大阪弁護士会の活動
人権擁護委員会
申立人らは、1949年(昭和24年)8月から1950年(昭和25年)10月にかけて、共産党員あるいはその同調者であることを理由に勤務先から解雇・退職勧告等の措置を受けたが、これは、思想・信条を理由とする差別的取扱いであるとともに、申立人らの思想・良心の自由、結社の自由を侵害する重大な人権侵害である。
このような人権侵害は、連合国最高司令官総司令部(GHQ)の指示や意向を受けて、国が主導した政策に基づくものであり、国に対し、申立人らについて可及的速やかに名誉回復や補償を含めた適切な措置を講ずるよう勧告する。
2022年(令和4年)3月17日
【執行の概要】
1 申立人ら(遺族による申立ての本人を含む。)は、戦後占領下に連合国最高司令官総司令部(GHQ)の指示・意向のもと、共産党員や同調者の公職・企業からの追放が行われた、いわゆるレッド・パージによって、各勤務先において、解雇や退職勧告等の措置を受けた。
一般に、レッド・パージは、1950年に、連合国最高司令官マッカーサーが、日本共産党を公然と非難し、共産党中央委員の公職追放や、機関紙「アカハタ」の発行停止等を吉田首相宛書簡で次々と指令し、日本政府もこれを推進して、公職や民間企業から大量の共産党員、同調者等を追放した過程が中心をなすものであることが史実として明瞭であるが、今日の研究では、それより以前の1949年に、行政整理・企業整備といわれる行政機関・民間企業の大規模な人員整理の中で、レッド・パージはすでに開始されていたと見るのが一般である。
すなわち、1945年の終戦後、食糧不足と激しいインフレの中、労働組合の結成が急速に進み、日本共産党が指導力・影響力を拡大していったことにGHQは危機感をもち、アメリカの対共産主義政策が明確となったこともあいまって、占領政策の規制対象は共産主義者に転換された。そして、マッカーサーの共産主義に対する警戒や非合法化の示唆を受け、当時の日本政府も共産主義の拡大を抑圧する方針を明確にした。
1949年7月22日には、公務員に対する行政整理のもと、共産主義者を排除するレッド・パージが閣議決定され、実行された。
また、1948年の賃金三原則および経済安定九原則に起因して、民間企業の大規模な人員整理が行われた企業整備においても、共産主義者を追放・解雇するレッド・パージが実行された。
1950年7月28日には、朝日新聞社など報道機関8社でレッド・パージが行われ、同年8月26日には、電気事業経営者会議において、電産労組(日本発送電株式会社と9つの配電会社の労働者で組織された日本電気産業労働組合)所属の従業員に対し、解雇通告が行われた。
その後も、日本政府は、民間企業におけるレッド・パージを合憲・適法として積極的に擁護する姿勢を公式に表明し、その結果、1950年10月から12月にかけて、各産業437社で約7500人に及ぶレッド・パージが行われた。
2 申立人ら(遺族による申立の本人を含む。)は、活動状況等から、共産党員またはその同調者であったと判断されたところ、それぞれの解雇や退職の経緯について、下記の事情や視点から総合的に判断した結果、解雇等はレッド・パージによるものと判断された。
① 当該申立人が解雇等を知らされた前後の雇用者側の言動
② 当該申立人と同時期に同じ雇用者から解雇等された者が共産党員等であったこと
③ 雇用者や同業他社が、当該申立人の解雇等と同時期にレッド・パージによる解雇等を行った事実
④ 雇用者が、当該申立人を共産党員等であると認識していたこと
⑤ 当該申立人や同時期に同じ雇用者から解雇等された者が、レッド・パージによる解雇等の無効を争って地位確認訴訟、解雇無効訴訟等を提起したこと
⑥ 当該申立人や同時期に同じ雇用者から解雇された者が、レッド・パージによる解雇等の不当性を主張して活動していたこと
⑦ 当該申立人につき解雇事由に該当する事実が見当たらないこと
⑧ 当該申立人がレッド・パージの被害者団体等が発行する記念誌や機関誌に自らがレッド・パージによる解雇等をされた旨の投稿をしていること
⑨ その他、当該申立人がレッド・パージにより解雇等されたことを推認させる客観的な文書(近親者に宛てた手紙等)や事情の存在
3 本件レッド・パージによる解雇等は、申立人らの思想・良心の自由、結社の自由及び平等原則(憲法19条・21条1項・14条1項、世界人権宣言2条1項・7条・18条・20条1項)という基本的人権に対する重大な侵害であり、たとえ占領下におけるGHQの指示・命令に従ったものだとしても許されるものではない。
日本政府や企業自身もまた、レッド・パージを積極的に推し進めてきたことは事実であり、特に、1949年の行政整理・企業整備については、GHQの関与はあるとしても、日本政府が積極的に選択したという性格が相当に強い。
そして、1952年4月28日に連合国と日本国との間の平和条約が発効し、連合国の占領が撤廃された後は、日本政府は、自主的にレッド・パージによる被害の回復を図り、被解雇者の地位と名誉の回復措置をとることが十分可能であったし、とるべきであったのだから、現在に至るまで何らの回復措置を行っていないことの責任は重いと言わざるを得ない。
申立人らは、レッド・パージによって職を失い、その後の就職活動も偏見が故に困難を極めた。そのため年金額が低くなるなど、経済的損害を被っている。
また、親族等からの拒絶や、居住地域における嫌がらせなど、精神的苦痛を受け続けるなど、その被害は重大かつ深刻なものである。
諸外国では、近年、レッド・パージによる人権侵害に関する救済例が見受けられるようになったが、日本政府は、現在に至るまで、レッド・パージにより人権侵害を受けた被害者に対して何らの名誉回復及び補償の措置を講じていない。被害は、解雇当時のみならず現在に至るまで続いており、名誉の回復や補償等の措置を受けず無念の思いのまま亡くなった方々も少なからず存在していること、生存者も高齢化していることからすれば、日本政府は、すみやかに人権侵害の回復措置を講ずべきである。
レッド・パージの被害に対しては司法による救済が十分な役割が果たせていないこと、占領下という特殊な状況においても人権の固有性・普遍性・不可侵性が守られるべきことを確認する重要な意義があること、70年以上も経過した現在も、職場における思想差別等が完全に克服されたわけではなく、形を変えて類似の被害は繰り返されていることに鑑みて、政府や企業等の強大な権力組織が人権侵害を推進し助長するような過ちが繰り返されることのないよう、当会は、内閣総理大臣に対し、申立人らの被った人権侵害について名誉回復や補償を含めた適切な措置を講ずるよう勧告した。