弁護士会から
広報誌
前川彰司さんインタビュー
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再審福井事件冤罪被害者
前川彰司さん
Maekawa,Shoshi
福井女子中学生殺人事件で一審無罪にもかかわらず、高裁・最高裁で有罪が確定して7年もの間服役するも、その後、2025年7月18日に再審無罪となった前川彰司さんにインタビュー。冤罪被害の当事者による筆舌に尽くし難い苦痛、捜査機関に対する憤り、そして、我々弁護士に対するメッセージをいただきました。芯の通った前川さんのお言葉に心が震える時間でした。
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違法な取調べが続く中での思い
取調べの中で、壁に頭をぶつけられたり、机を蹴られたりして自白を強要・誘導されることがあったと聞いています。そのような取調べにおいて、前川さんがどのようなことを意識していたのか、あるいは、当時の弁護人の対応で印象に残っていることはございますか。
逮捕されたのは、1987年3月29日と憶えています。それ以前は福井県立精神病院にずっと入院中でして、外出か外泊で家へ帰ったときに、東京にある薬物依存の人をサポートする施設(DARC)の職員が福井に面会に来てくれました。それで、このまま東京に行こうという話になったんです。急遽そういう話を病院に伝えたところ、なかなかそういうわけにもいかないということで、一旦病院に戻った後、私は任意で警察へ連行され、逮捕されました。
逮捕当初からかなり厳しい取調べだったのは間違いありません。でも、逮捕直前にポリグラフにかけられたんです。警察もそれをするぐらいですので、逮捕には自信はなかったんでしょう。取調べが始まったんですが、やっぱりきつかったです。最初から相当きつかった。まして精神的なダメージが当時残っていましたし、かなりぐっとくる沈痛な取調べが続きました。
逮捕直後に、父親の関係とか友人のつてで弁護士さんが何人かすぐ就いたんですけれども、やってないんだったら否認しなさい、自白しては駄目だと。毎日のように弁護士さんは代わる替わる来てくれました。その都度励ましてくれたんですが、だんだん警察に迎合なり忖度なりする中で、自分の心の力も折れていきました。やってないことは否認を貫けという強い励ましの下で、否認の期間が続いたんですけれども、やはり自白まがいの供述、それに近いことを自分は話すようになってしまった気がします。
しかし、取調べの中でそういう話をしても、自分の意思に反する署名指印は拒否しなさいというアドバイスを受けました。結果、署名指印の自白調書は一通もありません。否認か自白かの2つに1つで言えば、否認を貫けたと思っています。
勾留期間中は、家族に会えなかったり、取調べで人格攻撃をされたりしたと思うんですけれども、どれが一番精神的に堪えましたか。
全てですね。取調室という特異な空間ですので、独特の雰囲気というか心の重くなるような異様な感じがあります。とりわけ自分は精神を病んでいましたので、自分でも意識しないところで重いものを背負い込んでしまった。一切が自分にとってつらい20日間でした。
今でもそういうつらい経験がよみがえってきて、つらくなることはありますか。
自分は精神の疾患ということで、一番最初に精神病院に入ったのは中学3年の時です。薬物依存等々に因り、精神的に特異な状態でした。18歳ぐらいのときにある種のマッドマックスを迎え、その後この事件に巻き込まれます。重い十字架を背負わされた40年余りでした。今回、再審無罪になったことで、背負っていた十字架はかなり軽くなったことは事実です。ただ、そうであっても、精神のこの障害は完治することはないと言われています。今でも悪かった時の状態がいきなりフラッシュバックすることが間々あります。総体的に見れば、寛解が進んでいるのは間違いないとは思います。今は精神の薬の処方もありませんし、以前よりかなり良くなっています。
取調べのときに、刑事さんが自分に対して偏見を持っているなという感じはありましたか。
ありありですね。とりわけ刑事一課は、こいつが犯人に違いないという偏見、何が何でも自白させるという強い執念を刑事からは感じました。
弁護団との関係など
そのような長きに亘る40年の中で、弁護団や刑事司法を信じられない気持ちになったことはなかったですか。
最高裁で有罪が確定し、収監された後の服役中のことですが、1999年の春から夏にかけて弁護団を全て解任しています。その時が、自分にとって弁護団との信頼関係に亀裂が入った時期ではないかと思います。
されど覆水盆に返らずという言葉もありますけれども、亀裂が入りつつも、今回再審無罪にまでたどり着けたことは、よしとしたいと思います。弁護団には今回再審無罪までご尽力いただいた事は、厚く恩義を感じております。
ただ、弁護団を解任したこの頃から、自分はこの事件に対してある種の疑念を抱くようになりました。そして今ではそれは心の中で確信になっています。また、多くの証しを得る中で、この事件はそもそも事件発生の当初から構造としておかしいという事に気付いたのです。
再審無罪まで闘い続けられた原動力
闘い続けることについて、前川さんご自身の心の支えになったものや人はありますか。
救援会とか、友人、知人がたまに電話をくれたり、医療スタッフの励まし、また何より教会の方々には、無言ではあっても何かしらの大きなお力添えを頂いた気がします。神様に感謝したいという思いはとりわけ今強いです。これは服役生活においても最大のよりどころになっていたんですけれども。そして自分には信念があった。その思いに至ったのは、自分の中で、少年時代からの非行歴の下で培われたある意味での反骨心、負けたくないという強い気持ちも手伝ったのかもしれません。また自身が自分の冤罪性を一番よく知っていたことも最大の強みだったようです。
捜査機関による証拠の隠蔽など
第二次再審で、重要な証拠である「夜のヒットスタジオ」の放送日が間違っていたり、証人に対して警察官からご祝儀が渡されていたということが判明するわけですが、それを前川さんが知ったとき、どんなご心境だったでしょうか。
番組が云々といううわさは、一審の時から既に私は聞いていたように思います。だが、第二次再審で、それが1週間ずれていた、5000円の祝儀が渡されていたとかを知ったときは、警察は正義の味方と誰しも思っていると思いますので、やっぱり愕然とした衝撃はありました。警察はこういうことをするところなんだなと。ショックでした。この福井事件においてはそういう後ろめたいことを警察はしていたのかと思うと、そもそも福井事件は汚職、汚れた捜査だったんやなと思いました。
裁判では目の前で、いろんな人が証言しますよね。そういうときには、何でこんなことを言うのかな、それは違うと言ってやりたいという気持ちはありましたか。
正直、あきれてました。とりわけY氏には、あきれを超えて、ああこの男は病気やなと。一審においてはY氏は虚言癖を有するという判示がなされましたが、そのとおりやなと。彼に対して恨みが全くないわけではないですけれども、病気かと思うと…。偽証したこれら数人の証人に対し殊更報復するという考えは、今の自分にはありません。
再審での無罪の理由も、基本、一審の無罪と同じ見立てですよね。一審の無罪の理由と再審で無罪になったときの理由が両方とも、関係者が示し合わせて偽証したということで、これは前川さんにとって非常につらいお話を押しつけることになるんですけれども、一審で無罪が確定していたら、そこで終わっていたはずなのにという思いはおありでしょうね。
確かにそうです。否、そもそも起訴からして間違っていたといえるでしょう。
再審開始決定が出てから無罪になるまでも随分時間がありました。その間は、どういう気持ちで過ごしておられたのですか。
第一次再審請求をしたのは2004年、出所の1年後ですけれども、結果、去年2025年の再審において無罪ということで、20年余りの時の空費があるわけです。信仰上の教えからも、この無駄の中にこそ有意義なものがあるとも受け止めてはいます。逆説的な考えをしたとき、この空白な時間にこそ満ち足りた業を営んでいた自分があったのではないでしょうか。ただ、人間にはきれい事だけでは済まない心理もありますので、そもそものこの事件は発生の時から既に時間の流れが狂っていたといえるでしょう。ハレー彗星が流れたわけです。
先ほど、悪い期間もいいように捉えられるというご趣旨のお話もありましたけれども、さりとて、前川さんがこれまでにいろいろと出来たはずのことが出来なかったのではないかと我々は拝察しているんです。こんなことがしたかったとか、あんなことができればよかったとか、そんなことはないですか。
逮捕は1987年ですので、バブル景気真っ只中。世界的にも東西ドイツのベルリンの壁の崩壊とか、ロシアでもペレストロイカがありました。中国の天安門事件もそうです。一審のときは世界的にみてもいろんな出来事がありました。
世界的なそういった何かしらの動きの中で、バブル時代という、自分に体験できなかった景気のいい時期を羨ましく思う気持ちはやっぱりあります。当時は「YAWARA!」とか「柔道部物語」という漫画もよく読んでいました。青春時代を回顧する自分は今もいます。
この空白の40年を振り返ったときに、これが自分の人生、運命、使命だったのでしょう。今もまだ晴れていない冤罪再審事件を闘っている人が数多くいる。袴田、福井、そして今回の日野町と続く中、暗闇の中にいる人たちを照らす明りとなる使命を神様はまず第一にしています。それが今般再審法の改正という事で出来つつある事は、今後も更にこの使命感を皆でともに共有し、持ち続けていくべきでしょう。
再審法改正について
再審法の改正問題とか冤罪被害者を助けるということについて、これからもまたあちこちで講演などをなさるご予定ですか。
正直、疲れてはいますが、やるつもりです。
今、再審法改正の大きな柱として、検察官抗告の禁止、証拠の開示という問題があります。これらはいずれも前川さんご自身の事件にも関わる大きな問題で、これだけ年数がかかったことであるとか、隠れた証拠によって冤罪が晴れたことであるとか、そういうご自分の経験を通じて、再審にまつわる法律をどう変えないといけないかということについて、これからどう訴えかけていきたいとお考えですか。
向かう先は、無辜の早期救済です。それをまず前提に皆でいろんな方法を模索して、いろんな知恵を絞って。だから、二本の柱だけでは物足りん気もします。
あえて一つ二つ言うならば、結果的に誤判を招いた判事、誤って起訴した検事に対する罰則とか、もう少し的確なプランを練って、早期に冤罪犠牲者を救済していただきたい。司法はあまりにも時間がかかり過ぎる。僕は少年時代、少年院に入っていました。壁の中の時間の流れというのは一日が千の秋というか…。早期救済がやはり何よりもまずは求めるべきところです。
今回の再審法の改正を始めるようになったきっかけは、無辜の人の早期救済です。ところが、もともとの立法事実、無辜の人の早期救済という再審法改正の考え方が、いつの間にか確定判決の法的安定性とか、また変な方向に流れていこうとしています。大阪弁護士会としても、今回の再審法をあるべき姿に改正しなければならないと思います。
一度、警察、検察、裁判所によってやり玉に挙げられたら、その汚名はもう二度と払拭できない現実が存します。だから、再審によって無罪を勝ち取っても、我々はそれからの生き方によって無罪を証明し続けていかなければなりません。再審無罪だったから、これでもう終わりだというものでは決してないと思う。その後の人生で我々は汚名を払拭し続ける生き方、歩みをしていかなくてはならないのです。だから、我々の生き方はむしろこの後にかかっている気がします。
マスコミの報道でも大変な思いをされてきたんでしょうか。
僕は逮捕されて檻の中にいるだけです。でもシャバにいるおやじやおふくろ、家族は相当きつかったのではないか。察するにあまりある、父親、母親の心情です。
いや、僕も正直やっぱりきつかったです。無意識のところで、それが精神の病として自分の心に表出してきているのかなと。
今でもそういう冤罪被害状態となっていて、そういうことに泣いている人がどこかにたくさんいるはずですが、今、前川さんが汚名を払拭し続けるとおっしゃいましたけれども、我々にとっても、そうやって証し続ける方がおられるというのは非常に心強いというか、我々も頑張らないといけないなという気持ちで受け止めました。
この「月刊大阪弁護士会」で伝えたいこと
再審の無罪判決では、「確定審検察官の訴訟活動に対しては、その公益の代表者としての職責に照らし、率直に言って失望を禁じ得ない」と断じています。前川さんは、この「月刊大阪弁護士会」を通じて言いたいことがあるとすれば、どんなことがありますか。
法とは何かということをいま一度、おのおので考えてみてほしい。人の道というか、心というか、道理というか。今、多くの検事さんはそれができていますか?自分で省みて、振り返ってみて、果たして私は法曹として適した職務を遂行しているか、職責を全うしているだろうか、そしてその法の下で果たして生きている人間といえるだろうかということも踏まえてほしい。
最後に、大阪弁護士会には、裁判員裁判とか重大事件を頑張ろうという若手弁護士が多数います。そんな弁護士に対して、冤罪を防ぐためにどういうふうな活動や心構えを求めるか、何かメッセージをいただけますか。
大阪弁護士会に言うならば、冤罪というテーマにポイントを絞ったときに、冤罪は世の中にあるという認識を先ずは持ってほしい。刑事裁判での再審の扉はかなり狭い、かなり難しいハードルです。再審法の改正について、大阪弁護士会そろって声を上げてほしいです。だって今のドイツやフランスでは検察官の不服申立ては出来ないわけでしょう。近代日本の法律は成立しています。ドイツやフランスを源泉に来ているんです。だったら、日本でも刑事訴訟法の先進国であるそれらの国の今を学び検察の不服申立てをなくすよう法を改正すべきです。世の中は法の支配、法に拠って統治されています。法の先進している他の国からその多くを学びつつ、時宜に適った法整備に心掛け、日本の社会をより良い正法に拠って司って頂きたいと思います。
本日は、大変勉強になるお話を頂戴できて、感謝申し上げます。ありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございました。
インタビュアー:豊島健司
針原祥次
巽 昌章
湯浅彩香