敗したときは「慌てずに乾いてから消しましょう。」とアドリブで切り抜けました。「少女コミックを描く」は、教育テレビ始まって以来の視聴率と言われ、少年漫画もやる予定でしたが、リアルの尺での撮影が大変で、引き受け手が見つかりませんでした。

同じテーマで描いても、同じ原作でも絶対違う作品になるから、才能があるかもしれないのに諦めないでほしいというのはあります。よい作品が出ると、それだけこの世界全体が盛り上がります。皆がそれぞれ趣の違うものを提供するので、1つのパイをみんなで取り合う世界ではない。読者は、面白い作品があれば何作でも読んでくれる、面白くないと読まない。取り合う世界ではないので、安心してどんどん入ってきてほしいと思います。

また、読者にとっては、ベテランか新人かも関係ありません。素晴らしい作品を描く若い人が沢山出てくると感動し、嬉しく思います。

2020年2月 外務省国際漫画賞受賞式

「女流漫画家」

漫画家の裾野は男女問わず広がっていますか?

若い頃、漫画家になりたかったけれども諦めたという人にはぜひ再チャレンジしてほしいと思います。読者には作者の性別も年齢も分かりません。

ただ、かつては、仕事と言えば男性で、女性は結婚したら退職するのが普通でしたから、イベントに行くと「女流漫画家」とわざわざ書かれました。

私が弁護士になった頃は、女性修習生に対して「君たちは能力を腐らせて夫と息子のために役立てろ。仕事を続けるな。」と平気で教官が言っていた時代でした。世の中全体がそうでしたね。

それによって苦しい思いをした男性も多かったんじゃないかと思うんです。世の中が男女公平というなら、家庭に入る男性がもっといていいんじゃないか、仕事が向いてない男性もいると思うんです。

大阪芸大キャラクター造形学科漫画コース

漫画は、幾つもネタをあたためていて、編集者に「こんなのを描きたい」と言って描くものなのですか?

出版業も利益を上げないと立ち行かないので、「一か八かでやってみな」とは新人のうちはなかなか言ってもらえません。相手を説得しないといけない。素材を見せて納得してもらわなきゃいけない。編集者の言うとおり描いていればウケるんだったら、どんな作品だって、大ヒットするはずです。でも、そうじゃない。みんな試行錯誤して必死なんです。

大阪芸大の学生さんは、デビューされる方も多いんですか。

多いです。皆上手いんです。絵が上手いかは一目見て分かりますが、漫画の作品はそれだけじゃない。最初から最後まで読んで、伏線がどう生かされているか、このキャラクターの言い分は正しく伝わりやすいか、このシーンが言わんとすることは伝わっているか、それらはある程度は意識することでやっていける部分です。ですから「具体性のある学び」を心がけています。でも、最後は自分次第です。本人が持っている部分が生かされたら、皆それなりにやっていけると思いたいです。

先生は教えることもお好きそうですね。

私は、自分が言いたいことが伝わって、この世のどこかにいる誰かが一人でも「生きていてよかった。」と思ってくれたらうれしいなと思っています。才能がある上手い人が辞めないでほしい。編集者と上手くいかなくなったとか、自分の好きなように作品を描かせてもらえないとか、契約のことで人間不信になったとか、いろいろあるんですが、辞めずに自分が納得できるまで頑張ってほしいと思います。

インタビューの様子

著作権トラブル

契約関係のトラブルは結構あるんでしょうか?

私自身、著作権についてすごく勉強しました。クリエーターはクリエイティブなことには力を注ぎますが、契約について詳しくない人も多いんです。契約書は相手と取り交わす約束事なのに、それを法律だと思っている人もいて、相手から出されたら、それにサインしないと仕事ができないと思い込んでいる人も多いので、そこからです。著作権について知らなくて、作品を世に出すことに焦っているので、自分が今後一切自由に使えなくなるような契約書にサインしてしまう場合もあります。

電子配信が増え、配信会社がどんどん参入してきますが、中には作品を卸の商品と同じ扱いにする場合があるんです。「著作物ですから。」と申し上げると「これまで物品しか扱ったことがないので漫画配信も同じように考えていました。勉強します。」なんて言われることがあります。

原稿は完成品に至る途中の制作物ですが、一昔前は、それを勝手に編集者が古書店に売ったこともありました。買った側に罪はないので、話し合って原価で引き取って、編集者に賠償してもらうしかないんですが、警察に行っても「原稿は出版社に渡したのだから出版社のものでしょ。」と言われてしまう。お互いに気持ちよく、作品をこの世界でいい形で利用し合って、ウィン-ウィンでやっていくためには、対等の関係じゃないと駄目だと思います。まともなところは分かっていただけますので、話し合って、間違いが起きないように協力し合っていろんなことをやっています。

韓国の会社が日本のデジタル漫画市場に相当食い込んでいると聞きます。

韓国はデジタルでエンターテインメントを流すことで国の経済を活性化しようという国の方針がありますので、漫画も国が後押ししてくれるんです。韓国は、映画、テレビドラマ、芸能、漫画、アニメなど、資源がなくても大化けして儲けられる世界に国として意図的に力を入れてきました。

私は初期の頃からパソコンを使って描いていて、メーカーさんと協力して漫画を描くためのソフトの開発もしました。漫画を描くための素材の提供もしました。そういうソフトは、特にカラー原稿の場合、絵の具を買わなくて済み、場所が狭くて済み、汚れなくて、何度でも描き直しができるという利点があります。若い人にできるだけ楽に描いてほしい、一人でも多くの人がこの世界に入ってきてくれれば嬉しいなと思っています。

本日は貴重なお話をありがとうございました。

2023年(令和5年)2月23日(木)

インタビュアー:石田法子
飯島奈絵
東向有紀

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