弁護士会から

広報誌

西村允里さんインタビュー

外資系金融機関社員・元フィギュアスケーター

西村允里さん

Nishimura,Eri

元フィギュアスケーターで、現在は日本の大手外資系企業で活躍をされている西村允里さんにインタビュー。西村さんは、カナダのフィギュアスケートのジュニアチャンピオンでありながら、トロント大学でも素晴らしい学業成績を収められ、交換留学で東京大学でも学ばれています。その華々しいキャリアの礎になったであろう、謙虚で奥ゆかしいお人柄が伝わるインタビューで、海外との向き合い方、プロフェッショナルとしての姿勢、メンタルトレーニングの在り方など、我々にとってもとても参考になるお話でした。

フィギュアスケートを始めたきっかけ

6歳の頃にフィギュアスケートを始められたと伺いましたが、そのきっかけを教えていただけますか。

友人のお誕生日会でフィギュアスケートをしに行ったのがきっかけでした。その後クラブに入会してからスケートに魅せられ、本格的に選手を目指したいという気持ちが芽生え、スケート漬けの毎日になりました。

私は冬のスポーツでいうと、カーリングをやったことがあるのですが、最初の体験練習ですら全然できなかったのですが、ご自身で、フィギュアスケートはできるかも、という感覚はお持ちでしたか。

あまり記憶にはないのですが、小さい頃から体を動かすことが好きで、体操やバレエ、スキーなどをスケートより先に習っていたこともあり、「フィギュアスケートもできるかもしれない」という感覚もどこかにあったのかもしれません。

氷上のスポーツは体幹や柔軟性も必要になると思いますが、当時から備わっておられたのですか。

柔軟性については、バレエを習っていたこともあり、ある程度は身についていたのかもしれません。ただ、それでも毎日の柔軟は欠かさず続けていました。また、体幹は技術を習得するうえで非常に重要で、氷上と陸上の両方でのトレーニングを日々積み重ねてきたことが、大きかったと感じています。

カナダへの移住とカナダでのフィギュアスケート人生

その後、カナダに移住されてスケートを続けられることになったわけですが、どういったきっかけでカナダに行かれたのですか。

日本で習っていたコーチが、選手時代にカナダ・トロントの名門クラブで練習していたことがきっかけで、憧れの振付師さん(David Wilson)にプログラムを作ってもらうために訪れたのがきっかけでした。

その時の将来像は、どのようなものを描いておられたのですか。例えば、プロになってカナダで成功したいといったイメージをされていたのでしょうか。

当時は12歳だったんですけれども、その頃の夢は将来オリンピック選手になることでした。なので、スケートがうまくなりたい一心でカナダへの移住を決心しました。

日本でもフィギュアスケートが人気ですが、日本とカナダでは練習環境に差があるのですか。

はい、カナダはホッケーが国技ということもあり、リンクの数が多いので少人数で練習できる環境が整っていました。私が所属していた日本のスケートリンクは一般のお客様が最優先で、練習できる時間帯も限られていたので、学業とスケートの両立が難しいと感じていたのですが、カナダでは、登校前も放課後もフレキシブルな時間帯に練習できる環境でした。そういう環境にも惹かれて、親も許可してくれて移住できました。

12歳でカナダでのフィギュアスケート人生を始められて、1日のスケートの練習時間はどれぐらいだったのですか。

当時の練習時間は1日5時間程度だったかと思います。
大学生になってからは勉強が忙しくなり、2時間程度になってしまいましたが。

異国でフィギュアスケートをする中で、何が一番大変だったのでしょうか。

カナダは多様な人種の人々が集
まる国で、それぞれの特徴やカルチャーが尊重される環境だったため、日常生活においては国籍の違いで苦労することはありませんでしたが、スケートにおいては、練習に対する考え方や技術面での違いなどを感じる場面も多く、柔軟にアジャストできるメンタルの強化が一番大変だったと感じています。
強化選手の合宿などで、カナダチームのスポーツサイコロジストによるトレーニングを受けながら、集中力を高める方法や試合への臨み方について、日々の練習の中で意識しながら取り組み、メンタル面を強化していきました。

メンタルトレーニングといっても、忍耐力を強くするアプローチもあるでしょうし、たまったストレスをコントロールするようなアプローチもあると思いますが、どういったことをされていたのですか。

忍耐力の強化とストレスコントロールのバランスは、とても大切にしていました。
具体的には、試合の緊張感の中でも自分の力を発揮できるように、呼吸法やイメージトレーニングを取り入れて、どんな状況でも心の状態を整えられるようなトレーニングをしていました。
ただ、頭で理解していても、実際の試合でそれを実践するのは本当に難しくて、うまくいかないことも多かったです。
そんな中で、すごく印象に残っている言葉があります。
尊敬しているコーチの一人であるトレーシー・ウィルソンのデスクに、「Please be responsible for the energy you bring into this place」という言葉が貼ってあったんです。
それを見てからは、その日の気分や環境に左右されるのではなく、「自分がどんな状態でそこに立つか」を強く意識するようになりました。
メンタルトレーニングというと特別なものに聞こえるかもしれませんが、突き詰めると「自分の状態を自分で整える力」なんだと思っています。

スポーツ科学的な発想ですよね。日本でそのようなことが言われ出したのはここ最近の印象があって、かなり最先端を進まれていたような気がします。

カナダ・トロントのクリケットクラブでは、キム・ヨナ選手や羽生結弦選手、ハビエル・フェルナンデス選手など、世界トップレベルの選手と一緒にトレーニングをしていま
した。
その中で、日々の練習における集中力の高め方やモチベーションの保ち方、試合へのコンディションの持っていき方など、本当に多くのことを学びました。
私が日本で練習していた頃は、どちらかというと忍耐力を重視したトレーニングが中心で、「気合い」や「根性」といった精神論が重んじられていた印象があります。
一方で、世界のトップ選手たちは、常に明確な目的を持ち、「なぜこの練習をするのか」を理解したうえで取り組んでいました。
そうした環境に身を置く中で、科学的な根拠に基づいてトレーニングの意図を理解し、目的意識を持って取り組むことが、パフォーマンスに大きく影響するのだと実感しました。

2010年のカナダジュニアフィギュアスケート選手権での優勝とその後のキャリア

2010年のカナダジュニアフィギュアスケート選手権では、チャンピオンになられていますが、この時のご心境を改めて振り返っていただけますか。

演技の内容に目標を置いていたので、滑り終わった瞬間は、うれしいというよりは、少し悔しい、もっとこうできたというところが大きかったかもしれません。でも、表彰台に呼ばれた時やインタビューを受けた際に、ジュニアチャンピオンになれたという実感がだんだん湧いてきて、特に表彰台に上った時は、今までの努力が報われたなと思えて、そこで全てのプレッシャーから解放されるような感覚でした。

その翌年からシニアの段階になり、2016年には全国選手権で8位に入られて、錚々たる面々と競っておられたわけですが、大舞台にはどのようなご心境で臨んでおられたのですか。

試合前になると周りから「楽しんできてね」と声をかけてもらうことが多かったのですが、当時は正直、楽しむ余裕は全くなくて、「どうすれば試合を楽しめるのか」をずっと模索しているような状態でした。
その中で実感したのは、やはり自分自身が「これ以上ないくらい努力してきた」と思えることが、一番の自信につながるということでした。
実際には、毎回ベストなコンディションで試合に臨めるわけではないので、どんな状況でも大きく崩れないように、自分の“最低ライン”を引き上げていくことを意識していました。
また、大舞台に立つときの緊張も、ネガティブなものとして捉えるのではなく、集中状態に入るために必要なものだと、できるだけポジティブに受け止めるようにしていました。
とはいえ、もともとすごく緊張しやすい性格なので、悔しい思いをしたことの方が圧倒的に多かったんですけど(笑)。

シニアはジュニアと違うところは多いですか。

ジュニアとシニアの違いは、求められるレベルの高さだけでなく、年齢的にも競技への向き合い方そのものが変わる時期だと感じています。
シニアになると、世界のトップレベルで活躍する選手たちと同じ土俵に立つことになるので、技術や表現力はもちろん、パワーやスケーティングスキルにおいても、より高い完成度が求められます。
また、ジュニアの頃はあまり深く考えすぎずに、自信を持って思い切り滑ることで、勢いのまま良い結果につながることも多かったのですが、シニアに上がってからは、そうした勢いだけでは通用しない場面が増え、「考えて滑る」ことの重要性を強く感じるようになりました。
実際、コーチからは「考えすぎ」と言われることもあったのですが、それでも試合への臨み方や準備の仕方を見直しながら、自分なりにバランスを探っていく必要がありました。
そういう意味で、ジュニアからシニアへの移行は、単に技術のレベルが上がるだけではなく、自分のスケートとの向き合い方が大きく変わるタイミングだったと思います。

西村さんにとってフィギュアスケートの魅力はどこにありますか。

フィギュアスケートの魅力は、スポーツでありながら芸術でもあるところだと思います。もちろん、スポーツとして高い技術が求められる競技ではありますが、それだけではなく、観客の心を動かす表現力も非常に重要になります。自分がこだわりを持って選んだ音楽やコレオグラフィーに対して、どう向き合い、どう表現するかによって、観客に与える印象は大きく変わります。
そういった「技術」と「表現」が融合している点は、他のスポーツにはない、フィギュアスケートならではの魅力だと感じています。

トロント大学について

話は変わりますが、トロント大学では生命科学(ライフサイエンス)を専攻され、スカラーシップの受賞に加え、High Distinctionで卒業、4年連続で「Dean’s List Scholar」として表彰されるなど、学業でも優れた成果を収めていらっしゃいます。スケートを1日に何時間も練習しながら、学業でも素晴らしい成績を残されていたということで、西村さんご自身がフィギュアスケートと学業の両立にあたって、工夫されていたことは何かありますか。

怪我の影響で、初めて派遣された国際大会であるジュニアグランプリへの出場を棄権しなければならなかったことがあり、とても悔しい思いをしました。
その経験を通して、フィギュアスケートは、どれだけ努力を積み重ねても、本番で実力を発揮できなければ結果や評価につながらない、とても厳しい競技なのだと痛感しました。一方で、勉強は自分のモチベーション次第で着実に積み重ねることができ、努力が結果として返ってきやすいところに面白さや楽しさを感じるようになりました。
もちろん、両立は簡単ではありませんでしたが、もともと学ぶこと自体は好きだったので、スケートで悔しい思いをした分、学業で良い成績を収めることが自分の支えになっていたように思います。
それが、自分の中では一つの自信にもつながっていたのだと思います。

フィギュアスケートと勉強を両立するにあたって、アスリートとして、睡眠時間や栄養の確保など、健康面で気を遣われていたことはありますか。

テスト期間などは、どうしても睡眠時間を十分に確保できないこともあったので、まずはその状況を受け入れたうえで、その中でいかにパフォーマンスを発揮できるかを意識していました。
また、栄養面については、ライフサイエンスを専攻していたこともあり、自分の体の仕組みや栄養について理解を深めることで、できるだけ回復を早められるような食生活を心がけていました。

生命科学を専攻された背景にはそのようなことも関係していたのですね。

高校時代にその分野が得意だったのもあるんですけれども、自分が怪我をしてスポーツドクターにお世話になったこともあって、スポーツドクターになりたいという夢を抱いていた時期があって、それもライフサイエンスを専攻したきっかけですね。

私はオーストラリア・シドニーに旅行に行った時にシドニー大学に立ち寄ったんですが、図書館で学生が死に物狂いで勉強しているんです。日本人には大学入学が終着点といった感じの人もいるので、違いに驚きました。カナダはどうなのでしょうか。

オーストラリアに近いんじゃないかと思います。日本は大学に入るのには猛勉強しますけれども、入ってからは部活動に注力したり、3年生になったら就活に力を入れているのが印象的ですよね。でも、カナダは、4年経って就職するという文化があまり根付いていないので、その後、大学院に進むとか、自分の専攻している分野で次のステップを考えた上での4年間という大学生時代を過ごすので、GPAにこだわって勉強する文化が根付いています。私も、GPAをキープするために図書館に籠もって徹夜して勉強するということは結構ありました。

東京大学での交換留学を経ての日本への帰国

その後、東京大学への留学を経て、ご帰国されていますが、これはどういうきっかけがあったのですか。

競技生活では、全国カナダ選手権に3年連続出場、2年連続トップ10入りを果たし、目標であった国際大会という舞台に立つことができました。完全燃焼とは言えない部分もありましたが、自分の挑戦に対して一定の区切りをつけることができました。
その後、日本人として日本の文化を深く学びたいという気持ちから、トロント大学の交換留学制度を利用して東京大学へ1年間留学することとしました。
その際、学内のキャリアセミナーや企業説明会に足を運ぶ中で、現在勤めている企業で活躍される方々と出会い、彼らの仕事への姿勢に強く惹かれ、全く異なるフィールドではありましたが『自分もこの世界で挑戦してみたい』と心が動き、帰国して日本で就職するという新たな道を選択しました。

東京大学の交換留学ではどんなことを学ばれていたのですか。

幅広い科目を取れる制度だったので、ライフサイエンス系の授業をはじめとして、国際関係や様々な分野の授業を受けました。

カナダでの就職も考えておられたんですか。

はい、実は当初はカナダで医学部への進学や大学院への道を考えていました。ただ、交換留学で1年間日本に滞在した際、日本の食生活の豊かさや、生活の快適さを改めて肌で感じたのです。一方で、カナダの冬の厳しさも身をもって経験しましたので(笑)、次第に『やはり日本で暮らしたい、ここでキャリアを築きたい』という思いが強くなっていきました。自分の将来を考えたとき、日本で生活することの心地よさと、先ほどお話しした新しい挑戦への意欲が重なったことが、日本への帰国を決めた大きな理由です。

トロント大学から東京大学に行くのも、ただ書類を提出すれば行けるものではないですよね。

アプライした人の中から、成績がよい順に選んでもらえるという感じだったかと思います。

日本とカナダ・トロントの違い

すごいことですね。日本に帰ってこられて、改めてトロントはいかがでしたか。学業以外でトロントで学ばれたことにはどんなことがありますか。

トロントでの生活で最も大きかったのは、多様な人種や文化が共存する環境そのものから学んだことですね。世界中から集まる人々と接する中で、自分の視野が劇的に広がりました。『世の中にはこんな価値観があるんだ』という発見の連続で、自分とは異なるバックグラウンドを持つ人々と対等に向き合う力が養われたと感じます。
特に高校のボーディングスクールに通っていたときは、世界各国から集まった仲間と寮生活を送る中で培った「文化や価値観の違いを尊重し、そこから何かを生み出す」という姿勢は、日本に戻ってきてからも私の大切な軸になっています。

逆に、日本に帰ってこられてから日本の文化や風習についてのギャップあるいは違和感を覚えられたことはありましたか。

職場環境になりますが、最初に就職した外資系金融機関はとてもインターナショナルな環境で、共通言語も英語だったので、スムーズに適応することができました。その後、日本的な文化が根付いている外資系企業にも身を置いたのですが、そこでビジネスの進め方や組織のあり方など、これまでの自分の経験とはまた違うアプローチに触れる機会がありました。
戸惑うことも正直ありましたが、今はそれぞれの環境のもつ良さや、なぜそのようなやり方をしているのか、という背景まで少し理解できるようになってきた気がしています。異なる視点を持てるようになることで、より思慮深い決断を下せるようになるのではないかと感じています。こうした柔軟な姿勢は、これからも大切にしていきたいと思っています。

キャリアにおける決断

話が戻りますが、フィギュアスケートのためにカナダに行ってジュニアチャンピオンになられて、国際大会にも出られた。その間、学業でも素晴らしい成績を収められていて、スケートを引退された後も、東京大学への交換留学を経て日本にこられた。現在は転職を挟まれつつ、日本の外資系の大企業で勤務されている。

このように、とても華やかなキャリアを歩んでこられた西村さんですが、そのキャリアの節目節目でどのような意図で決断されて、ここまでこられたと分析されていますか。
振り返ってみますと、決して最初から決まったレールを歩んできたわけではなく、フィギュアスケートでカナダに渡ったことも、東京大学への交換留学も、そして日本での就職も、その時々でいただいたオポチュニティーに対して、純粋に「挑戦したい」という前向きな気持ちで向き合い、その瞬間の最善を選び続けてきた結果だと感じています。
もちろん、どの決断も迷いがなかったわけではありませんが、未知の選択肢に出会ったときに、それを恐れずに一歩踏み出すことを大切にしてこれたのかなと。結果として、競技者からビジネスパーソンへという大きな転換を含め、一つひとつの経験が今の自分を形作ってくれたのだと思います。これからも、目の前の機会を逃さず、誠実にチャレンジを続けていきたいと考えています。

今後の将来像について

臆せずチャレンジすることは本当に重要なのですね。さて、西村さんは今後、フィギュアスケートに何らかの形で携わりたい、といったことはお考えなのでしょうか。

国際ジャッジを目指したいなと思っていて、今、最初のレベルの資格を取り始めているところです。

ジャッジになるのには、試験もたくさんあったりしてものすごく大変と聞いたことがあります。それはカナダでですか。それとも日本でですか。

今のところ、日本でできたらいいかなと思っています。というのも、日本はこれだけフィギュアスケートのレベルが高い国なのに、国際的な舞台で活躍するジャッジの数は他国と比べるとまだ少ないと聞いたことがあり。
私自身、競技者として氷の上に立っていた経験や、留学先でいろいろな価値観に触れた経験があるので、そうした視点を活かして、何か日本のフィギュアスケート界の力になれたらいいなと考えています。

弁護士に対するイメージと弁護士へのメッセージ

最後に、少し弁護士についてお伺いしたいと思います。西村さんは、カナダの永住権の取得などで、カナダの弁護士にご相談されたことはありますか。

はい、カナダスケート連盟に所属されている国際ジャッジの方がいて、オリンピックでもジャッジをされている方なのですが、その方が弁護士さんで、とてもお世話になりました。永住権の取得に関してもアドバイスをいただいたり、スケート技術に関するアドバイスもたくさんいただきました。本当にスマートで憧れの女性だったので、彼女はすごく印象に残っています。

フィギュアスケートのジャッジと弁護士、2つのお仕事をされておられるということですか。

そうです。本業は弁護士さんです。ジャッジというのは、もちろんいずれ職業になることはありますけれども、実はボランティアから始めることが多く、別に職業を持っている方が多いと聞いたことがあります。

特にカナダで憧れの女性だった弁護士の方と比較して、我々日本の弁護士に対して手厳しいメッセージをいただければと思います(笑)。こういうところを改善したらもっとよくなるんじゃないかとか。

弁護士さんについて詳しいわけでは全くないもので、私が何かを言える立場にはないのですが、私の身近にいる海外の弁護士さんは法律の知識だけでなく、相手とのコミュニケーションや倫理観をすごく重視している方が多いのかなという印象です。日本の弁護士さんが実際どうなのかはわからないのですが、専門性の高さやストイックさが強みなのかなというイメージを持っていて、どちらも尊敬できる部分があるので、そこが融合されたら最強なのかなと思います。

日本の場合はもめ事ありきで、弁護士は、そのもめ事を解決するためのアドバイス業というイメージで皆さん見られるんですけれども、それは我々の仕事の一部で、もめ事が起こる前に、こんなことをしたいんだけれどもどんなやり方がいいんだろうかとか、建設的に一緒になって仕事をしていこうという業務も結構あるんですけれども、日本の弁護士に対してそういうイメージはありますか。

周りに自分で起業したり自分で会社を立ち上げる人も多く、そのときには弁護士さんもチームの一員となって一緒に会社を立ち上げていく仲間のような身近な存在だなというのは拝見したことがありますね。

そのような仕事をしているというイメージは、まだ世間には浸透していないと思っていましたので、逆に我々も身が引き締まる思いです。
ただ、特に日本の弁護士は、広告が制限されていることも影響しているのか、こんな業務をやっているという発信はあまりしてこなかったんです。今日のお話を伺って、弁護士はこんなこともやっている、あんなこともやっているみたいなことをこれからも発信し続けていくことは大切だなと改めて感じました。

広告が制限されていると聞くと、確かにお堅い、敷居の高い職業というイメージがあります。

その敷居が高いというのが一番の問題かもしれないですね(笑)。

弁護士さんという職業がもっと身近なものに感じられるといいのかなと思います。今、見せていただいた『月刊大阪弁護士会』の中に法教育の出張授業の内容を拝見しましたが、小さい頃から弁護士さんの仕事がどういうものなのかというのに触れる機会があると、世の中でもっと身近なものになるのかなと思いました。

大変示唆に富むお話を頂戴できました。お忙しいところ、ありがとうございました。

2025年(令和7年)10月29日(水)

インタビュアー:岩井 泉
豊島健司

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