弁護士会から
広報誌
オピニオンスライス 1月号
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サッカー選手
熊谷 紗希さん
KUMAGAI, Saki
2017年からサッカー女子日本代表のキャプテンを務める熊谷紗希選手にインタビュー。日本代表でもクラブチームでも、数々のタイトルを獲得してきた日本女子サッカー界のレジェンド。パリオリンピックとこれまでのキャリアを振り返っていただくとともに、今後の将来像についても教えていただきました。
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パリオリンピックを振り返って。ベスト8の壁をもう一度越えるために
熊谷選手が約8年プレーされたフランスでのオリンピックでした。
改めて、パリオリンピックを振り返られて、チームとしてできたこと、あるいはベスト8の壁を越えるために必要なことについて、何かお考えはありますか。
今回のパリオリンピックは、私も8年フランスで過ごしていて、言葉もしゃべれますし、ホームのような感覚で臨んでいて、自分たちの持っている力を出し切れた大会だったと感じています。もちろん結果は自分たちの望むものではなかったですが、今の自分たちがやれることはやったと思います。
これからどうしていかないといけないかですが、今大会は、アメリカ戦も含めて、準々決勝以降の試合はどの試合もすごく拮抗していて、勝者と敗者の差がそんなにある試合はなかったからこそ、アメリカを倒すというのは手の届くところにあったんじゃないかということも感じています。本当に少しの差だと思いますが、その差というのが、これから日本が埋めていかなきゃいけない課題ではないかと思います。やれることをやっていくしかないと思っています。
その「少しの差」は具体的にどのようなところに感じておられますか。 例えば、アメリカ戦でゴールを決められたロッドマン選手のように、フィジカルが強い選手がもっと必要なのか、それとも、今まで以上にコレクティブに戦うべきなのか、あるいは、もっと違うことなのでしょうか。
この差は、正直、明確にあるものじゃないというか、言葉で表すのは難しいですね。もちろんフィジカルの差も世界と比べると確実にあります。それを埋めるために、もっともっとコレクティブに戦わないといけないですし、それと同時に、個の能力や技術のレベルアップは絶対に不可欠ですね。
アメリカ戦について言えば、自分たちはすごく狙いを持って戦えていて、本当にあと1本決めるか決めないかという差がありました。あとは勝ち癖があるかどうかですね。あの試合であの勝ち方ができるアメリカは勝ち癖を持っているし、やっぱりすごかったと改めて感じています。
この明確な差を言葉で表すことはできないけれども、とにかく個人それぞれが能力を上げて、今まで以上にチームの力に還元させていったときに初めて答えが見えてくるのかなとも思っています。
アメリカ戦では、1失点してからも、熊谷選手を中心にバランスを崩すことなく試合を運んでいたのが印象的です。極めて緊張感のある試合で、どのようなことを考えてプレーされていたのですか。
もう1点を取りに行くしかなかった状況で、当たり前ですが、誰一人諦めずに、最後までゴールを狙いに行っていました。
私は、自分たちが狙ってやってきた「形」でプレーを続ければチャンスは来るということを信じてやり続けようという声を掛けて、チームがどーんと沈まないように、すごく意識していました。
ただ、リスクを背負ってでも自分たちの「形」を崩すということがなかなかできなかったというところもありますね。
オリンピック前に「このチームは当初思っていた理想のチームの姿なんだ。」とおっしゃっていましたが、それはどのようなところですか。また、実際にオリンピックを戦ってみて、いかがでしたか。
オリンピックは短期決戦で、試合に出る人と出ない人がいたり、いろんな状況が想定されるということは大会前からチームに話していました。
でも、全員がチームのために頑張れる選手たちだったので、チーム力に関してはどこの国にも負けない自信はありました。全員が、状況に応じて、チームのために今自分のするべきことに集中できる選手たちでしたので、そういった意味で理想のチームないしいいチームという言い方をしたんじゃないかと思います。
みんなともっとサッカーをやりたいから負けたくないという思いもありましたし、本当にみんなのことが大好きだったなと思います。
世界との「少しの差」は、日本が初めてワールドカップで優勝した2011年のドイツ大会の時と比べると、変化しているとお考えですか。
ドイツで優勝した時から13年経って、世界のサッカーのレベルも確実に変わってきています。ドイツで優勝したのも、自分たちが世界を上回ったから優勝したとまで言える大会ではなくて、いろんな力を含めて勝ち取れた世界一だと思っています。
そこから2012年のロンドンオリンピックで銀メダルを獲って、2015年のワールドカップのカナダ大会で銀メダルを獲って、世界の第一線になりましたが、その後、2016年のリオデジャネイロオリンピックの時は予選敗退して、世界でなかなか勝てなくなった時期も経験してきました。その勝てなくなった時期に、世界の成長に自分たちが追いつけていないという差を感じたのですが、今は、その時よりは確実に差は縮まってきているのかなと。自分たちももう少し何か変えられたらもっともっと世界と戦えるのかなと。自分たちのポテンシャルに関して言えば、今の方が確実に世界との差は縮まっていると思います。
流れを変えたブラジル戦のPK
パリオリンピックでは、ブラジル戦の熊谷選手のPKがすごく印象的でした。試合後、熊谷選手は、PKは生き物だと語っておられました。負けている状態での後半のアディショナルタイムで、すさまじい緊張感の中でのPKだったと拝察しますが、画面越しにでもある種の余裕のようなものを感じました。あの時は、どういった心境だったのでしょうか。
PKになる前に*1のチェックが入ったのですが、ベンチからPKになったら紗希、と言われました。正直、ここで自分かとは思ったんですが、ペナルティスポットに立った段階では不思議と緊張はあまりしていなくて、これを外したらとか、ここで決めなきゃといったような雑念が、蹴る時に入ってきていなかったというか、いい意味で余計なことを考えずに臨めたのが一番良かったかなと思います。
私は基本的にキーパーの動きを見て蹴るタイプで、キーパーが動かなかったらここに蹴ろうということも決めていたんですが、結構しっかりキーパーの動きも見えて、落ち着いて流し込めました。いろんな方に、前半に失敗したPKと同じコースを狙ったのかということを言われましたが、そこが本当に頭から抜けていて、そんなことは一切考えていませんでした。
※1 ビデオ・アシスタント・レフェリー
試合前や大会前に、場合によっては熊谷選手がPKを蹴る可能性があるというのは監督から言われていたのですか。
いえ、基本的には、試合前に監督が、試合中のPKがあったら誰が蹴るかを指名しますが、それまで私の名前は呼ばれたことがなかったです。
PK合戦があり得るアメリカ戦が控えていたので、みんなPKの練習をしていたんですね。その練習を見て太さん*2が選んだんでしょうけど、あの状況だから自分と言われたのかもしれないです。
※2 池田太監督(当時)

プロサッカー選手を目指したきっかけ。頭を使ってプレーすれば、男子相手でも負ける気はしない
熊谷選手がサッカーを始められたのはサッカーのどこに面白さを感じられたからなのですか。
兄の影響でサッカーを始めましたが、小さい時は、できないことができるようになるというところがすごくうれしくて、それがサッカーにのめり込んでいった一つの要因なのかなと思っています。
サッカーを始めた頃から自分の思いどおりにプレーできたら楽しいなとすごく思っていて、そうなれるように練習したいなと思って練習して、それを続けているうちに、私自身がサッカーのとりこになっていきました。
当時は、今より女子のサッカー人口が少なかったと思いますが、その中でサッカーを続けられた要因はどこにあったとお考えですか。
私は北海道出身で、札幌に女子だけのチームがなかったので、中学校3年生まで男子と一緒にやっていましたが、敵わないと思ったことはあまりなかったです。
小学生のうちは女子の方が大きかったりして、私自身もそのチームの中では大きかったです。中学生になってからこそ、スピードは自分の方が昔は速かったのに…と思うことはありましたが、だからこそ自分はどこで男子たちに勝てるのかなというところはすごく考えながらプレーしていました。
うまく頭を使ってプレーをすればそんなに負ける気はしなかったですし、男子とやっているから無理だな、やめたいなと思ったこともなかったですね。
サッカーを生活の中心に置いていこうと考え始められたのは、いつ頃で、それはどういうきっかけからですか。
女子サッカーのリーグがプロ化したのもたった3年前ですし、2011年にワールドカップで優勝した時のメンバーにもプロ選手は5人ぐらいしかいなかったんです。
私も、サッカーをするために高校も親元を離れて、仙台の常盤木学園高校に行ったりもしましたし、そこから筑波大学に行って、浦和レッズに行ったのですが、日本でプレーしているうちは、サッカーでご飯を食べていこうと思える瞬間はあまりなくて、ただ、本当に好きの延長でずっと続けてきました。
それが、20歳のときに海外に出て、プロサッカー選手として好きなことをしてお金を稼げるってこんな幸せなことなんだということをすごく感じました。自分がプロサッカー選手として生きていこうと思えたのはそこからですかね。
ご両親も認めたサッカーへの熱意・努力
私の小学6年生の息子がサッカーをしています。熊谷選手は本当にサッカーがお好きで、サッカーを中心にして人生を歩んでこられた結果が今の姿だということで、理想的な歩みをしてこられたのではないかと思います。ただ、親心からすると、息子がサッカーが好きだからといっても、やはり、どこかの時点で進学を考えてほしいと思ってしまいます。熊谷選手がサッカーを続けられる中でご家族は手放しで応援されていらっしゃったのか、あるいは、ご両親とは意見が違ったのか、その辺りはいかがですか。
結論から言うと、意見が違ったということはあまりなかったです。ただ、私の両親はどちらも教員で、結構真面目な子に育てられたので、サッカーもやっていましたが、勉強も大分やらされていました。中学校を卒業するに際して高校はどうしようかとなった時に、学力だけで言うと、札幌で一番いいところにも行けるぐらいの成績は持っていまして、北海道の中でも選択肢はありました。
ですが、まさか北海道の一選手に宮城*3からオファーが来るとは両親も私も思っていなかったので、練習参加もして、両親も付いてきてくれて、先生とも話しながら、両親とは必ず大学に進学することという約束をして、北海道外の高校の進学も認めてもらいました。そこからはサッカーの応援は確実にずっとしてくれていました。
大学に行くという約束はあったので、自分自身も高校卒業の時に、就職してサッカーをするという選択肢はなくて、大学進学という道を選びました。両親が教員なので、教職課程も取りなさいということも言われていました。
ただ、ドイツに行くと言った時は両親も大分びっくりしていて、「大丈夫なの?」みたいな感じではありましたね。それでも、高校生の時からなでしこジャパンに選ばれていて、サッカーでトップのところにまで行けていましたし、大学に行くという約束も果たしたので、あまり細かくは言わないでいてくれました。それでドイツに行って、気がついたら海外に渡って13年経ってしまって、大学も中退しちゃいましたけれども、もう両親も何も言わないですね。
いろんな可能性を私に残しながら、大学中退というところも、ドイツにいる中で大学卒業のために1年日本に帰るのは現実的ではないということも伝えて、最悪、学びたいことがあれば、私、筑波大学なのですが、筑波の大学院は四大を卒業していなくても社会人でも入学できたりとかいろいろな方法はあるよねという形で口説いて(笑)、取りあえず両親は納得してくれています、多分(笑)。
※3 常盤木学園高校
熊谷選手の努力と才能にご両親は譲ったというところでしょうね。
言い方は悪いかもしれませんが、小中学生のときは本当に私もやらされていました。全国大会から帰ってきて北海道に着いて空港からそのまま母の車で塾に行くということもあったので、けんかしながらですけど、やらされてはいました。でも、時間がない中でどうやってやっていくかというところを学べたので、後々感謝しましたね。
なるほど。では、息子には、熊谷選手の言葉どおりに伝えます(笑)。
タイトルホルダーとしてのメンタルコントロール。マインドフルネスの重要性
サッカーは、ピッチが広くて、時間も90分という長時間です。その中で、チャンスを物にするための集中力の持続であったり、どこかでやってやるという気持ちをずっと持ち続けるという精神面の強さが非常に重要なものだと思います。これまで数々のタイトルを獲られてこられた熊谷選手はそういうものは十分に兼ね備えていらっしゃるようにお見受けしますが、メンタルにフォーカスして何かトレーニングをされておられるのですか。
私は、基本的に集中力はある方だとは思いますが、小さい時から、多分あんまり細かいことは何も気にしない側だと思います。
マインドフルネスというものに出会って、その教えを一回受けたことがあって、実際自分で実践した経験はあります。そのモットーが、「今この瞬間に集中する。」というもので、そのためのトレーニングもいろいろ試したこともあります。そのトレーニングが、集中力も含めて全部の基本になるなということを学びまして、それからは自分のミスも一切引きずらないです。サッカーは本当に何秒かのスパンで場面が全部変わるので、何に集中すべきかが明確であることが大切だと思っています。
例えば、3分前にしたミスではなくて、あるいは1分前にできたプレーじゃなくて、今、何ができるか、というところはすごく大事にしています。集中力が分散しないようにしていると、自分の感情が変に動かないということはすごく学べたなと思っていて、今でもすごく大切にしていることです。
そのマインドフルネスをやってみようと思われたのはいつ頃ですか。
東京オリンピックの前の、2019年頃です。それまでもそんなにミスを引きずったりする選手ではなかったんですけれども、割とはっきりこういうことなんだと言葉で説明できるようにもなりました。今まであんまり考えずにというか、ただ何となくやっていたものが自分で狙ってできるようになりましたね。
海外のトップ・オブ・トップの選手が実は鬱病を患っていたといったようなこともよく報道で目にしますが、熊谷選手みたいにメンタルケアをしている選手の割合はまだ少ないのでしょうか。
ドイツのチームでは、チームでメンタルトレーニングの時間がありました。マインドフルネスという言い方はしなかったですが、似たようなことをトレーニングの中でやるチームもありましたし、メンタルコーチもチームに必ずいて、現在のASローマにもいますので、相談できる環境はあると思います。

サッカー女子日本代表のキャプテンとして
熊谷選手はキャプテンとして日本代表に70試合以上出場されてこられました。 そのキャリアを通じて、熊谷選手は現キャプテンとして、歴代キャプテンの方々から引き継いできたものを若手選手に伝えている段階かと拝察します。それは、抽象的に言えば、伝統や情熱なのかもしれませんが、具体的にはどういうことを伝えているのでしょうか。
キャプテンとしてというよりは、自分の経験、年齢を含めて、チーム全体の目線から、私が伝えられることは全部伝えてきました。
大きな大会の初戦って本当に重要で、といったこともそうですし、オリンピックは短期決戦で本当に何があるか分からなくて、1試合終わって反省する間もなく次の試合が来るので、そういったときの戦い方やメンタルの持って行き方もそうです。
自分は海外での経験も長いので、そういったことを聞かれたら答えるということは、自分だからできることとしてやっています。
それを伝統と言っていいのか分からないですが、なでしこジャパンはどんなときでも勝ちを求められる集団、勝たなきゃいけない集団だということも言い続けてきましたし、なかなか勝てないときには、「厳しいことを言うようだけど」ということは言い続けてきました。
キャプテンとして、ミスを引きずっている選手への声掛けなどで、普段から気を配っていることはありますか。
なでしこジャパンのチームには、他の人の手の救いが必要なほど落ちていく選手はいなかったです。それに、キャプテンじゃなくても救い上げてくれる選手たちはたくさんいて、どちらかというと私は、精神的に落ちていたり、ちょっと頭の中がとっちらかってるなと思う選手がいたとして、その選手がチームに悪影響を与えることは許されないなという視点でいます。
なので、メンタル面の問題を救いに行くというよりは、それがチームにどれぐらい影響するか、そっちの視点のほうが大きいです。
我々もグループで弁護活動などをすることがあるので、組織をまとめるということに関しては非常に関心があります。そして、昨今ではどちらかというと、トップダウンではなくて、ボトムアップ、あるいは風通しがよい組織というのが社会的に是とされる傾向になってきていると思います。 そこで、例えば日本サッカー協会の公式You Tubeを拝見すると、熊谷選手が若手選手と距離感近く接しておられるお姿が写っていますが、そのようなことも含め、どのようなことを工夫して、組織作りをされていますか。
私自身も長年なでしこジャパンの一員としてプレーしてきましたが、代表に入ったばかりの頃は、自分のプレーにも自信がないし、威厳のある先輩たちもいたので、周りの選手に認められていないなということはすごく分かりました。
ただ、私は海外に出たのが早くて、ピッチに立った時に年齢なんて関係ないんだよなという海外のスタンスが私はすごくいいなと思ったんですね。
そういういろいろな経験も踏まえて、年下だから自分の思っていることが言えないのは良くないですし、年上だから全てが正しいわけでも絶対にないと思っていて、キャプテン就任当時から、いい意味で全員がぶつかり合えるチームを目標にしてチーム作りをしてきました。
結局チームでは、自分を含めて、いかにお互いにコミュニケーションが取れるかということと、いかにそれぞれのベストを引き出せるか、そこだけがすごく重要だなと思っています。
そもそも性格上、私は人と話すことが好きで、自然といろいろな人とコミュニケーションを取りたいなと思うので、「最近どんな感じなの?」という話合いをしてきて、これは特別気にかけてやっていたというよりは、自分が単純に興味を持っていたからやっていたことでもあるんですが、それもあって、みんなとうまくコミュニケーションが取れて、今回のチームも上から下まですごく仲のいいチームだったので、そこがうまくチーム作りができたところだと思います。
私はロースクールで教員もやっているので、学生に何か教えるときに、指導の場面では「それ駄目。」というふうに否定を強調してしまうことがあるので、指導方法には気を付けています。熊谷選手はアドバイスするときに何か心がけておられることがあれば、教えていただけますか。
まず、何を考えていたか、どういった思いでそのプレーになったのかということを聞きます。自分が「こうして」と言うよりも、チームプレーの中でこっちだけが正解ということは絶対ないので、そっちはどうしてほしかったか、そして、こっちは何ができたかという「対話」をすることはすごく心がけています。
自分一人で全てができるわけじゃないことも分かっているので、どっちかというと、こっちも助けるからそっちも助けてくれという意味でも。
やっぱり若い選手たちも思っていることはあるし、そこは絶対に酌み取りたいと思うので、「対話」はすごく心がけています。
サッカーをやっていて、よかった瞬間
サッカー選手としての長いキャリアの中で、プレーでも、プレー以外のことでも、サッカー選手を続けていてよかったなと思われたのはどんなことでしょうか。
これだからサッカーをやめられないなという瞬間はすごくあります。
例えば、誰かのジャッジを覆せた時は個人的にはすごく気持ちがいいです。これだけ長いこと海外でやってきて、たくさんの監督を経験してくると、この監督のファーストチョイスに自分はいないなと感じることがあります。チームメイトからの信頼と監督からの信頼というのはまた違って、監督に信頼されないとピッチに立てないという世界にいるんですね。ずっと監督に使われない中で自分が出た時に何をするかをずっと考えて準備してきて、結果的にその監督のジャッジを覆せて、使わなくて後悔したよねと監督に思わせた時は、気持ちいいですし、これだからサッカーはやめられないなと思います。もちろん自分が出た時に結果が伴わないといけないんですが、しっかり結果が伴って、その監督にとってのサプライズを自分が起こせたときは自分の中での大きな喜びです。
あとは、チームスポーツなのでみんなで喜び合えることがすごく好きですね。自分のためというよりは、チームのために、みんなのためにプレーして結果が付いてきた時はすごく楽しいですし、もっとサッカーをやりたいなと思える瞬間です。そういう瞬間がどんどん出てくると、ますますサッカーはやめられないなと思います。

熊谷選手の将来像
今後、直近では、3年後の2027年ワールドカップブラジル大会があります。熊谷選手は、選手としての将来像としてどんなことを描いておられますか。
まだ分からないとしか言えないです。というのは、もういい歳なので、今はとにかく目の前に来るものを頑張りたいですし、とにかく今シーズンはASローマのメンバーとして、チャンピオンズリーグ*4で優勝を狙いに行く、それが今シーズンの自分の中での一番大きな目標です。
今はそこしか見えていないので、先3年後のワールドカップというのはなかなか見られないし、先4年後のオリンピックはもっと見えていません。とにかくサッカーを楽しむことと、目の前にある目標に向かうこと、どちらかというと今はそっちにフォーカスしている感じです。
日本代表は、自分が大好きなサッカーをやっている限りは、目指す場所ですが、自分がやり続けていったその先に必要とされればいいなと思っています。
※4 欧州サッカー連盟(UEFA)が主催する、クラブチームによる女子サッカーの大陸選手権大会
将来的に来る引退の後のことは何か考えておられるのですか。
引退後は未定ですね。今のところ指導者の線はあまりないですが、いろんな可能性を追いながら、なるようになるかなというか、進んだ先で見えたものをやりたいなと思います。将来もサッカーに携わりたい気持ちはありますし、日本のサッカーのためにできることがあればというところと、自分自身が13年間海外で経験してきたことは自分しか持っていないものだから、これが何か仕事に繋がればということも考えてはいます。
日本での女子サッカーの更なる発展のために
ヨーロッパでは女子サッカーもすごく人気があり、盛り上がっていますが、日本はまだそうなっていないような気がします。ヨーロッパと日本では何が違うのか、日本がどうなればヨーロッパみたいな盛り上がりになっていくのか、この辺りはどのようにお考えでしょうか。
それは私もすごく悩んでいて、どうしていけばいいものかすごく考えています。
ヨーロッパでの盛り上がりの裏には、それだけのお金をかけているという事実は間違いなくあります。クラブの資本、プロモーション、そして選手へのお金も含めて、ここ数年のヨーロッパの女子サッカーへのお金のかけ方は日本とレベルが違うなと思います。
ただ、これをどうやって日本に持ってくるかと考えたときに、WEリーグ自体*5が日本でもまだ全然知られていないリーグなので、WEリーグのプロモーションについてはもっとやらなきゃいけないことはあるし、それぞれのチームのプロモーションにしてもそうです。あとは、自分自身が経験したワールドカップで優勝した時、ロンドンオリンピックで銀メダルを獲った時の日本での女子サッカーの盛り上がりを見ると、なでしこジャパンの世界での活躍はすごく大きな影響を与えるなと思っているので、女子サッカーの未来のためには、選手にも責任があるところかなと思います。
※5 Women Empowerment League。日本初の女子プロサッカーリーグ
大阪弁護士会の皆様、ぜひスタジアムに来てください!
「月刊大阪弁護士会」は大阪の弁護士のほかに大阪の裁判所などにも配られています。サッカーを知っている人もいれば、代表戦もまだ見たことがないという人もこの冊子は見ています。そういう人にもスタジアムに足を運んでもらえるようにするために、熊谷選手が考えておられることはありますか。
これを読んでもらって、どんな人がプレーしてるのかなと思ってくれれば、もしかしたら見てくれるかもしれないですし、是非スタジアムに試合を見に来てください!
サッカーを知らない人がサッカーを見て楽しめたり、応援するきっかけとしては、やはり知っている選手が出ているというところになるのかなと思いますが、選手への親近感を感じてもらうために、クラブあるいは個人がどんなアプローチができるのかということについては、いろいろとアイデアはあると思います。
各々、いろんなことにトライしているとは思いますが、スタジアムのピッチで、例えばサッカースクールの子どもたちと一緒にサッカーをやれたら、次からスタジアムに足を運んでくれたりするかもしれません。また、全く違った分野の施設やグループ等々にアプローチすることでもう少し集客を増やせないかなとも思います。こういったことは、選手個々人はもちろん、クラブ、リーグも含めていろんな角度からできるアプローチだと思います。簡単じゃないですが、そういったことも大切だと思います。
スタジアムに来てくださる方を増やすために、海外のチームが具体的に工夫していることはあるのですか。
海外のチームは、スポンサーさんがかなり選手を広告塔として使います。
これは私が所属していたリヨンのチームでのことですが、マスターカードさんの企画で、子どもたちと交流する企画がありました。子どもたちとZoom会議をして、そのZoom会議に出た子どもたちが試合に招待されるんですね。試合で選手たちは、その子どもたちの名前のユニフォームを着てプレーして、最後はそのユニフォームが子どもたちに贈られます。子どもたちからすると、選手たちに会えて、選手たちが自分の名前のユニフォームを着て試合をしてくれるのはすごくうれしいと思いますし、招待された試合が楽しければ、多分また試合に来てくれますよね。
今所属しているASローマでも、スポンサーさんが選手を撮影してSNSに上げたり、CMに使ったりします。
選手を使うと人も集まってチームにとってもプラスですし、それが同時にそのスポンサーさんを見せる形にもなるので、選手は、スポンサーさんからの仕事をすごくたくさん受けていますね。

弁護士に対するメッセージ
海外ではエージェントを弁護士がしていたりすると思います。熊谷選手が弁護士に抱くイメージや、日本の弁護士はこういうことにもっと力を入れたらいいのに、と思われることはありますか。
以前、私のエージェントはドイツ人でしたが、多分彼は弁護士でした。
弁護士の方は皆のイメージだと、すごくきちんとしている感じもありますし、弁護士さんというだけで少し距離感があるというか、ちょっと難しい感じがあるのかなと思うところもあります。
でも、元エージェントのそのドイツ人の方は、チームメイトの紹介で出会ったのですが、思っていることを言いづらいなという雰囲気がなくて、言いたいことを言える方だったんですね。そこがいいなと思いました。話しやすさがあって、本当に重要な場面では、以前プレーしていたリヨンだったり、ミュンヘンだったり、自分のいる場所に来てくれて、ご飯を食べながら話して、ということもできました。
我々も、依頼者が距離感を感じずに、言いたいことを言えるような存在にならないといけないですね。本日は長時間にわたり貴重なお話をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。
ありがとうございました。
2024年(令和6年)8月19日(月)インタビュアー:折田 啓
尾崎雅俊
豊島健司
村上知子
山本健司