弁護士会から

広報誌

オピニオンスライス 3月号

小説家

伊与原新さん

Iyohara,Shin

直木賞受賞作『藍を継ぐ海』の著者・伊与原新さんに、小説を書き始めた原点から、作品に込めた思い、これから挑むテーマまで伺いました。創作の裏側に触れられる必読のインタビューです。

少年時代から研究者を目指すまで

伊与原先生の少年時代はどのようなお子さんだったのでしょうか。

普通の子どもだったと思います。うちの母は本が好きでして、いろんな図書館をはしごして連れていくという感じで、本はいろいろと読みました。父親は科学が好きで工学部を出た技術屋です。自然科学も好きな人で、家のリビングには「ニュートン」の創刊号からあったりで、父がよく物理の本を読んでいたので私も一緒に見ていました。すごく覚えているのは、惑星科学者のカール・セーガンという方の「コスモス」という世界的に大ヒットしたドキュメンタリー番組を父親と一緒に見て、宇宙とか天体って楽しいなと思った記憶はあります。

大学時代に地球科学科に進まれたのも、幼少期のそういったご経験からですか。

そうですね。藤子不二雄とか大好きだったので、小学校の頃は漫画家になりたいと思って、そういうのを書いたりしていたときもありましたが、明確に理系に行こうと思ったのは高校に入ってからぐらいです。理系に行くなら、宇宙物理学や天文学といった分野に進みたいと思ったんですが、それが勉強できる大学がすごく限られていまして、そういう大学にはちょっと入れないかもしれないというのが1つと、そういう分野で研究をしていくためにはめちゃくちゃ数学ができないといけないのに、高校生にもなると自分はそんなに数学はできないということが何となく分かってきて、自分にはその分野は無理だなということが分かりました。
高校2年か3年のときに、物理や地学を教わっていた先生にプレートテクトニクスの本を勧められました。プレートテクトニクスというのは、プレートが沈み込んで地震が起きたりするというあれですが、その本を読むとすごく面白くて、こういう地球科学の分野なら自分にもできるかもしれないし、割といろいろな大学にそういう学科があるので、じゃあ地球科学の道に進もうと思ったのが高2か高3ぐらいです。

研究者から小説家へ

地球科学科をご卒業された後、理系の研究者としてご活躍されたとのことですが、その後、小説家を志されたきっかけをお聞かせいただけますか。

大学院を出て、富山大学の理学部で助教というポジションで教員をやっていました。この御時世にしては、国立大にポストを得られて順調な研究者生活と言っていいと思うんですね。富山大学では学生たちとも仲よく楽しく過ごしていたんですが、大学に勤めて5~6年たった頃、自分の研究がだんだんうまくいかなくなってきました。何をやっても自分の中で信頼できるようなデータが出てこない。打開策も見つからないという状態になって、だんだんやる気を失っていき、論文も読まずにミステリー小説ばかり読んでいた時期が訪れます。それが35~36歳の頃です。
あるとき、大学からの帰り道にミステリーのトリックを1つ思いついて、そのトリックを使えば自分にもミステリー小説が1つぐらい書けるかもしれないと思いました。夜な夜な1人でパソコンに向かって書き始めて、一編の長編ができあがったので、これがどんなぐらいのものかレベルが知りたいじゃないですか。それで、江戸川乱歩賞という新人賞に応募しました。初めて書いた小説なので、送った後は放置していて、実は1次選考、2次選考の結果が発表されていたんですが、僕はそれも知らずにいたら、ある日突然電話がかかってきて、最終候補になってますと言われてすごく驚きました。そのときは結局最終選考で落選して、やっぱりそんな甘くないよなと思っていたんですが、その後、主催している講談社の編集者の人がメールをくれて、とても面白かったので書き続けてくださいと書いてありました。そのメールをいただかなかったら、僕は小説をやめて研究に戻っていたかもしれないですが、プロの編集者が言うならもしかしたら見込みがあるかもと思って、もう1つミステリーを書いて、それでデビューしました。

理系のご経験は小説の執筆にどのように生かされているのでしょうか。

最初は普通のミステリー作家になろうと思ったんです。東野圭吾さんも好きだったし、殺人事件があってみたいなミステリーを書きたいなと思っていたのですが、どの編集者も、せっかく研究の世界にいたんだから、それを生かさないのはもったいないと言うんですね。そう言うなら科学の世界をちょっとネタにするかみたいな感じで、科学的な知識をトリックに使ってみたり、トリビア的に使ってみたりというようなミステリーを最初はよく書きました。だけど、それは全然売れなくて駄目だったんです。デビューできたのはいいけど、その後は全く売れないというか、僕の本は確かに本屋さんに売ってますが、誰かが読んでくれているという感触が一切ないという時期が数年続きました。その後、「月まで三キロ」という小説を書いたあたりからだんだん読んでもらえるようになりましたが、今の最新刊ぐらいまではミステリーっぽくはなくて、科学の世界や研究者の世界に無縁だった人がそこに触れることによって自分の世界の見え方が変わる、そういうパターンの小説を書くようになったら割と読んでもらえるようになりました。ですから、基本的には科学研究の世界を題材にしているという意味では、研究者をやっていなかったら小説を書かなかったと思います。

影響を受けた作家さんや尊敬されている作家さんはいらっしゃいますか。

小説家ではそんなにいないですが、写真家の星野道夫さんという方がすごく好きです。アラスカにずっと住んでおられて、アラスカの自然やアラスカの動物の写真を撮り続けた方です。星野道夫さんはクマの写真をたくさん撮っておられたんですが、残念ながらご自身がヒグマに襲われて亡くなりました。星野さんの写真もすごいんですが、エッセイもすばらしくて、星野さんが感じておられたことを自分の小説で表現したいなとずっと思いながら書いているので、影響を受けたのは星野道夫さんです。
それから、先ほども言いましたカール・セーガンという方は、アメリカのNASAで太陽系探査のリードをしてきた人ですが、彼もいろんな本を書いていて、科学に対する考え方がすばらしくて、よく読んで影響を受けています。
あと、リチャード・ドーキンスという生物学者がいるんですが、日本でも大ブームになりました「利己的な遺伝子」を書いた人です。科学に対する考え方は自分の中では師匠と思っているような方です。

小説を書き続けてくださいと言われた後、2個目以降のトリックは思いつかれたのでしょうか。

いや、思いつかなかったです。2個目はデビュー作になりますが、トリックはあまりないんです。東京で大きな地震が起きて、震災後のまちで事件が起きて子どもたちが行方不明になるという話でして、そういう設定で話を書きたいとは思っていて、何か書かなきゃと思い取りあえず書き始めてみたら、書いているうちに最後のオチはこうしようと思いついたという感じです。

ご家族にはどの段階で小説を書いていると伝えたのですか。

書いていることは妻は知っていたと思いますが、江戸川乱歩賞の最終候補になったときに母に言いました。そのときに兄(大阪弁護士会勤務)にも伝わったんじゃないかと思いますが、兄は驚いたと思います。

理系の研究者をされながら小説を書くというのはハードルが高いと思うのですが、子どもの頃から文章をよく書いておられたのか、あるいは、ふと思いついて小説家になろうと思われたのか、どちらでしょうか。

論文は書いていましたが、小説らしきものを書いていたということはないです。でも、中高の頃から作文をやたらと書かされる学校だったということと、あと文章を書くのは嫌いではなかったというのはあります。最初に小説を書いたときは、書き方も分からなかったです。だから、人の小説を見ながら、こんなふうに書くんだと思って書いたという感じです。よく思うのは、書き始めるのは誰でもできますが、小説なんて相当しつこい人じゃないと最後まで書けないと思うんです。最初に書いた小説は今読むととても稚拙なものですけど、よく最後まで書き切ったなと思います。

目に見えている世界が世界の全てじゃないことを伝えたい

「月まで三キロ」という作品を書こうと思ったときに難しいなと感じたことはありますか。

「月まで三キロ」を書いたきっかけは、昔からお世話になっている新潮社の編集者が、伊与原さん、ちょっとミステリーに疲れてるみたいなので、ミステリーから離れて、オチもなくていいから、科学の世界に全然無縁だった人が科学の世界に触れたときに何が起こるかみたいな、とても平坦で起伏もないような普通の小説を書いてみませんかと言ってくれたんです。彼は僕のことをずっとよく見てくれているベテランの編集者で、多分リハビリ的な感じで言ってくれたんだろうなと今になって思います。じゃあ、こういう話にしましょうかということは彼とそのときに話したので、そこまで苦労したという記憶はないです。科学をどうやって取り込むかということには苦労しなかったんですが、むしろ悩んでいる人を書くことに苦労しました。今まではミステリーを書いていたので、人の繊細な心の動きや機微にあまり重きを置いていなかったんですが、「月まで三キロ」以降は、人の心の動きをちゃんと書かなきゃならないとなったときに、そっちのほうが苦労したなと思います。

これまで多くの作品を発表されていますが、作品を通じて読者に伝えたいメッセージや一貫して取り組まれているテーマはありますか。

今は科学業界からもすごく応援してもらっているし、今さら科学から離れられないなという気はしているので、続けていくテーマとしては科学と人間ということになるんでしょうけれども、伝えたいことに関しては難しいですよね。別に僕はそんなにメッセージ性の強いものは書いていないと思っているので。科学を皆さんに分かりやすく伝えたいですかとよく聞かれますが、全くそんなことは思ってなくて、科学コミュニケーションの一環として小説を書いたわけではないんですよね。ただ単に僕が面白いなと思う題材が科学の世界に寄っているだけです。伝えたいことをあえて言うとしたら、「世界は広いですよ」ということです。私もそうですし皆さんもそうだと思いますが、都会で生きていると日々のことでいっぱいいっぱいで、視野が狭くなると思うんです。日常の中で、今、目に見えている世界が世界の全てじゃないということを忘れてしまう。今自分が見えている世界だけじゃない、慌ただしくて忙しいだけの世界じゃないということを何とか小説の中だけでも味わってほしいという思いはあります。星野道夫さんのエッセイの中ですごく好きな言葉があって、星野さんは、「通勤の満員電車に揺られているようなときにも、アラスカではクジラが潮を吹いていて、クマが木の実を探してさまよっているというようなことを想像できるかどうかは天と地ほどの違いがある」とおっしゃっています。そういう感覚は僕もすごくよく分かって、僕自身、フィールドワークでいろいろなところに行ったときに感じていたことを都会で暮らしていると忘れてしまうんですが、その言葉を思い出すとやっぱり世界は広いなと思い出せることがあるんですね。世界は広いよという感覚を小説の中で味わってほしいです。

伊与原先生が作品を発表された後に、作品を読んだ結果、世界が広がったという読者からの感想が届いたりすることはありますか。

ありますね。「月まで三キロ」に月は1年間に3.8センチずつ遠ざかっているという話が出てきます。それを知って見る月と、知らずに見る月ってちょっと違うと思うんです。そういうことを言ってくれた人もいますので、そういう感覚を持ってくれたときはとてもよかったなと思います。

作品の題材は日頃から考えておられるのか、それとも、ふと思いつくことが多いのでしょうか。

両方あります。いろいろなものを調べたり、アンテナを張って題材を探してストックしているネタもあるし、急にこんなことを知ってこれは面白い、何か書けるかもしれないと思って書くこともあります。

私は、「宙わたる教室」の中でも「オポチュニティの轍」という作品が特に好きなのですが、こちらの作品はどういったきっかけで執筆されたのでしょうか。

あれは、たまたまオポチュニティの轍の写真を見て、めっちゃ寂しい写真だと思ったんです。オポチュニティは火星でひとりぼっちで轍だけがあるって、めっちゃ切ないな、孤独に頑張ってるオポチュニティ、何てけなげなと思ったんです。「オポチュニティの轍」というだけでとても小説的な響きがあるし、一編の小説になりそうだなと思ったんです。ですから、きっかけは写真です。それで、あの写真をどういうふうに小説に組み合わせるかというのを考えるんです。この短編の中では、リストカットする女の子が、自分のリストカットの跡を轍と例えるんですが、そういう重なりを思いついた瞬間にストーリーができていくことが多いです。

伊与原先生の作品にはニホンオオカミが出てくる作品が多い印象があります。

そうなんです。ニホンオオカミが好きなんです。ニホンオオカミって人の人生を狂わせるような生き物で、ニホンオオカミらしきものを見てしまったがために、人生をそれに賭けてしまった人たちが何人もいるんです。だから、それだけ魅惑的なところがあるんだと思います。日本にも固有のオオカミがいた、しかもごく最近絶滅して、でもまだどこかにいるんじゃないかと信じている人がいっぱいいる。その微妙な絶妙なバランスというんですか、完全に絶滅した動物だったらそこまで興味はないし、今も生きてる動物だったらそこまで思わないけど、最近絶滅して、でも今も生きているかもしれないと真剣に探している人がいっぱいいるというところがとても面白いなと思っています。資料もたくさん集めていたので、今までちゃんと書いたのは2つぐらいかな、好きだからですね。

文章へのこだわり~誰が読んでも同じように感じてほしい~

次に、我々弁護士も小説家の方と同じく言葉を扱う職業で、日々依頼者や裁判官にどうすれば分かりやすく伝わるかということを考えています。小説家として言葉を紡ぐ際に大切にされていることはありますか。

それは皆さんと一緒だと思うんですが、法律的な事柄も科学と似ていると思っていて、意味が一通りに取れないと困るということだと思うんです。小説や文芸の世界では、自分が書いたものをどう解釈してもらってもいいですという人は結構多いですが、僕は絶対に嫌なんです。僕の書いたものを勝手に解釈されたら困るんです。だから、誰が読んでも、この人物はどういう感情でどういう気持ちでこういう行動をして、この仕草にはどんな意味があるのか、この光景はどういう光景なのかというのは、僕が思っていることをそのまま伝えたい。だから、多様な読み方を許していないという珍しいタイプの小説家らしいです。だから、寓話なんかも嫌いだし、ふわっとした小説とか文章も好きではありません。それは、多分論文とかを書いていたときの習性もあると思うんですが、意味は一通りに取ってほしいし、僕が頭の中で想像している光景と同じものを思い浮かべてほしい。僕がその登場人物に込めた感情も、同じように受け取ってほしい。だから、僕の小説を読んだら、皆さんが同じような感想を持ってほしいなと思っているんです。それは勝手な僕の主義なんですけど、いつもすごく再現性のある文章を書きたいと思っています。

ご自分の小説を一義的にしか解釈してほしくないというのは、最初に小説家になったときからそういう思いを持たれていたのでしょうか。

そうですね。昔から「これは実はこういう意味なんだけど分かる?」みたいな作品が嫌いなんです。僕、ああいうのはある意味とても不遜だなと思っているんです。だから、そういうのは絶対に書きたくない。誰にでも必ず分かるというものを目指したいです。意味が分からない、このキャラクターは何を意味してるのかといったことでもやもやするのが嫌いなんです。だから、自分はそういうのは書かないでおこうという感じです。

作品を読んでいると、まるで映像を見ているかのようにその場の情景が頭に浮かぶ、それぐらいディテールを細かく書いておられるように思います。それは、ご自身が頭に思い浮かべられた情景を読者にも同じように思い浮かべながら読んでいただきたいという意図からでしょうか。

そうですね。そう言っていただけるのが一番うれしくて、情景が浮かびますと言ってもらえたら成功したんだなと思いますし、僕も情景をそのまま書き写しているような文章であるように心がけています。

「夢化けの島」では、見島であったり、この崖の一部にこんな色の岩があってなど、そういった細かなところまで描写されています。そういったものは現地でご自身の目でご覧になって書かれているのでしょうか。

行かずに書くこともありますけれども、見島の場合は行きました。さすがに見島というものが想像がつかないところだったので見に行って、1日かけて島を回って書きました。でも、僕は綿密な取材をして書くタイプではなくて、できるだけデジタルな情報を使いながら書けるときは書きたいです。今、グーグルストリートビューでどんな光景だって書けちゃうんですよ。ただ、見島に行って、やっぱりよかったです。島の空気とかも生で感じ取れたので、行ったら行ったでいいことはたくさんあるんです。

小説に科学を取り入れるための工夫

物語に科学を取り入れる際に心がけておられることはありますか。

科学的な説明が続くものなんか皆さん読みたくないですよね。勉強したくて読んでいるわけじゃなくて、楽しみのために小説を読んでいると思うので、科学的な説明をどれだけ減らして本質的なことだけを伝えるようにするかということは、ずっと抱えているテーマです。大学教員をやっていたせいもあるんですが、まず基礎的なところから押さえていきましょうみたいな感じになってしまうんですよ。皆さん共通の前提の知識としてこのぐらいは押さえておいてね、その上にこれがあってこれがあってと、小説の中で知識を積み上げようとしたんですが、それをやるともう全然駄目でしたね。やっぱり途中でそこを飛ばす人が続出しました。そりゃそうですよね、別に教科書を読みたいわけじゃないので。
やってみて割とうまくいくなと思うのは、フックをかけるというか、みんなが一番驚くようなことを最初にぽんと出してあげるんです。実はこういうことってあるんですよと。そうすると読者も、えっ、そうなんだとか、何でやろうと思うんです。それに対する最低限の説明を後で分散させながらちょっと加えていく、そんな形でやっていくのが比較的うまくいくなと思います。よくある教授と生徒の会話みたいな、「教授、これはどういうことなんですか」「それはね」みたいな感じで登場人物にセリフでやらせると最悪なことになります。いかにそれを避けていくかということに苦労しています。

「博物館のファントム」で出てきた博物学は、専攻されていた地球科学とは大きく違うと思います。どのように勉強されて小説にまで落とし込まれたのでしょうか。

あれは調べ物がめちゃくちゃ大変でした。植物学、動物学、古生物とかいろいろな分野のものが出てくるんですが、僕が比較的分かるものは鉱物学ぐらいで、あとのことは素人ですので、いきなり植物学を最初から勉強するというより、植物標本とか動物標本について勉強したという感じです。すると、割と焦点が絞られてくるので、勉強するポイントが絞られます。いきなり最初から動物学を基礎から勉強しようと思うと無理なので、標本に関わるところだけ勉強しました。

「宙わたる教室」のトリアージやディスレクシア、「藍を継ぐ海」の行政代執行という言葉など、専門的な言葉が自然に物語に溶け込んでいるのが印象的です。これらはどのようにリサーチをされていますか。

書きながら勉強しています。書いていくとディテールが必要になるのでそこを少し調べて、そのときに出てきた用語を使っているだけです。トリアージなんかは最近割と広く知られるようになりましたが、ディスレクシアについては、SNSで知りました。自分で全ての面白い研究とかにアンテナを張るのは大変ですが、Xには科学情報に目利きの人がいて、面白い研究やこんな話題があるよということを投稿している人が何人もいます。そういう人をフォローしていると入ってくるんです。例えばディスレクシアだったら、ディスレクシアの人に読みやすいフォントがあって、劇的に読めるようになった人がいる、ということもXを通じて知りました。
行政代執行については、空き家問題を扱うときに大変困りました。空き家に勝手に立ち入っていいのはどういう場合だろうとか、緊急を要するときは入っていいと言われても、どれぐらいの緊急なのかということがすごく悩みました。僕の義理の父(故人)が弁護士だったので、彼に相談したりもしました。

登場人物を描写する上での苦労

先生の小説は登場人物もすごく魅力的に感じます。そういう方々に今まで出会われてきたのでしょうか。

研究者は割と書きやすいんです。たくさんの研究者を見てきたので、個性的でアクの強い人が多いので、そういう人をミックスすると、割と実在しそうでちょっと魅力的な研究者は造形しやすいんです。ところが、ごく普通の社会で生きている人たちは僕はそんなにたくさん見てきていない人生なので、普通に会社に勤められているような人たちがどんな悩みを持ってどんなことを考えて日々暮らしていらっしゃるのかなというのは正直分からないんです。この職業の人はこんな悩みを抱えているということを書くんですが、本当に合っているのかなと。特に女性を書くときは難しいです。女性が読んだら、女の人ってこんなこと考えてないよと思うかもしれないなと思いながら、それでも書くしかないので、精いっぱい想像して書くということをしています。

魅力的な登場人物が多いので、先生の周りにもそういう方がたくさんいらっしゃるのかと思いました。

特に誰かをモデルにするということはそんなに多くないし、特定の人を書くということにはかなり抵抗があります。その人が自分のことだと分かってしまったら困ると思うので、その人の要素を取り出して登場人物にはめ込むということはよくやります。ですが、そう言っていただけたら一番うれしいです。そんなに的外れなことを書いていないようならよかったなと思います。

弁護士という仕事は人の人生や権利に寄り添う仕事だと思いますが、小説家として社会や人々に寄り添う意識をお持ちになる瞬間はありますか。

弁護士とは異なり、私は実際に実在する人物に寄り添うということはないので、物語の中で自分なりに人々の人生を考えるんですが、なるべく想像力を忘れないようにしているというか、例えば電車に乗っていても、この人にはこの人の人生があって、それぞれが自分の人生の主人公なんだということを忘れてはいけないと常日頃思っています。その辺にいる人ではなく、それぞれが自分の人生を主人公として生きているんだという感覚は失いたくないと思っているので、それが作品に表れたらいいなと思います。

元気が出る小説を書きたい

物語というのは、読み手の方の考えや行動に様々な影響を与える力があると思います。伊与原先生ご自身はその力をどのように捉えていらっしゃいますか。

僕は、僕の小説で人生を変えてほしいというようなことは一切思ってないんです。すぐ忘れてもらってもよくて、普通に面白かったぐらいの感想で十分です。ですから、そんな力があるとは僕は思ってないけれども、僕、暗い話は嫌いで、暗い話はあまり書かないです。暗い話や嫌な話は新聞や雑誌にいくらでも落ちているのだから、せめてフィクションの中では多少明るい話が読みたくないですかと思うんです。僕、司馬遼太郎が好きでして、司馬遼太郎の小説は明るい陽性だと思っていて、読むと元気が出る小説が多いんです。そういう感覚ってとても大事だなと思っているので、自分の作品に何かすごい力があるとか力を持たせたいとは思ってないですが、読後感としてちょっと元気が出る小説というのはずっと書き続けたいと思っています。

「月まで三キロ」の作品における主人公は、最初は苦悩などを抱えているのですが、最後には希望を持つという展開から、元気をもらいました。

よかったです。その後どうなったんですかと聞かれることが多くて、その後を書いてほしいという声が結構あるんですが、いやいや、ここで終わってるのがいいんじゃないですかと思うんですけれども、人それぞれですね。もっと先まで知りたいという人が意外に多いです。でも、僕は、みんなが思っているようにちょっといい方向に進んでいくんですよ、そりゃそうでしょという感じで書いているので、それでちょっと明るい気持ちになってもらえたらそれでいいかなと思います。

今後、取り組みたい作品

今後、作家として取り組みたいテーマや題材はありますか。

「翠雨の人」で初めて評伝小説に挑戦しました。歴史にはあまり興味がなく、好きでもなかったのですが、「翠雨の人」は、戦前、戦中、戦後と活躍した猿橋勝子さんという女性科学者の話でして、彼女のことを書くときに、自分には知識もないし戦前からの話なんて書けるかなと思っていましたが、苦労しつつも、やってみると、歴史的な背景を知れば知るほど面白くなりました。ですから、時間軸も含めた科学の歴史とか科学と戦争とか、そういうものも今後書いていきたいなと思うようになっています。

「夢化けの島」を読んでいたら、すごく面白くなってきたところで突然終わったので、この先は読者の方がどうなるかを考えてみてくださいという思いが込められているのか、あるいは、意図してそうされているんですか。

最初のアイデアの段階からストーリーはそこまでなんです。泥平が作ったと思われる陶器のかけらを2人で見つける、終わり。その後は、もちろん大体皆さんのご想像どおりですよということです。光平君は陶芸家として泥平に近づけるように頑張るし、あゆみさんは地質学を続けるエネルギーをもらって、2人も少しずついい感じになっていくんだということなんですけど、そこまで書くという意識は全然なかったです。短編というのは、瞬間を切り取るということが醍醐味だと思っています。人生のある一場面にある短い時間を切り取ってというのがいいところだと思うので、あれをもし長編にしていたら先を書いていたかもしれないですね。ちょっと恋愛小説みたいになったかもしれないけれども。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」のような長編作品を将来的に書いてみたいというお気持ちはありますか。

僕は長編のほうが好きで、読むのも長編が好きなんです。短編は自分が好んで書いているというより、雑誌掲載するときに短編の依頼が来ることも多くて、短編がたまると短編集として出るんです。そういう要請もあって短編を書いているんですが、基本的には長編が大好きなので、いつかは大河的な作品も書いてみたいです。

弁護士との関わり、弁護士へのイメージ

次に、弁護士についてお聞きしたいのですが、作家活動をされる中で著作権法や出版契約など、法律の専門家に相談してみたいと思われた経験はおありですか。

幸いまともな出版社としか付き合っていないので、きちんとした出版契約だと思うので、それに対して何かというのはないです。ただ、それこそ今までの出版業界の慣例として、契約書も交わさずに仕事が発注されている状態というのは今も続いています。少しは改善されているかもしれないですが、それに対して僕自身は別に大して疑問も持っていないのでいいんですけれども、ただ、一度、僕の小説の設定にとてもよく似た作品が出たことがあって、担当編集者と出版社の法務の人と一緒に、相手の会社まで話を聞きにいったことがあります。そのケースのように、著作権という問題ではこれから相談したいと思うことがあると思います。

最後に、伊与原先生は、弁護士に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか。

義理の父親と義理の兄も弁護士で、家のすぐ近所なのでしょっちゅう事務所にも行っていたことから、何となく弁護士さんの日常というのはよく分かっているつもりですが、彼らを見ていて思うのは、とても人とのつながりが濃くて深くて長いなと思います。特に義理の父を見ていたら、あれだけいろんな人とつながっているというのは、パーソナリティーもあるんでしょうけれども、昔のクライアントも含めて長年感謝され続けているのを間近で見てきているので、あれだけ長年ずっと感謝されているというのは貴い仕事だなと思います。
あとは、ぐちゃぐちゃですね。とにかく忙しそう。いろんなことを一度にやっているというイメージです。

本日はお忙しいところ、誠にありがとうございました。

ありがとうございました。

2025年(令和7年)10月18日(土)

インタビュアー:大江 千佳
和田 義之
廣政純一郎
石田  空
北野 光平
竹田 千穂
中村 祐彩

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